詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金井雄二『むかしぼくはきみに長い手紙を書いた』

2020-10-03 11:35:25 | 詩集


金井雄二『むかしぼくはきみに長い手紙を書いた』(思潮社、2020年09月25日発行)

 金井雄二『むかしぼくはきみに長い手紙を書いた』を読みながら思う。金井の詩を金井の出している個人誌「独合点」やいろいろな同人誌で読んできている。詩集には、読んできた作品が収録されている。(未発表もあるかもしれないが。)思い出すこともあるが、思い出せないこともある。
 「台所の床で」という作品について書いてみる。
 書いたことがあるか、書いたことがないか。私は自分のことを思い出せない。同じことを書くか、まったく違うことを書くか。できれば違うことを書いてみたい。

眠くなったら
どこにいても
眠ってしまう
電車のなかでも
風呂のなかでも
ぼくのなかでも

 私も、どこででも眠ってしまう。目をつぶれば、おそらく10秒以内で眠る。眠くなくても。
 「ぼくのなかでも」という一行に非常にひきつけられる。そうか、眠るというのは「自分のなかで眠る」ことなのか、自分自身が「眠り」の入れ物になるのか、と納得してしまう。
 このあと詩は転調する。

過去におこったいやなこと
たとえば
雨に濡れた暗い歩道で蟇蝦を踏んづけてしまったこと
風に舞った汚れたビニール袋が顔にはりついたこと
心のなかにきざみこまれたさびしい言葉など

 この部分には「思い出す」という動詞が省略されている、と思う。眠りのなかで(夢のなかで)、ここに書かれていることを思い出す。「過去におこったこと」を具体的にみっつあげている。
 ここには、私の体験(過去)に重なることは書かれていない。だが、想像はできる。想像はできるが、歩道で蟇蝦を踏んづけるというのは、どういう歩道かなあ、と悩んでしまう。汚れたビニール袋が顔にはりついた、というのも違和感が残る。私は目が悪いせいか、この二行を一緒にしてしまっていて、

雨に濡れた歩道で汚れたビニール袋を踏んづけてしまったこと

 と読み違えていた。
 そして、「雨に濡れた歩道で汚れたビニール袋を踏んづけてしまったこと」ならば、松下育男や清水哲男が絶賛するだろうなあ、と思った。
 この、だれにでもありそうだけれど、それをなかなかことばにしないでいること、それをことばにするとき生まれてくるものがある。それが、まあ、「抒情詩」の「抒情」のようなもので、それは次の行の「さびしい」ということばにつながっていく。
 雨の日に、落ちているビニール袋を踏んづけても世界が変わるわけではない。自分自身に衝撃が走るわけでもない。ただ、あ、ちょっと気持ち悪いな。できれば踏みたくなかったなあ、くらいの気持ちだろうけれど、そういう他人から見ればとどうでもいいけれど、自分の肉体には響いてくるもの。そこに「さびしさ」をみつける。「さびしさ」と呼んで、「さびしさ」と呼ぶことで、残しておく。
 でも金井は松下でも清水でもないから、そうは書かずに、「蟇蝦を踏んづけて」「汚れたビニール袋が顔にはりついた」と書くのだけれど、これは私の感覚では、逆に嘘っぽい。私はそういう体験がない、とすでに書いたが、そういうことを体験しているのを目撃すれば、そのひとの「いやな感じ」はよくわかる、と思う。そして、よくわかりすぎるから、逆にいやなのだ。
 なぜか。
 よくわかりすぎて「いや」を通り越して、きっとそのとき、私は笑いだしてしまう。思い出したって、笑いだしてしまう。
 それは「さびしい」にはつながらない。
 何か、爆発的なものを含んでいる。だから、それは「おこったこと(起こったこと)」ではなく、「怒ったこと」としてなら、私の肉体は「理解」できる。カエルをふんづけて、「くそっ」とののしる。ビニール袋を顔から引き剥がし、「だれだ、袋を捨てた奴は」と怒る。これなら納得できる。
 瞬間的に「怒ったこと(ば)」が「さびしい言葉」だったというのなら、まあ、理解できないことはないけれど、それはそれで「心のなかにきざみこまれた」とはそぐわない。 書いてあることばは全部理解できるし、そのことばで金井が言おうとしていること理解できる(つもり)。とくに「さびしい言葉」の繊細さに、私は(前後の脈絡を無視して)共感もするけれど、何か、この長々しい行のことばには親身になれないなあ、と感じる。 詩はこのあと、さらに転調する。

目を覚ますと
すべては
まっしろな色にもどることができる

 ふーん。
 これも、私は体験したことがない。「眠っていやなことを忘れてしまう」というのは理解できるが、それが「まっしろな色」というのが、納得できない。いや、これは比喩であって本当の「色(まっしろ)」ではないと理解はするのだけれど、何か、ついていけないものを感じる。「もどることができる」の「もどる」という自動詞にも「えっ」と驚いてしまう。世界がかってに「もっどていく」?

だから
いつでもどこでも
眠ってしまう
今夜もきみは
そのまま倒れ込み
冷たく乾いた
台所の床で
たった一人で
昏睡す

 あ、「ぼく」のことではなく、「きみ」のことを書いていたのか。最初の「ぼくのなかで」と「ぼくの腕のなかで」くらいの意味だったのか。「ぼく自身の肉体のなかで」ではなかったのか。これまで読んできたのは「ぼく」の体験ではなく、「ぼく」が「きみ」から聞いたことだったのか…。
 何とも言えない、不思議な、「あっ」という声が漏れてしまう。

 こういう詩を読んだあとでは、「ヴァージニア・ウルフ短篇集を読んで」が、とても気持ちがいい。ウルフを読んだあとに書いたのか、ちょっといつもの金井の「文体」とは違う。

庭園の隅にあるスズカケノキ
その幹に触れてみた
樹の内側から
水をくみあげる感触が
伝わってくるかと思ったが
なにもなかった
ただザラリとした肌の匂いが
ぼくの手にしみついた
樹の根に座り込み
本を開いた
暑くもなく寒くもなく
風は東からかすかにふいていて
サンシュの樹もあった
サトザクラの枝がのびていた
タラヨウの葉が手招きしていた
この庭園のこの場所で
本を開きたかった
ぼくは乾いた喧騒をまるめて捨てて
胃袋のなかには幸福をつめ
頭のなかを
ヴァージニア・ウルフと
そして、あの日のきみとで
いっぱいにした

 どこがいつもの金井の文体と違うか。「サンシュの樹もあった/サトザクラの枝がのびていた/タラヨウの葉が手招きしていた」この三行の、「人情」を切り捨てて動くスピードが違う。ここには「非情」がある。「非情」が、人間の「肉体」を強く刺戟する。その刺激に反応している「肉体」の健やかさを感じる。
 それは「乾いた喧騒をまるめて捨て」るという感じに昇華していく。
 もう思い出すこともできないのだけれど、ずいぶん昔に読んだ葉紀甫の『不帰順の地』には、こういう「非情」があったな、という気がする。






**********************************************************************

★「詩はどこにあるか」オンライン講座★

メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。

★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。

★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。

費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。


お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com


また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571

**********************************************************************

「詩はどこにあるか」8月号を発売中です。
162ページ、2000円(送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。

https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168079876



オンデマンドで以下の本を発売中です。

(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512

(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009

(3)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804


(4)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455

(5)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977





問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 嵯峨信之『詩集未収録詩篇』... | トップ | 破棄された詩のための注釈23 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

詩集」カテゴリの最新記事