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謎の作庭流派 大石武学流

2013-10-28 | 青森文化芸術
津軽方面の名庭を見学すると、『大石武学流』の名前がそこかしこで聞かれます。
京都から来たと云われていますが、この大石武学流は京都だけでなく西日本一帯にもみられない不思議な造園流派です。
それがなんと、四十七士の討ち入りで名高い大石内蔵助に縁があるという。

大石内蔵助の叔父が津軽に来て、大石武学流の祖になったという説を聞きました。
津軽藩には元々「大石」という姓があったのかどうかは寡聞にして知りませんが、「京都から来た」と云われるこの流派ですから、西日本方面から津軽藩内にやってきた人がいるはずです。
調べてみると、大石内蔵助の祖父の兄弟の息子が津軽藩に出仕しています。
この人が「ブザエモン」と名乗っていて大石武学流の祖になった、というお話でしたが、真偽のほどは分かりません。
元禄の頃、そんな歴史があったのかもしれないし、真実は別にあったのかもしれない。
ただ、そんな歴史の合間の不思議なつながりがあったとしたら、それは面白いなあと思うのです。


揚亀園

その話を聞きに行くため通った黄葉の道が今日の写真です。
山はもう秋ですね。


三本木村の名前の由来と三頭木

2013-10-27 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
「三本木(さんぼんぎ)」という地名の由来

この三本木地方は、十和田山(十和田湖)の噴火によってできた火山灰土壌の扇状地帯で、古くからただ荒漠たる平原であった。そしてこの土質のため雨水もすぐに地中へ入ってしまい、樹木もあまり生えなかった。夏は暑い日差しをさえぎる樹木がほとんど無く、また太平洋からは冷たい「やませ」が吹き、冷害を起こし、冬は西北から吹く「八甲田おろし」のためものすごい吹雪となり、この平原で凍死する者が多かった。古くは、主に馬の放牧地帯となっており人が住むのにはあまり適さなかった。この場所に遠方からも良く見える三本の「白たも」の木があった。これは根元から三本にわかれた大木で、現在の十和田市元町の北側、大清水神社の境内にあったという。人々はこの大木を三本木と呼び、いつの頃からかこの地方を三本木、平原を三本木平と呼ぶようになったと伝えられている。

新渡戸記念館HP 三本木原開拓の歴史より抜粋

十和田市の古い地名である三本木。この三本木が生えていた、十和田市の大清水大明神で、この名称の由来は三頭木の信仰と関わりがあるのではないかという仮説の説明会がありました。
東北巨木調査研究会の高渕会長、青森県文化財保護協会会長 盛田 稔氏、釜渕樹木医、市文化財保護協会顧問 山崎氏の説明によると、三本木の地名はこの大清水大明神に生えていた樹木に由来するもので、一本のシロタモの木が三つ又に分かれていて、その木が遠くから見えるほどの巨木であったためとのこと。

南東北に自生するクスノキ科の木でシロダモの学名をもつ樹木があって、でもその木は自生北限が南東北のため、青森県内での自生はない。
ではこの木はどんな樹木であったかは疑問のままです。
シロタモの樹木名は植物に多い地方名であり、該当するのはヤマトアオダモかヤチダモではないかと、意見のまとまらない部分でした。
この三つ又に分かれた木は幕末の頃に倒れたといい、その時に切ったりすれば禍があると云われ、その木は朽ち果てるままになっていたとも。
アオダモの木は今では野球のバットの原木として有名ですが、当時でも木材として高価なものであったでしょう。
そんな樹木が朽ち果てるままになった理由の中に、「三叉の木には神が宿るから切ってはいけない」という山の神の信仰観が覗えます。
身近な地名の中に、三つ又の木に関する言い伝えの名残を感じました。


“三本木”の由来とされる樹種を調査