詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

青柳俊哉「運動」ほか

2024-05-16 23:01:10 | 現代詩講座

青柳俊哉「運動」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年05月06日)

 受講生の作品ほか。

運動  青柳俊哉

樋の綻びからくずれおちる雨の言葉

雨の音にふれる時 
わたしは水の中にある
潮水の神話がみみもとをながれおちる

蝋梅の香にふれる時
蜜を吸う蜂の口が斜めにさしかけて
ほそくながくわたしはふるえる

氷の火山で空をおおう潮水の上昇気流
松林の根をうるおす雪の羽毛の神話

地に空にわたしはひろがり
わたしから離れる


 世界に言葉の分子がただよう-

 「一行がすーっと入る。たくさんのことば、イメージが重なるが、タイトルがさっぱりしている。詩に対する姿勢がタイトルと最後に書かれている。ただ最後の一行はなくてもいいのでは」「『蜜を吸う蜂の口が斜めにさしかけて』という一行が好き。地上から宇宙へ旅立つ感じ、アウフヘーベンする印象がある。最後の一行がいい」「潮水の神話』『羽毛の神話』が青柳さんらしい。ことばの拡散、分散を感じる。ことばが宇宙を反映している」「一、二、最終連が好き」「一行目がいい。二連目も好き」
 最後の一行に関して好き嫌い(?)がわかれた。
 ことばの自由な運動(いわゆるリアリティーにとらわれずに、ことばがことば自身のもっている法則(?)やリズムに従って発展していく運動)がテーマというか、その運動を書くというのが青柳の詩。そこにはいわゆる現実世界の論理ではなく、想像力の論理、ことばの運動そのものの論理がある。
 そのことば自身の論理、あるいは自立した運動という点からみると、四連目は急ぎすぎている印象がある。「氷」と「雪」の呼応があるのだが、その呼応のあいだを動いているものが速すぎてつかみきれない。「一、二連目が好き」という受講生がいたが、そこには雨、水、流れるという連絡があり、くずれ「おちる」、ながれ「おちる」という呼応もある。言葉と音、みみの連絡もある。ことばが連絡し合うとき、その連絡のなかからおのずとイメージが湧き出てくる。それは青柳が意図した通りに読者に届くかどうかはわからないが、読者はその運動を手がかりに自分のことばをみつめる。その瞬間に、詩が動くと思う。
 もう少し長い方が静かな(そして激しい)運動が明確になるのでは、と思う。
 

緑さす  杉惠美子

トンネルを抜けると
眩しい緑が 彼を迎えた
その光の中に
まっすぐに
彼は走り去って行った

その山路の直線的な空気感と
蛇行する空気感を
私は知らない
私は帰り道を失っていた


  ある時 彼方から優しい風が吹く道に
  出会い
  立ち止まれば
  優しい陽だまりに包まれた

  私はわたしを 全身で攪拌し続けた日々のことを
  少し思い出していた

  そして時折
  その日の感覚はいつも今にあるという
  断片に圧せられる瞬間に会う

 「一連目が切ない。三連目に彼があらわれてくれて、やさしい気持ちになれた。最後の一行の表現がいい」「深い詩。最後の二連が印象的。過去はいつも、いまの横にある。ことばが胸に迫ってくる」「私は帰り道を失っていたのあと、三連目に愛を感じた。深い詩」「最初の二連は現実。そのときの心情。『直線的な空気感』がいい。三連目以降は作者の内面。記憶の底にある何かを探し出そうとしている」
 この詩を深くしているは「少し」と「時折」だと、私は思う。真剣に、いつでも(いつまでも)思い出すというのは、それはそれで意味があるし大事なことなのだが、それでは「いま」というものが苦しくなりすぎるだろう。「少し」とはいっても、思い出す瞬間にそれは「少し」ではなく、その瞬間のすべてである。「時折」といっても、その「時折」は「いま」のすべてでもある。
 くりかえされている「その」ということばも大事である。「その」ということばが、過去をしっかりとつかまえてくる。杉には、その「その」が何を指しているか、はっきりわかっている。そう教えてくれる。その「その」と対峙するような「ある時」の「ある」も効果的だ。
 「去って行った」のに「出会う」、「去って行った」から「会う」。そこに、切実さがある。

