毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
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そういえば二年目

2011-01-30 | 思うこと
そういえばブログを書き始めて二年が過ぎていたことを忘れていました。
昨年は一周年の日記を書いていたのに、二年目はこんなにもあっけなく過ぎていく事に自分でも驚いていす。
この二年には子供の登校拒否など色々な事がありました。
二年前の自分は何を考えていたのかさえ、もう遠くにかすむ出来事のような気がします。

プログを書くメリットは自分の思っていたことを後になって読み返すことができること。
書いたことがブレていないかどうか、自分ではそんな事が気になります。
変わることが悪いわけではないし、変わる事は成長を意味する場合も多いのですが、変わらずに同じ考えを持ち続けていられるかどうかが、今までの人間形成の未熟度を表しているように感じてしまいます。
今でも本を読んで目から鱗が落ちる感覚を持つこともあって、いくつになってもそんな体験を持ち続けていたいと思う気持ちとは相反する感覚ですね。


雪のある季節は家に篭ることが多いので、ついでに今年行きたい場所をピックアップしています。
春になったら行ってみたい青森県内のポイントは多いのですが、雪の時期の風景も美しいのだろうなと思います。
積雪期の運転が怖くて見ることはできない風景を、ネット上で探していたりします。





FacebookとTwitter

2011-01-29 | 思うこと
昨年は何気にFacebookにハマッて、毎朝バーチャル水槽のお世話に熱中していました。
最近は熱も冷めてしまって時々開くだけだったのですが、先日、誕生日の翌日に開くとタイムライン上にお祝いの言葉があふれていて嬉しかったり。
世界中のお会いすることもない人たちですが、一緒にゲームをする仲間同志の関係もあるのだとそのとき気がつきました。

SNSの使い方は人それぞれで、Facebookでは情報拡散のために使っている人もいるし、純粋にゲームだけを楽しんでいる人もいます。
国境もないので世界中の言語が飛び交い、お互いが母国語ではない英語で会話したり、中東の国での私刑に関するディスカッションの様子やアイルランドでの噴火の様子が生々しく伝わってきたりと、中々刺激的です。
世界には多様な言語があって、様々な生き方や文化があるという当たり前な事も、小さなディスプレイから感じ取れました。
それでも基本がネットゲームですから、長文がタイムラインを埋めることは少なくてゲームへのリンクだけが流れていく感覚です。
同じようなタイムラインのTwitterは、相手の承認なしにフォローできて文字数も少ないのですが、情報量はとても多い。フォローによって自分の読みたい情報だけを表示させたタイムラインは、他の人のタイムラインとは違うものになります。
ただ古い情報は膨大な言葉の彼方へ行ってしまうので、保持という意味ではmixiやブログに利があります。

そのTwitterで今朝流れてきたこの話を読んで、昔の友人の事を思い出していたのですが、20年30年前という長いタイムラインの中に人間関係や思い出も紛れ込んでしまっているなと、ちょっと考えていたのでした。
フェイスブックで友達何人できたかな 小田嶋 隆



個人情報

2011-01-26 | 社会
個人情報保護法が施行されて6年になろうとしています。
それ以前に個人情報に関する報道が多くなっていたことから、個人情報を見せる事は危険なことだと言う認識が広まっていて、10年前にはすでに簡単な名簿さえ作れない状況になっていたと記憶しています。
氏名と連絡先だけであっても、何かに記載されれば見えない悪者に狙われてしまうような、そんな感覚を多くの人が抱いていたのかもしれません。
名簿が作れなくなったことで、学校やボランティア団体などでの活動に支障がでたり、一般の保健関係の団体や民生委員にも情報は届かなくなって活動し辛くなったりと色々な弊害も浮かび上がってきました。

個人情報保護法に関するよくある疑問と回答消費者庁
昨年にはウィキペディアの個人情報の保護に関する法律
に 4.問題点 が加筆されています。
個人情報保護にはメリットとともにデメリットもあって、とにかく情報は出さなければ良いというものではないし、必要以上に怖がらなくてもいいのだと思います。

ニュースを賑わしていた振り込め詐欺は、ここ数年件数が減り検挙率も上がっていますが、個人情報保護との関係よりも対策の周知・広報などの影響が強い。
大切なのは知識と心構えなのでしょうね。
 振り込め詐欺抵抗力増進映像特集!




