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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

リッツォス「タナグラの女性像(1967)」より(7)中井久夫訳

2008-12-28 00:24:05 | リッツォス(中井久夫訳)
一覧表    リッツォス(中井久夫訳)

夜には、別の壁が壁のまた後ろにあるのを本能が教えるだろうか。鹿も
泉の水を飲みにやってこようとせず、森に残る。
月が出ると、第一の壁が砕ける。次いで、第二、第三の壁も。
野兎が降りてくる。谷で草をはむ。
あらゆるものが、そのままのかたちとなり、やわらかで、輪郭がぼんやりして、銀色だ。
月光のもとの雄牛の角も、屋根の上のフクロウも、
河をあてどなく流れ下る、封印をしたままの梱包も--。



 リッツォスの作品としては、かなり珍しい部類の作品だと思う。人間が登場しない。主役は「夜」である。とても美しい。自分のいのちをまもって静かに生きる動物たちの姿が、とても静かだ。
 そして、最初に「人間が登場しない」と書いたけれど、その静かな姿のそばを、人間の形をしない人間が通っていく。河を流れる「梱包」。そこには「人間」の匂いがする。その匂いが夜のなかで異質に輝く。
 詩は異質なものの出会い--そういう定義に従えば、ここに詩がある。そして、この詩の特徴は孤独である。「梱包」さえも、他者から離れ、孤立している。封印をほどかれないまま流れてきた--これは、別の見方をすれば、封印をしたまま流されてきた(知られたくないものを封をしたまま誰かが流した)とも受け取れる。しかし、それをリッツォスは「封印をしたままの」と修飾する。定義する。そうすることで、そこに「梱包」の孤独が生まれる。
 この、微妙なことばのつかい方--その訳し方。孤独を愛する人間の精神が、月の光を浴びて、いま、静かな森で佇んでいる。


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