goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(9)

2020-01-27 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

無題抄

海は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも時の行衛を知らない

 「海」と「時」は入れ替え可能な「比喩」である。つまり「海」は「時」であり、「時」は「海」である。入れ替えてみるとわかる。

時は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも海の行衛を知らない

 あるいは、これはすべて「時」について語ったことばだといえる。
 「時」はどこにもいかない。目の前にただ広がって存在する。言い換えると「あらわれている」。「時」がどこかへゆく(過ぎ去る)というのは事実ではない。
 「時」はどこへもゆかない。「行衛(行方)」などないから、だれもそれを知る必要がない。知らないのではなく、誰もが知っているのだ。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 柴田基典「夏の原理」 | トップ | 中上哲夫「ニューヨークの地図」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

『嵯峨信之全詩集』を読む」カテゴリの最新記事