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山王信仰と三つ又の巨木

2014-11-15 | 巨樹・巨木と伝承 三頭木
二年前の暮に川倉賽の河原へ行った際に見た山王鳥居。
祭神は地蔵尊のはずでしたが、青森県では観音堂に鳥居があるのはごく普通の事なので特に深く考えずにいました。

山王信仰は比叡山の土地の神を祭る神社として、延暦寺よりもその起源は古いのではないかと言われていて、元は「比叡(ひえ)社」の名称から、文字を変え読みも変わって現在の日吉(ひよし)神社に至っています。

平安時代から続く神仏習合によって、寺と社の違いはあっても天台宗の影響を山王信仰は色濃く受けています。
祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)と三輪山の大物主神、聖真子は山王三聖といわれ、「三」の数字が重要なキーワードになっています。
これは天台宗における真理として「三諦」があり
 ・空諦(くうてい) 一切の存在は空である真理
 ・仮諦(けてい) 一切存在は空であるが因縁に従って現象している真理
 ・中諦(ちゅうてい) 空諦、仮諦に偏らず高次に統合されている真理
この「三諦」を心に観ずることを「一心三観」といい、「山王」の文字はどちらも一心三観をあらわしていて、「山」も「王」も三本の線とそれを繋ぐ一本の線でできているからといわれています。
考えてみれば三つ又の木は「山」の字そのものとも言えるわけで、文字の持つ霊性を強く感じていた時代には文字の形を象る事に意味があったのかもしれません。

江戸時代に多かった修験者は明治の修験道廃止令によって仏道や神道へと鞍替えしていきました。
廃止令前の山伏17万とも言われていて、人口3千万の時代にはかなりのボリュームです。
今熊神社の歴史には修験道本山派の青森県内における歴史が描かれています。
修験道本山派とは京都聖護院を頂点とする修験道の派閥で、青森県南では新郷村にある寺を頂点としてヒエラルキーが出来ており、院号授与のために京都まで出向いたとの記載もあります。
修験道にはおおまかに二つの系統があり、

 天台宗(比叡山) ≒ 京都聖護院 = 本山派修験道
 真言宗(高野山) ≒ 吉野金峯山寺 = 当山派修験道


青森県内ではこの二つの派閥がまだら模様のように勢力を持っていたと考えられますが、明治期の信仰破壊によって曖昧な状況になっいます。
しかし本山派はそれなりの信心者数を持っていたと言えますし、『山王権現』とも言われていた日枝神社の祭神、そしてそれに関係する本山派修験道の教義の中に、三の数字を特に神聖視するエッセンスがあったとしてもおかしくはありません。
もしくは、より古くからある三つ又の木の言い伝えと融合していたとしてもおかしくはないとも思います。

山王権現(付随する「三」の神聖性)≒大山咋神≒山の神

このように並べていくと、山の神と三つ又の木の言い伝えも同じつながりのようにも思えてきます。