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発達障害を語る上での禁止ワード

2014-07-22 | 登校拒否について
強い怒りは胃に来ます。二日ほど胃の調子が悪くて久しぶりに怒りを感じています。
原因はある場所での「発達障害は治る」という話でした。
発達障害についての理解はだいぶ進んでいて、生まれつきの特性であり一人一人の状態もそれぞれであるという事は、ずいぶんと知られるようになってきています。
それでも時々「治る」と言う人もいるのです。
特に保護者の不安をあおって何がしかの商売に結び付ける場合には怒りを感じます。
保護者は当然ながら不安を抱えた状態で子供と接しているわけで、その不安に付け込むのは害悪でしかない。
「発達障害は治る」というワードが出たらその先は聞くのを止めた方が良いですし、そもそも間違っています。


発達障害は生まれつきのものですが、「発達」の障害であり本人のペースで成長します。それがまたその個人の個性でもあります。
周囲にできる事は、社会に適応できるように、本人の納得する形で、根気よく生活の方法を身に付けさせることだと思っています。
ですから最近の手引きなどには、本人に理解しやすいアドバイスの仕方として図解・紙に文字を書いて提示・分かりやすい指示の言葉等々の開設が出ています。
将来、その子供が社会と折り合いをつけて生きていくのに最低限必要な事をロジックとして身に付ければいいのだと、今はそう思うようになりました。
それよりも、元々本人も生き辛さを感じているいるのですから、少しでも楽しく生きられるように、私が気を付けていればよかったと後悔しています。
発達障害で特に気を付ける部分は、思春期以降に精神的疾病を発症することです。
本人と周囲の違いだけでも大きなストレスになる他に、学校生活では注意を受ける事も多いでしょうし、いじめなども受けやすい。
親が不安なく、ゆっくり育てられる環境を、自分で作るしかないのですが、特に配慮して作って行くしかないのでしょうね。







南部町のハリギリ

2014-07-12 | 巨木
お婆さんが守っている社と巨木があって、
[公にせず静かにしておいてください」
という巨木は見ずにはいられません。
どこにあるかの記載もできませんが、そんな巨木に出会った時の感動はひとしおです。
社も、後ろにたたずむ巨木も個人の持ち物なので、知る人のみが鑑賞できる巨木です。

ディープな青森を見たいと思っていますが、一般に言われるディープさとはまた違う北東北の何かを見たような気がします。
幹周は5mを超え、データベースでは上位になるはずの巨木ですが、管理者の意向によって公表されない巨木もいままで見てきました。
公表されなくても、その木の神々しさというか迫力というか、その素晴らしさにに変わる事はありません。
小さい社を見ると、この木が山の神として祭られていたことがうかがえます。

 





北山の三本杉

2014-07-05 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
梅雨の晴れ間に見学してきた巨木。
山の神として祭られる三頭木の杉巨木です。
こんな場所に、と思うような場所にあって、道も付いているものの消えかかっている状態でした。
それでもこの木の周囲は綺麗に刈り払われていて、今でも大切にされている木なのだと感じました。

先日『杣と木地屋』という本を入手して読んでいたところ、神奈川県の丹沢山地にも神木として切ってはならない木があり、その条件には窓木(連理木)などの他に「三本並んだ木」があるとの記載がありました。
「三本並んだ木」という表現は、十和田市の三本木の地名の由来にある木が、じつは三つ又になっていた木ではないかという事例もあり、別々の木が三本並んでいるのではなく、三つ又状になっている木の事をこのように表現したのではないかとも考えられます。
自然の中に生えている木が三本並ぶのはよくあるために他との区別が難しく、神の木として認識されるにはそれなりの特徴が必要です。
木地師は、流通の不便であった時代に良材のある場所を移動しながら轆轤木工をしていた職人で、その移動範囲は一人の木地師が関東東北地域を移動範囲とするほど広いという調査もあります。
そのような木地師の持つ信仰観は全国にあっても不思議ではなく、ただ明治以降急速に忘れ去られた信仰感覚がどれほど伝承されているかの違いにすぎないのかもしれません。

この日、三つ又の形状に対する信仰心の大元は何だったのだろうか、という話になり、八咫烏の足が三本である事、鳥の足跡は三つ又の形をしている事などが話題になりました。
神社の鳥居も、名称は「鳥・居」です。
山の神研究で知られるネリー・ナウマンの著作「生の緒」の中でも、縄文土器に現れる三本指の人物像が指摘されています。