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尾上 旧家・庭園・蔵めぐり

2010-05-29 | 青森イベント
庭というものは、そこに暮らす人の価値観や美意識や好みまでを見事に表すものだと思います。
毎日眺めている庭をどの様なデザインにするのか、どの程度の手入れをするのか、好きな色は何か、植物や自然は好きなのか。
個人の庭は人間の顔のように千差万別で、だからこそ人のお宅の庭を見るのは楽しくて、自分の好みの庭だった場合は探していたものを見つけたような嬉しさを感じてしまいます。

毎年5月末に開催される平川市の「旧家・庭園・蔵めぐり 」は、造園の盛んな平川市の尾上地区の個人住宅の庭を見学できるイベントです。
尾上は生垣と庭の美しい家が多く、街中を散策しているだけでも充分見ごたえがあるのですが、歴史ある建物や蔵と日本庭園の組み合わせは素晴らしいの一言に尽きます。
津軽地方は新しい物を取り入れる気風があるのか、古い建物にはどことなく大正昭和モダンの雰囲気があって、自然を取り入れた農家の日本庭園との組み合わせは独特のものです。

少し離れた金屋地区では、蔵めぐりをガイドさんの案内で周ります。
いわゆる日本庭園とはまた別の魅力を、新緑の美しい季節に堪能できるステキなイベントです。
5月29日30日の二日間の開催で、尾上中心街各所にある案内所・手形販売所で参加料を払って、通行手形と地図をもらい参加できます。

平川市 ふるさとセンター “旧家・庭園・蔵めぐり”のお知らせ









東北の麺文化

2010-05-27 | 青森
所用で東京へ行ってきたのですが、新幹線はやての車内誌「トランヴェール」の5月号は、東北の麺を特集していました。
「稲作に不向きな土地に花開いた食文化・・」
そんな書き出しの文章を読みながら、少し違うことを考えていました。

食文化は家庭の味や地域の味として長く残ります。
「お袋の味」ともいわれるように、生まれたときから食べてきた味は好みとして定着しますし、地域で調達できる食材を使っているために今のような流通手段のなかった時代には変化が少ないと考えられます。
南部地方で食べられている甘い赤飯が山梨県の南部氏を起源とするものなら、食の伝統は室町時代から続いていることになります。
蝦夷の国であった東北の人が何を食べていたのかは、遺跡の発掘からも類推できますし、ライター斎藤博之の仕事で書かれているように、現在も僅かに残る焼畑農業がその痕跡かもしれません。

学術的には疑問符のつく「縄文クッキー」ですが、木の実や雑穀を挽いて食べることが縄文時代から続いているとすれば、コナモン食は東北地方の伝統です。
稲が育たないから仕方なく、というよりも遠い昔から食べていた料理をずっと食べ続けてきた。
はっと、ひっつみ、かっけ等、多様な粉食を現在も好んで食べているのは、遺伝子に刷り込まれていると言っていい程の東北人の嗜好でしょう。






縄文の末裔

2010-05-26 | 青森
東北の歴史はおもしろい。
日本書紀では、景行天皇の時代に竹内宿祢を東方に派遣したところ以下の様に報告します。

東夷之中、日高見国有。其国人、男女並椎結文身、為人勇悍。是総曰蝦夷。亦土地沃壌而曠之。撃可取也。
(東の夷の中に日高見国あり。其の国の人は髪を分け刺青をして、人となりは勇ましく猛々しい。これすべて蝦夷という。また土地は広く豊かである。討ちて取るべし)


歴史以前の話ですから景行天皇と竹内宿祢の実在は不確かですが、日本書紀の書かれた700年頃から見た過去の東北に対する認識がわかります。
蝦夷の人は弓矢を巧みに操るという記述もあり、縄文時代から続く狩猟採取の生活だったのでしょう。
現代から見ると狩猟採取の生活はもっと古い時代を連想しますが、農業による生活が2千年に対して、それ以前の何倍も長い時間は狩猟(漁)採取(集)での生活です。
長い歴史を持つ生き方は、余程大きな理由無しには変わりません。