白バラの声  堤隆夫

わたしの身と心に 詩があるかぎり
詩が死であるはずもなく
死は わたしのまわりのどこにもない

たった一人のあの人が 亡くなったという史は
詩の始まりであって 死の始まりではない

今朝 白バラの声に起こされた
白バラの声は たましいのレジスタンス
あなたは今も生きている

生きてゆくことは 正しいことでも強いことでもない
生きてゆくことは 弱くある自由を保つこと
わたしだけの史の歩みを続けること

生きてゆくことは 混沌から抜け出すために
百三十億年前の星のかけらの光を
手づからすくい取ること

今になってわかる
見えるものと見えないものとの陥穽に
わたしだけの自由は しめやかに沈んでいた

わたしの胸の底の貝殻の記憶の中
白バラの声は たましいのレジスタンス
あなたは今も 生きている

あなたの姿が見えない今 
あなたへの思いが募るばかりの今 

弱くあることの自由によってしか 
開けることのできない
希望への扉があることを知った

 「格調高い詩。三連目『今朝 白バラの声に起こされた』からあなたのことが書かれている。あなたのことを思っていることが切々と伝わってくる。最終連、その結び方に思いがこもっている」「『白バラの声』にずっといっしょにいたいという思いがよくわかる。『弱くあることの自由』の繰り返しが響いてくる」「詩を書く理由が丁寧に書かれている。詩を書くことによって生きている」「いま、バラの季節だが、季節の巡り、蘇り、レジスタンスのパッションがある、と感じた」
 堤から「白バラ」は1943年の反ナチス運動の「白バラ運動」を題材にして書いた、と説明があった。「あなた」は運動のために処刑されたひと。「あなた」が教えてくれたのが「弱くあることの自由」。いつも思っていることなので、詩として出すのはためらった、とも語った。
 ひとはことばなしには考えられない。思うことはできない。そして、思ったからといって(考えたからといって)、それが「ことば」として動いてくれるかどうかは、わからない。この詩には、くりかえし考えたことによって、ことばが自立して歩みだした印象がある。ことばのなかに「歴史」(過去)がある。そういうことを感じさせる。受講生のひとりが「格調」ということばをつかったが、格調とは繰り返し考えることによって鍛えられたことばの強さ、美しさのことだろう。
 この詩では「弱くある」の「ある」のつかい方がとても強烈である。この「ある」は「生きる」である。単なる「状態」ではない。そして、それは「なる」でもある。「強くなる」のではなく「弱くなる」。言い換えれば、常に「弱い立場に身を置く」である。「なる」だから、それは選択的行為である。選択的だからこそ「自由」と結びつく。そして、「なる」は「なす」でもあるからこそ、「希望」につながる。ひとはだれでも「希望」ののために何かを「なす」。
 明確な思想、人格を感じさせる詩だ。

 受講生以外の詩も読んだ。池田清子が選んできた詩。 池田は田中を砂との親和性の強いひと、砂を詩に書いていると紹介したが、読んだのは次の作品。

名づけられないもの  田中佐知

名づけられたものたちで
この 地上は あふれている
樹 空 星 薔薇 道 蝶
それと 同じ 分量 で
いや さらに 多くの
名づけられないものたちの
見えない 息吹きで いき苦しいほどに 満ちている

それは ものの まわりを とりまく
濃密 な 空気 の 流れ
見えない 精 霊 たちの きらめき
あるいは
ことば と ことば の 行間 に ひそむ 奥 ぶかい 暗や
み と 光り

また
樹 を 指し 「き」と 発する
その 実物 と ことば の間に たわむ かすかな ずれ ず
れ が 起 こ るのは
樹みずからの中から あふれる霊気が 「き」という ことばに
収まりきれない からだろうか
樹のもつ無限の力が
ことば を はるか に 超えてしまうのか

ことば を 通りこした 世界を
あえて ことば で えようとすることが 名づけられないものた
ちの 見えない力に 光りを ふりそそぐ ことになるのかもしれ
ない
その光り を

と 名づけても いいだろうか

 「詩というものを詩に書いていいのかなあ、という思いがあるのかなあ。自分自身に対する説明かなあ」「愛しさ、慈愛のこころを感じた。かなしみが、どこかに流れている」「字と字のあいだに空間がある。そこに気持ちを感じる」「ことばとものとの関係を突き詰めている。万葉人のような感覚、言霊を感じた」
 単なる「分かち書き」ではなく、普通はひとまとめのことばを、あえて分断して空白をもちこんでいる。そのとき「意味」はどうなっているのだろうか。「意味」だったものが「音」になったのか、「音」が「意味」になろうとしているか。それは、たぶん決めることができない。そのときの「空白」が闇か光か、それも決めることはできない。どちらであると決めることのできないもの、ただそこにあるものが詩なのかもしれない。

