詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

草野心平「デンシンバシラのうた」、青柳俊哉「あじさいの森」

2023-05-14 22:51:47 | 現代詩講座

草野心平「デンシンバシラのうた」、青柳俊哉「あじさいの森」(朝日カルチャーセンター、2023年05月01日)

 草野心平の「デンシンバシラのうた」を読んだ。

デンシンバシラのうた  草野心平

そんなときには。いいか。
デンシンバシラとしゃべるんだ。

稲妻が内部をかけめぐり。
丸い蜜柑がのけぞりかえる。
そんな事態になったなら。
白ちゃけて。唸るようにさびしくなったなら。
人じゃない。相棒になるのは。
夜中の三時のデンシンバシラだ。

デンシンバシラはゆすっても。
デンシンバシラは動かない。
手のない。指のない。見えない腕で。
デンシンバシラは。しかし。
お前を抱くだろう。

ありっこない。そんなことが。
そんなことの方がまだあるんだ。

ちぐはぐで。ガンジガラメで。
遠吠えしてもまにあわない。
そんなときには。霙にぬれて。
夜中の三時のデンシンバシラだ。

 受講生が皆と一緒に読んでみたい詩、ということで持ってきた作品。
 さびしいとき、悲しいとき、頼るのがデンシンバシラ。デンシンバシラに頼るという発想にびっくりした。内面のあらわし方がすごい。「夜中の三時のデンシンバシラだ。」が印象的。誰にもどこにもぶつけようのない自分の気持ちが表現されている。「デンシンバシラはゆすっても。/デンシンバシラは動かない。」という入り方が、思いつかない。デンシンバシラがカタカナなのがおもしろい。相いれないものと対峙、対話し、デンシンバシラの内面に入っていこうとしている。デンシンバシラと草野心平のあいだには絶対的な断絶がある。その断絶を越えて、そのものになろうとしている。
 いろいろな声が聞こえた。私は、「ありっこない。そんなことが。/そんなことの方がまだあるんだ。」と書いてあるが、何がありっこない(ない)のか、と問いかけてみた。
 デンシンバシラが「お前を抱く」ということがありえない。手がない。指がない。
 「では、何があるんだろうか」
 見えない手で「お前を抱く」ことがある。それは何か、人間の想像を超えたものとして、そこに立っている。理解できないことの方が、この世界にはある。
 もひとつ、質問。「草野心平と、デンシンバシラの、どっちの方が見える?」
 草野心平の気持ちを書いているけれど、デンシンバシラが印象に残る。デンシンバシラに自分を投影しているように見える。デンシンバシラと草野心平が一体になっている。区別がつかない。
 そうなのだ、と私も思う。
 ここに書かれているのは、どこにでもあるデンシンバシラではない。絶対的な存在としての、デンシンバシラ。草野心平が書くことで生まれてきたデンシンバシラなのである。草野心平はデンシンバシラになって、草野心平を抱いているのだと思う。デンシンバシラになって、草野心平に語りかけている。
 タイトルがとてもおもしろい。「デンシンバシラ」ではなく、「デンシンバシラのうた」。それは、デンシンバシラが歌っているのだ。その「歌声」を草野心平が聞き取ったのだと思う。

あじさいの森  青柳俊哉

あじさいの森へ行く
雨の色が すべての花びらを
通過して 土のうえを青くながれる

花びらを食む
一頭の蛾の幼虫
月の黄土色に染む

花びらがすべて
藤色の蛾へかわるとき
雲は 海辺を巡礼する黒衣の女の
行列のように 空を渡っていく

色彩は世界の外にあり 
水のふる空へ あじさいが飛び立つ

 あじさいが動いている。変化している。「巡礼する」ということばにひっかかった。「あじさいが飛び立つ」は蛾と一緒に飛び立っていくのだろうか。色が変化していくが「色彩は世界の外にあり」という意味がよくわからない。
 最後の疑問については、青柳から、色があることは、そこに存在するものとは無関係、色は本質的な存在ではない、世界の本質ではないという考えが語られた。「移ろうこと」が世界の本質という考え方である。
 受講生の感想にあった「あじさいが動いている」の「動いている」は、そういう意味では、青柳の世界をがっしりと把握しているといえるだろう。
 青柳は「蛾の幼虫がガーベラの花びらを食べたらガーベラ色になった、ということをもとに詩を書いた」とも語った。二連目に蛾が出てくるのはその影響だろう。また、それが最後の「飛び立つ」という動詞を呼び覚ましているかもしれない。

 


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