詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」

2023-05-14 15:15:20 | 詩(雑誌・同人誌)

奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」(「マゼラン・フューチャー」02、2023年04月30日発行)

 奥間埜乃「わたしは形容されない安らいだフィールド」の書き出し。

 冬鳥が飛び立つある雪の午后、細い鉤爪のひと蹴りに
小枝が振れるその震動を、応答として記録する一篇の詩
がある。 

 こうした繊細な描写は、最近は見かけないので、目が吸いよせられてしまった。小枝が振れる→その震動→応答→記録という、とてもていねいな変化がいい。いまはやりの、奇妙な「脱臼感」がないのが、私は好きだ。とくに「振れる」から「震動」への変化がおもしろい。動詞をわざわざ名詞に言い直している。そのとき「その」という指示詞がつかわれている。不思議な粘着力が、文体を飛躍させる。粘着力と飛躍は正反対のものだが、「その」の粘着力(接続)によって、「応答」が生まれている。だれの応答? あるいは何の応答? それは書かずに、いきなり「記録」へとふたたび飛躍する。そういう「接続」を振り切り、飛躍することが「詩」なのだ、と、この一連は告げている。
 二連目。

 テクストのこまやかな白息に沿わせ、誰の想像にもの
ぼらない辛苦の染みを、丁寧にやがて旋律へ溶け込ませ
てゆく。

 ことばの動きの繊細さは、一連目を引き継いでいるようで、何かが変質している。一連目にあった「その」の粘着力(接続)がない。
 まあ、すでに飛躍したのだから(詩になったのだから)、そこから先は「その」が不必要ということかもしれないが、妙に私は物足りないと感じてしまう。
 「記録(あるいは詩)」は「テキスト」へと引き継がれていくのだが、ここには「振れる」という動詞を「震動」に置き換えたようなしつこさとずれがない。「その」を補うべきことろがない。
 どこにでも隠れているはずなのに、どうしても表に出てくるしかなかった「ことばの肉体(思想)」を私は「キーワード」と呼んでいる。一連目にあった「その」は「キーワード」であると思って読み始めた私は、ここで、ちょっと読む気力が落ちる。
 詩は、このあと、こう展開する。

 わたしは形容されない安らいだフィールド。

 耳を澄ます。口唇が開く。息に漏れる。

 柔和な体温を届けうるとき、過ぎ去りし日々として虚
空にほどける白い紙には、一条の希望があたかも読点を
打つ行為の比喩に映っただろうか。

 「白息」(二連目)が「息」(四連目)と「白い紙」(五連目)に、「テキスト」(二連目)が「フィールド」(三連目)「紙」(五連目)へと引き継がれながら、「読点」(五連目)を折返点にして「記録」(一連目)へと循環する。
 とても丁寧なのだけれど。
 とても丁寧であるだけに、「その」はどこへ消えてしまったのか、と私は疑問に思うのである。全体を通じて「ことば」の選択は統一されているが、「文体」は激変している。
 「その」が印象づける「接続/粘着力」ではなく、「飛躍」の詩である、と奥間はいうかもしれない。

 まあね。

 途中を省略するが、最終連だけ、一行空きではなく二行空きにして、こう終わる。

 ページを埋めて、とあなたは哭した。

 なんだか、古くさいことばを読まされている気になった。
 思い返すと。
 荒川洋治がつかった「その」は、荒川以前の「散文」と荒川の「文体」を切り離す力を持っていたのかもしれない。(つまり、新しい「文体」の展開だったのだ。)たぶん、戦後の英語教育(翻訳文体)の影響で、私たちの世代に自然に浸透したために、あまりそのことに気づくひとはいないのだろうけれど。
 一連目の「文体」に感心し、書き始めたのだけれど、読み進むと、期待外れだった。私が詩に求めているものが違うだけなんだろうけれど。

 

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