津軽方面の名庭を見学すると、『大石武学流』の名前がそこかしこで聞かれます。
京都から来たと云われていますが、この大石武学流は京都だけでなく西日本一帯にもみられない不思議な造園流派です。
それがなんと、四十七士の討ち入りで名高い大石内蔵助に縁があるという。
大石内蔵助の叔父が津軽に来て、大石武学流の祖になったという説を聞きました。
津軽藩には元々「大石」という姓があったのかどうかは寡聞にして知りませんが、「京都から来た」と云われるこの流派ですから、西日本方面から津軽藩内にやってきた人がいるはずです。
調べてみると、大石内蔵助の祖父の兄弟の息子が津軽藩に出仕しています。
この人が「ブザエモン」と名乗っていて大石武学流の祖になった、というお話でしたが、真偽のほどは分かりません。
元禄の頃、そんな歴史があったのかもしれないし、真実は別にあったのかもしれない。
ただ、そんな歴史の合間の不思議なつながりがあったとしたら、それは面白いなあと思うのです。
揚亀園
その話を聞きに行くため通った黄葉の道が今日の写真です。
山はもう秋ですね。
京都から来たと云われていますが、この大石武学流は京都だけでなく西日本一帯にもみられない不思議な造園流派です。
それがなんと、四十七士の討ち入りで名高い大石内蔵助に縁があるという。
大石内蔵助の叔父が津軽に来て、大石武学流の祖になったという説を聞きました。
津軽藩には元々「大石」という姓があったのかどうかは寡聞にして知りませんが、「京都から来た」と云われるこの流派ですから、西日本方面から津軽藩内にやってきた人がいるはずです。
調べてみると、大石内蔵助の祖父の兄弟の息子が津軽藩に出仕しています。
この人が「ブザエモン」と名乗っていて大石武学流の祖になった、というお話でしたが、真偽のほどは分かりません。
元禄の頃、そんな歴史があったのかもしれないし、真実は別にあったのかもしれない。
ただ、そんな歴史の合間の不思議なつながりがあったとしたら、それは面白いなあと思うのです。
揚亀園
その話を聞きに行くため通った黄葉の道が今日の写真です。
山はもう秋ですね。