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赤倉信仰と栄助様

2012-01-30 | 民俗
巫病と言うものがあって、神の託宣を聞く人が、その力を得る前に罹る体調の変化を指しています。
青森県はイタコやゴミソ、オカミサンなど巫業に関わる人が現在もいて、そういった技能を身に付けた時の話を聞くことも多い。
そんな風土であるため、巫病らしき病の人がいればその人の経過に関心を持つ事も多くあり、巫業というのは神がかりをする本人と周囲の期待との間に生まれてくる職業とも言えるでしょう。

板柳にある赤倉神社は、赤倉沢で神になったといわれる明治時代に実在の人物を祭っている社です。
奥の院は岩木山の赤倉霊場にあり、板柳の赤倉神社は、その人の家の敷地に創建された神社で、今も信仰する人は多いと感じます。
明治時代の人物ですから古い社ではありませんが、信仰心がどのように醸成されたのか。また、この地方特有の信仰感覚を考える上で人々がどのように認識していたのかがよく分かる、そんな神社でもあります。
地域によって信仰の形は変わってきます。でもその違いこそが地域の特色を炙り出す指標のような物だったりします。
津軽という独特の文化を、このような信仰心から考えてみるのも興味深いものです。
「古い」というのは、実はとても大きな魅力の源泉だと確信しています。



新和村種市の対馬佐治兵術といふ人の兄が代わり者で山人になったといわれてゐる。十七、八歳のころから性質がボンヤリとなり、寒中でも白衣一枚で褌をしないで座って目をつむり、人が近寄っても他を向いて物も言わないといふ風で、いつ誰が言ったともなく、この人を神様と呼び、その父の手を経てこの神様から護符をもらうやうになった。しかし、心が進まぬ時は、いくら父から乞はれても与えてくれず、尚はげしく言われる時は日をつむったまま、座ってゐるところを探ってふれたものを手あたり次第にくれてやった。多くは節のある一、二寸のわら片であるが、そういふ時は神様のきげんが悪いから病人の看護に気をつけよと、その父が護符を乞ふ人々に注意してやるが、その病人は助かることはなかったといふ。(中略)
寒中でも、例の学衣で外出し、三十日間も家に帰らないこともあった。ある時、今日は遊びに行くぞといふので、父が握り飯二つを持たせてやったが、それっきり一ヶ月経ってもニケ月経っても帰らなかった。父も心配して村人に頼んで山を探したところ、岩木山の赤倉といふところに着物が、たった今脱いだやうに捨てられてあったので、父は帰宅する腹がないのだらうといって、そのまま引返した。
翌年、この家の苗代田の傍の平地の体み場に不思議にも清水が湧くやうになったが、地方の人は、これは神様の与へた水だといって崇め、眼を痛む人がこの清水で洗ふと治るといはれ、今はここにお堂も建ってゐる。

『津軽海峡夜話』―― 福士四郎、昭和一五年「種市の神様」






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青森の刺子と編み物のデザイン

2012-01-26 | 手仕事
単純な手作業をしている時には、不思議とよく考え事がまとまります。
夏なら草取りで、冬なら編み物なのですが、つい凝ったデザインにしてしまうと集中しすぎてその他の思考が出来なくなってしまいます。
それはそれで、思い悩んでいる時には気持ちを落ち着かせる効果があって良いものです。

編み物のデザインは目数の計算と組み立てがほとんどで、女性的な趣味の割に算数の要素が強く、エクセルを使ってなんとか図面を作れないかと四苦八苦していました。
北欧のニットのデザインは、津軽コギン刺しや南部菱刺しのデザインと似ています。
基本的にマス目に白黒をつけて作り出す模様なので、制約上似たものが出来上がるのでしょうが、雪に閉じ込められる冬の期間があるという風土が同じだからと考えるのも想像としては面白い。
雪に包まれた風景の季節に似たようなデザインを思いつくという、人の美的感覚と風土の関係性は、もしかしたらあるのかもしれないと感じる思い付きでした。
そんな青森のデザインを使ったニット・パターンを作るのも楽しそうだと考えています。
旧小牧温泉内の小川原湖民俗博物館に収蔵されている刺子作品が、三沢市先人記念館で公開されそうだとのニュースがあり、ぜひ見に行こうと思っています。


青森屋が三沢市に「さしこ」寄贈
(本文)三沢市の星野リゾート青森屋(旧古牧温泉)を運営する三沢奥入瀬観光は25日、国の重要有形民俗文化財「南部のさしこ仕事着」64点を市に寄贈した。青森屋内にあった64点はもともと「小川原湖民俗博物館」が所蔵していた。2007年4月に同館が閉鎖されたことにより、管理が困難になっていたという。市は当面、市先人記念館で保管し、展示に向けた準備を進める。



宗教の効用について

2012-01-15 | 民俗
小正月も過ぎ、各種の正月行事もほぼ終わりました。
鏡餅やしめ飾り、初詣など、何がしかの正月行事を行っている人は多いと思います。
日本人は無宗教とよく言われますが、正月やお盆は地方においては今でも大きな行事ですし、何もしない場合でも意識はすることでしょう。

オウム真理教の事件から特に、「宗教は怖い」と考えられるようになったと感じます。もちろん私もそんな感覚を持つようになりました。
わが家には仏壇も神棚もありませんし、節目の行事もささやかに行うだけで、無宗教と言えば言えるのですが、完全に全部を取りやめると決意できるほど無宗教を自覚的に志向しているわけではありません。

三頭木を調べていくにあたって、民間信仰に関する書籍を読む機会が増えました。
明治維新後に、国家神道を普及させるための民間宗教の整理・統合と禁止の際に、庚申塔や山の神、賽の神など、伝承がはっきりせずに村の神社にまとめられた石碑もたくさんあると知りました。
道端に建てられている石碑などは、教義や伝承などと関わりなく信仰されていた存在でした。
これらの民間信仰につきものだったのが「講」の存在です。
現在でも百万遍塔の前で念仏数珠をたぐる風習は残っている地方も多いのですが、講は地縁に限らず血縁であったり知人による集まりであったりと、人間関係を複数化する働きがあったと思われます。
この「講」は相互扶助的な側面があり、経済に限らず困ったときの相談相手の幅を広くしていたとも考えられます。

現代でも人間関係の複線化の重要性はよく言われていますが、人間関係の構築は何もない所から作り上げるのは難しいものです。
人づてに何かの信仰に関わり、定期的な集会に参加し帰属性を育てるのは、行政によるセーフティネットのない時代には不可欠のものだったのかもしれません。
「村八分」など閉鎖的な社会と思われている地方の実情は、民間信仰によって複雑な人間関係を作り上げていたのかもしれません。
人間関係の構築という点で、現代にも通じる知恵なのだと感じています。
一概に宗教は怖い物とも言えませんし、取捨選択する目を養いながら、宗教にコミットすることも必要なのかもと思うようになりました。







謹賀新年

2012-01-02 | その他
ブログを書き始めて3年になりました。
最近は更新も少ない状態ですが、いつもご訪問いただきありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。

最近は読書に明け暮れていまして、三頭木に関するあれこれを調べています。
裾野が広く不明な点も多いため、妥当な解に到達してはいませんが、引き続きこの言い伝えを探っていこうと思っています。
三つ又の木の言い伝えや関連書籍をご存じでしたら、御一報いただけると大変助かります。