常識という幻

2011-01-23 | 思うこと
「常識」という言葉を使う時、話す相手に対して「常識」を要求する意味合いの場合が多いと感じます。
私も時々使ってしまうので反省することが多いのですが、話す側としては相手にも当然同じ常識があるはずといったスタンスでいます。
「常識」と一言で言っても、その中には基礎的な学問的知識、教養、礼儀、社会通念など幅広い内容を含んでいるので、状況によってその中のどれを指しているかを類推しながら対応するわけで、語る側は当然その中のどれを意味するのか相手には分かるはずと思い込んでいる場合も多い。
常識=すべての人が知っているはず、それが常識だと言われる事も多いのです。
ところが、よく考えてみれば同じ生い立ちや経験を持つ人はいない、そう言えるほど人には様々な歴史があります。
性別や職業、生まれた時代、育った場所などたくさんの要因によって多様な考え方が育まれます。

日本は単一の稲作民族の国である、というどこかで意図的に作られたとも思われる認識については、近い歴史を紐解いても士農工商という階層があって、立場を超えた通婚などもなく、それぞれが別の価値観の中に生きて、そして幅広い生活の様式を持っていたことでその考え方の間違いは分かります。
宮本常一の著作を読んでいると日本には昔から多様な職種があって、士農工商の外側にも多くの人が生きていた。
農地と共に生きていた農民の他にも山の中や流浪の生活に独自の世界を持っていた人々がいて、そして不足するものを補い合っていた。たとえば金属製品であったり木を切る技術であったり芸能であったり。

家族の中での常識、住んでいる場所での常識、今の常識。
家族の中では常識であってもそれはあくまで家族の中だけの話であって、一つ一つの家族には独自の歴史があるわけで、人の移動の激しい現在は狭い地域であっても様々な考え方を持つ人々が住んでいます。
そもそも昔から「常識」はなかったのに、「常識」はあるという幻を見ていただけなのかもしれません。

世の中の人が同じ常識を持っている訳ではない事を前提条件として、それでも人は周りの人々とうまく付き合っていこうと努力していた。
それが先人の知恵だったのだと思います。



常識がプライベート化していく シロクマの屑籠(汎適所属)


みつみ食堂

2011-01-20 | 青森の味
女子一人ラーメンができるかどうか、という話をするとなぜか盛り上がります。
ラーメンの他にも、一人飲み屋、一人レストラン、一人○○・・と続く「一人で行ける」場所の話をしていると、話す人の価値観や内心の意外性が見えてきて興味深いものです。

「思い立ったが吉日」的な行動をしているので一人で食事する機会も多いのですが、一人で食事をするメリットというのもあって、お店の人から色々な話を聞ける事が一番にあります。
話が面白いと食べるのも忘れて聞き入っていたり。
そんなお店の一つが八戸市売市にある「みつみ食堂」。
歴史好きの店主の話が面白くてラーメンが伸びてしまったのですが、ラーメンはとても美味しくて、でも話は面白くてという悩ましい状態に陥ってしまいました。
テーブルが二つだけで出前が主体らしいのですが、良心的な価格と予想外の美味しさ。こんなお店を見つけられた嬉しさもあるから一人ラーメンは止められません。


私は一人ラーメンや一人飲み屋は問題ないのですが、一人でしゃれたレストランはちょっと無理なのですけど。

 

みつみ食堂
場所  八戸市長苗代内舟渡103-1


古い資料を読む

2011-01-17 | book
青森県西目屋村で、目屋ダム建設のために湖底に沈んだ砂子瀬集落の生活や伝承を聞き取り調査してまとめられた『砂子瀬物語』(森山泰太郎著)は、昭和20年代から30年代にかけての山村の生活を伝える第一級の資料です。
民俗学関係の本を読んでいると何度も引用として出てくるので、なんとなく親近感の湧く書籍でした。
「書かれている半分はうそだ」と書かれた当時から言われていたとは言うものの、初めて通して読んでみるとそれほど違和感は感じず、タブーに踏み込んでいる部分が関係者の不評を買ったとも感じます。
しかし現在から見ればタブーもまた貴重な資料ですが、聞き取り調査をした人の感覚から見て記録すべきものを取捨しているのだから、この調査をした昭和20~30年代の時代の感覚は抜け落ちているものと思われます。

書籍はその内容が書かれた年代を確認して、当時と今の時代感覚に補正をかけることが読書を楽しむコツだと思っています。
小説であっても、書かれた時代を頭に入れておくと、なぜそう考えるのかの理解は深まります。
たとえば戦争であったり恐慌であったり、その前なのか後なのかで登場人物の台詞の意味が分かったり。
科学関係の図書は年代によって内容が変わってきますし、一時期風靡してその後廃れていった考え方の影響もあります。
本に書いてあることがすべて正しいわけではない、必ず時代の影響を受けていると思って読むことは正しい情報に近づくために必要な事だと思います。



年末に片付けていた本の中に古い図鑑があって、小学校へ寄付するために内容を確認していたところ、最新の研究からは大きく内容の違うものが出てきました。
大昔の生き物の図鑑では恐竜の想像図が大変な事になっています。
恐竜の生態の研究は80年代から大きく進展して、それ以前の理解とは全く違ったものになっています。
研究の変遷を見る資料としては使えるものの、小学生に読ませるには少々問題があり、この本は寄付用の図書に入れなかったのですが当時はこれが間違いではなかったのです。

