無題抄
海は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも時の行衛を知らない
「海」と「時」は入れ替え可能な「比喩」である。つまり「海」は「時」であり、「時」は「海」である。入れ替えてみるとわかる。
時は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも海の行衛を知らない
あるいは、これはすべて「時」について語ったことばだといえる。
「時」はどこにもいかない。目の前にただ広がって存在する。言い換えると「あらわれている」。「時」がどこかへゆく(過ぎ去る)というのは事実ではない。
「時」はどこへもゆかない。「行衛(行方)」などないから、だれもそれを知る必要がない。知らないのではなく、誰もが知っているのだ。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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