宋書には478年に「倭王武が、宋に朝貢し、先祖以来の倭王が東方の毛人の国などを征服したことを述べる」という記述があり、長い年月をかけて東北を大和政権下に組み込む作業が続いていたことは推測できます。
大化の改新以降は武力行使と平行して、土地ごとの有力者に冠位を与えることで吸収していくのですが、これは元々住んでいた人を追い出して入植者を連れてきたわけではない事を意味します。
その後の歴史の中で人の移動があったとしても、元々住んでいた縄文の人と同じ系譜の人々が、今も東北には残っている。


三内丸山や是川の遺物を見ていると、細い釣り針を作り出す技術や美しい縄文土器の装飾性など、高度な文化を感じます。
世界四大文明と同じ時期に、極東の島国で開花した縄文文化の数々。
これらを作り出した縄文の人々は、どこかへ去ってしまったのではなく、今もこの地に生きる人の中にその血を残しているはずです。



参考   青森県史 資料編 古代 1  (発行 青森県)


5月のイベント

2010-05-20 | 青森イベント
恐山開山   1日~10月末
レールバスと遊ぼう2010  1日~3日 南部縦貫鉄道 旧七戸駅
津軽三味線日本一決定戦   2日3日  青森市文化会館
第22回津軽三味線全日本金木大会  4日5日 金木公民館大ホール
常田健 土蔵のアトリエ美術館  5月の開館日 2日~5日 13日~16日
天台寺 春の例大祭   5日  二戸市天台寺
天王つつじまつり  9日~23日 七戸町天王神社
七戸つつじまつり観光ツアー  16日 七戸町
南部町ぼたんまつり  下旬~  南部町長谷ぼたん園
旧家・庭園・蔵めぐり   29日30日 平川市尾上地区


曖昧な記憶の

2010-05-20 | 思うこと
暖かく緑の多い季節になると、どこかへ出かけたくなってそわそわしてきます。
考えてみると毎年同じような場所へ同じような季節に出かけるのですが、なぜ飽きもせずに続くのか。

どこかへ遠出すると、いつもどこかで必ず美しい光景を目にします。
車を運転中のことが多くて、そんな景色は写真には収められないのですが、八甲田山にかかる夕日であったり、空を飛ぶ鳥の群れであったり、道路沿いの農家の庭先に植えられている花であったり、新緑の森の向こうに見える岩木山であったり。
ハンドルを握りながら、一瞬目にする光景がその日の一番素敵な風景であることも多いかもしれません。
すぐにその場で車を止めて写真を撮ろうと思っても、交通の邪魔にならない駐車場所を探しているうちに、美しいと思った風景はもうなくなっています。
もしくはその場所だと思ってよく見ると、電線や看板など写真に収めるには余計なものがあったりで、結局撮らないままだったり。

単に視覚情報の処理速度の問題なのでしょうけれど、美しいものを選択的に見る人間の能力は便利なものだな、とも思います。
自分の記憶に残るのは美しい風景ばかりです。





新緑の季節 蔦野鳥の森

2010-05-18 | 青森自然
新緑の美しい季節になりました。
十和田山中にある蔦温泉周辺はブナの森にいくつかの沼が点在していて、沼を見ながら1時間ほどで森を楽しむ遊歩道のコースがあります。
ブナは春の葉の展開が速い木で、少しだけ標高が高いにもかかわらず平野部よりも新緑の緑がまぶしく輝いていました。
新緑の緑を映す沼の水面と若葉の色のコンビネーションは、長い冬の後には胸が一杯になるほどの美しさです。
春のほんの僅かな間だけ、植物の命の色ともいえる生まれたての葉の色を楽しめる季節です。

遊歩道が整備されているといっても、広大な自然の中ですから野生動物との出会いも珍しくはありません。
この日は道を曲がると出会いがしらにカモシカと遭遇。
野生動物に出会ったときは脅したり逃げたりしないで、じっとしていると動物は落ち着いて離れていく、と聞いていたので静かに森の奥へ歩き去るカモシカを眺めていました。
草食動物とはいえ大きな体と角を持っていますから、山へ行く際は鈴やラジオは必携なのですが、気軽に入れる遊歩道と油断してはだめですね。
鳥の声や水の流れる音など、ここは人の足音よりにぎやかな森だからなのでしょうね。


鏡沼                  マイヅルソウ群落

カモシカ                ミヤマカタバミ




弘前市 桂の清水と燈明杉

2010-05-17 | 巨木
弘前市の桂清水は静かな山の中で滾々と湧き出るおいしい水です。
桂清水の名の通り、桂の木の根元から水が湧き出ています。
時折地元の方が水を汲みに来ていました。