 

 

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こころは存在するか(36)

2024-05-16 14:19:49 | こころは存在するか

 神谷美恵子を読んでいて、ふいに、とても奇妙な気持ちになる。「私は神谷美恵子の文章に愛されている」と感じる。これは神谷美恵子に限ったことではないが、私は、何か好きな人の文章を読んでいると、私はその文章に愛されていると感じる。それは、私はその文章が好きという感覚よりも、何か、不思議な強さ、不思議な深さ、不思議な広がりで迫ってくる。その文章、ことばにつつまれている感じがする。このことばのなかにいる限り、私は安心できる、という感じだ。
 私は、そういう感覚を求めて、たぶん本を読んでいる。愛を知りたいというよりも、愛されているという感覚を思い出したくて読んでいる。
 これは、だから、何と言うか、「私の知らないことを知りたい」という「知識欲」とはかなり違う。「知っている何か」を確かめたいということになる。しかも、その知りたいのは、ことばにする必要のないことなのである。ひとは(私は)ことばをとおして考えるのだが、それは「意味」ではなく、ある「動き」なのだと感じている。
 この「前置き」は、これから書くこととどういう関係があるのか、私自身もわからないが、和辻哲郎の次の文章について書こうと思ったら、突然、思いついてしまったのである。
 で、その和辻の文章というのが。

同一の倫理の異なった表現はあるが、異なった倫理はない。

 私はこのことばから、突然、母や父のことを思い出すのである。前に書いたが、私の母は、私の小学校の担任だった石田先生の「遠眼鏡をもっている。みんなが何をしているか、いつでも見ている。わかっている」ということばを信じて、私に向かって何度もくりかえした。
 このことばのなかにある「倫理」は、どういうものか。ひとは不正なことをすれば、それはかならず発覚する(何か悪いことをすれば、だれかがきっと見ていて、罰せられる)ということかもしれない。ひとは、だれかが見ている、見たいないにかかわらず正しいことをしなければならない、ということかもしれない。
 この「同一の倫理」は、さまざまな異なった表現(ことば)をとる。しかし、その異なった表現(ことば)のなかに、何か「同一の倫理」がある。ひととひととの関係を律する力がある。希望がある。愛がある。
 石田先生が「遠眼鏡をもっている。みんなが何をしているか、いつでも見ている。わかっている」と言ったとき、母がそのことばをくりかえしたとき、私は愛されていたのだと思い出す。そこには希望があったのだと感じる。それは、私の希望か、石田先生の希望か、母の希望か。それは区別してもしようがない。

 「(私は)遠眼鏡をもっている。みんなが何をしているか、いつでも見ている。わかっている」ということばを、あれこれ言い換えてもしようがない。そこから「愛」とか「正義」とか「徳」というような抽象的なことば、さらに「幸福」とか「祈り」という抽象的なことばを引き出してもしようがない。和辻は彼自身の考えを突き詰めていくとき、私たちが日常的につかっている日本語を解体しながら動かしているが、その解体の対象にはならない、かなり「あいまいな広がり」をもったことばである。でも、どんなことばでも、ひとが何らかの「希望」をもって発したことばには必ず共通するものがある。それは、どうしたって「倫理」につながる。ソクラテスもプラトンも、石田先生も「見ている」ものは「一つ」である。表現が違うだけだ。

 神谷美恵子は「人間をみつめて」で、こんなことを書いている。

人間というものは、人間を越えたものが自分と世界を支えている、という根本的な信頼感が無意識のうちにないならば、一日も安心して生きて行けるはずはなく、真のよろこび、真の愛も知りえないもののだ。

 「人間を超えたもの」を「神」と呼ぶひともいる。「宇宙の真理」と呼ぶひともいる。私は「ことば(表現)のなかに動いているもの」と感じている。どんなことばも何かしら「私を越える(超える)」。それが私を愛してくれている。本を読むと、そう感じる。そう感じることができる本を読むのが好きだ。安心できる。
 神谷美恵子も和辻哲郎も、私の存在を知らない。私が彼らのことばを知っているだけだ。しかし、私は、彼らのことばを読むたびに「愛されている」と感じる。

 

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