古い本を読む機会が増えて、なんとなくそんな事を考えていました。


 竜脚下目(カミナリ竜)は、その大きさから水生動物と考えられていた。その後の研究から現在は乾燥した森林・草原で生活していたとされている。

  

  





 主竜類。尾を支えに立ち上がった姿で描かれている。現在では後肢を支柱にして尾と上半身でバランスをとった状態で歩くとされている。尾は地面を引きずらない。









引用 プログラム式こどもカラー図鑑 5大むかしのいきもの
   昭和45年第一刷発行  講談社



時代の意識

2011-01-13 | 思うこと
子供に「ダイヤルって何」と聞かれました。
ダイヤルと言ってすぐに思いつくのは電話機、でも今はダイヤルを回す電話機など探そうと思っても中々探せない。
他には何かなかったかと思い巡らしても、テレビとか金庫位しか思いつかない。
テレビは「チャンネル」と言っていた様な。でも今は回すチャンネルなどありえないし、金庫もまた同じ。
結局身の回りにダイヤルは見つけられず、これでは知らないのも無理がないと気がついたのでした。

あえて教えなくても当然知っているはず、そんな物がいつの間にかなくなっている。
そして消えていく時は音も立てず静かに、気が付いたときはすでに無くなった後だったという場合が多い。
それは古い「物」に限らず、考え方や、ある時代の共通認識としてあったはずの「時代の意識」のように「物」ではない何かも含まれています。
後の時代から見ると、「意識」が忘れられて形だけ残っている習俗などは、なぜこんな事をするのかまったく分からなくなっていますが、「時代の意識」はその時代の人には当たり前すぎて説明も記録も必要なかったのでしょう。
きっと今現在も、自分では気が付かないだけで、今の「時代の意識」の中に私もどっぷりと浸かっているのだと思います。





白い森

2011-01-11 | 美味しいお店
訪問時間によって、飲食店の雰囲気はがらりと変わります。
明るい昼時と夜では別の店と思えるほど、そこに集う人や混雑の程度は違い、どの時間に訪れたかで受ける印象も変わります。
三沢にあるケーキショップ「白い森」。
甘いものが苦手なために初めての入店でしたが、冬の夕方は空の色が美しく、そんな景色を見ながらいつもと違うひと時を楽しめました。

夕日を見ながら飲みたい、ずっと思っていた贅沢ですが、なかなか夕方の時間に合わせて出来ずにいます。
せめてコーヒーでも、と思う分には充分楽しめるのかも。
ペレットストーブの炎の色も格別ですが、寒さ対策にひざ掛けを持ってきてくれるサービスも良いものでした。
夕方というのも狙い目かもしれません。
ケーキも美味しいと評判です。



白い森




本にまつわる話

2011-01-06 | book
巨木に関する言い伝えを継続して調べているのですが、農業に比べると林業関係の書籍は圧倒的に少ない。
さらに近代化以前の杣人・山子に伝わる話となると、民俗学の中でも狭い範囲になってしまって関連書籍を見つけるのが難しい。
多分ここには記載されているであろうと目星を付けた本は、すでに絶版になっていて購入もままなりません。
図書館を梯子してなんとか見つけた本だけでは心もとなく、こんな時には地方に住んでいるのがうらめしくなります。
書籍の他にも学術論文など、探せば関連の記述も出てくるはずですが探しようもなく、やはり図書館だけが頼りとなっています。

資料を探すときの不便さは各方面にあるようで、基礎資料だけでもデータベース化してほしい。せめて絶版になった本だけでも、そうは思っても難しいのでしょうね。
正月早々の愚痴でした。



基本的に全ての「基礎資料」と呼ばれるものは無料で、webで読むことが出来るようにしとくべきなんだ。その点で『旧約聖書』と『新約聖書』が幾バージョンか全文読めるキリスト教は流石。責めて律蔵くらいwebで読めるようにしてもらえんもんか。それは本山の仕事だと思うんだが。
Twitterより引用



Dr Pepper Lover

2011-01-05 | 青森の味
炭酸飲料が特別好きなわけではありませんが、昔は販売されていたドクターペッパーだけは大好きでした。
ちょっと変わった味で日本人の舌に合わなかったのか、今ではほとんど見ることのない飲み物です。
三沢の米軍基地内では販売されているものの、米軍関係者でなければまとめ買いは出来ないとのこと。

三沢の「MGプラザまちの駅」では、なかなか手に入らないドクターペッパーが販売されていました。
あまりの懐かしさについ何本か買ってしまいましたが、やっぱりあの味のドクターペッパー。
好きな人にはたまらない味なんですよね。
他にはドクターペッパーダイエットとチェリーコークもあって、Dr Pepper Loverの聖地となるかもしれません(笑)

北海道では販売されていたはず、と思って調べてみましたが、北海道は「ガラナ」は販売されていても、ドクターペッパーはないらしい。