この清水から歩いて5分ほどの場所には「燈明杉」と名のついた杉の巨木があります。
環境省データでは幹周690cmとされていますが、見た感じではもっとありそうに感じます。
新緑のまぶしい季節、鮮やかな明るい緑の下草に囲まれた燈明杉は、美しいコントラストの中にひときわ迫力ある存在感を現していました。

 




桂清水  弘前市大沢字堂ヶ平




学校では教えない日本のこと

2010-05-15 | 子供のこと
子供が小さいころ、何かの話から襖の話になって
「襖って知ってる ?」
と聞くと、知らないという答えが。
自宅には襖というものがなく、説明するのにとても困った記憶があります。
日本人なら当然知っているはずの事でも、住宅事情や生活の変化で子供には分からないことも多くなってしまったのかとその時に思いました。

紐結びは代表的な例かもしれません。
日本の民族衣装である着物は、直線からなる布を紐を使って身に纏うものです。
凹凸や関節の動きのある体を、伸縮しない布で上手く体に添わせるのは、紐結びの技術の賜物だと思っています。
着物を着慣れた人なら、どんなサイズの着物でも上手に着てしまいます。
紐を使うことがとても汎用性の高い衣服としての着物の肝なのでしょうね。

明治時代以降の近代化の過程で、日本人の強みといえば手先の器用さだと言われていました。
その器用さを生み出す一因に、着物はなっていたのかもしれません。
今でも日本人の器用さが言われる事もありますが、すでに一般的な労働者全体の傾向としてではなくなっているように感じます。
今の生活の中で、何かをを結ぶと言えば靴紐くらい。
何本かの紐を使って毎日着物を着ていた時代とは別の国と言えるほど、生活習慣が大きく変わっています。

せいかつの図鑑 小学館


トンデモ本の楽しみ方

2010-05-14 | 青森
青森県にはキリストの墓といわれる場所があります。
あまりに壮大すぎて笑える、いい話だと思います。

この話は1935年、七戸出身の日本画家 鳥谷幡山と当時の戸来村(現在の新郷村戸来地区)村役場が、観光資源としての活用の可能性を探るため、大石神山の視察に天津教(あまつ教)という新興宗教の教祖 竹内巨麿を案内したことに始まります。
天津教の経典である竹内文書は偽書の認定がなされていますが、この経典を元に戸来地区の二つのの土盛をキリストの墓だと言い出した。
戸来にキリストの墓があるという話はここが始まりです。
戸来(へらい)の地名や子供の額に十字を描くまじない、六芒星の家紋など関連のありそうな事象も集められ、トンデモ話の元祖ともいえる楽しさです。

しかしながら役場がキリストの里伝承館なる箱物を建てたり、「皇祖皇大神宮の竹内家」などと持ち上げてホームページに載せているのはやりすぎの感があります。
偽書であると但し書きがなければ、まともに信じ込んでしまう人がいないとは限りません。
新郷村観光案内 キリストの墓

東日流外三郡誌」を疑いながらも公式刊行物としてしまった市浦村(現五所川原市)も、同じ香りが漂います。
この感覚の延長線上には夕張市があるのかもしれません。
新郷村には水芭蕉群生地や豊かな自然などがあって、何もなくても素晴らしい所だと思うのは私だけでしょうか。






山菜カーデニング

2010-05-10 | ガーデニング
今の季節は山菜取りのシーズンなのですが、青森県は自然が豊かで、うっかり山など入って行って熊に遭遇することを考えると軽々しく山菜取りに行くことは気が引けます。
山菜には葉や花も綺麗で花壇の彩りになるものも多いので、ガーデニングとして植えておくと季節になれば採りたてのものが味わえますね。
わが家の庭では、コゴミ、ゼンマイ、アサツキ、ウルイ、アケビ、ヤブカンゾウ、ナルコユリなどを花壇に植えています。
アサツキ、ウルイは6~7月ごろ、ヤブカンゾウは8月ごろに花を咲かせます。
昨年の写真から探してみました。

食べられるものは多いのですが、結局食べているのはアサツキだけでした。
特にシダの仲間は葉が美しくて日陰の花壇の主役になりつつあります。


コゴミ 明るい緑色が綺麗です           ウルイの花


アサツキの花 薄紫色です        ヤブカンゾウの園芸品種