山本かずこ『恰も魂あるものの如く』(2)(ミッドナイト・プレス、2020年09月23日発行)
「女主人の理由」は不思議な詩だ。
たしかに子どもからみると、大人はだれでも年をとって見える。そういうことは、ある、とうなずきながらことばを読む。
ところが、この一連目の最後に、こんな二行がある。
ふーん。わざわざ「その頃は/気にならなかったからだ」と書くのは、いまは(いまごろになって?)気になるからだろうか。
何気ないことばなのだが、ここから山本の「正直」がはじまる、という「予感」のようなものがある。
このあと、山本は妹と二人でエプロンを買いにゆく。母の日の誕生日にプレゼントしたくて、小遣いを貯めていたのだ。このときも女主人は笑わない。そのとき、お金が足りたのかどうか、いまになって山本は反省(?)している。もしかすると、足りない金は、あとから母が払っているかもしれない、と。この反省のようなこともおもしろいはおもしろいのだが、その先。
白いエプロンを輪プレゼントすると、
ここがいいなあ。(ほかもいいのだけれど。)そして、この「いいなあ」と思うことが、ことばにならない。なぜ、ここがいいなあ、と思うのか。
「女主人から/解放された」という気持ちが、なんとなくわかるからだが、はっきりとはわからない。
これを山本は、こう語り直している。
私は、しかし、この山本の「理由」の説明に納得しているわけではない。私の感動はちょっと違ったところ(ぜんぜん違ったところ?)にある。
つまり、こんなふうに「誤読」する。
ということばを山本はつかっている。「警戒」。子どもには、まだわからないことば。わからないけれど、子どももまた、わからないままにケイカイする。
女主人が笑顔を見せなかったように、山本も妹も、女主人に対して笑顔を見せなかっただろう。
エプロンを買ってきて、母に渡し、母が笑顔になって、「母の笑顔を合図のようにして」、山本と妹のケイカイ(緊張)が溶けたのだ。
ケイカイは緊張でもあったのだ。むしろ、ケイカイはおおげさで、緊張の方がより正直かもしれない。
ひとはだれでもケイカイもするし、緊張もする。それは不必要なときもある。たとえば、『故郷』の「別離」は不必要なケイカイであり、緊張である。そのケイカイ、緊張は、相手が危険を及ぼすかもしれないというケイカイ、緊張ではなく、逆に、自分が相手を傷つけてしまうかもしれないというケイカイ、緊張でもあるのだ。
「女主人の理由」にもどって言えば。
山本と妹はケイカイし、緊張している。何に? 笑わない女主人がこわいから? そうではなくて、たぶんはじめての母へのプレゼント(小遣いを出し合って買った、はじめてのプレゼント)を母が喜んでくれるかどうか、それを心配している。気にかけている。
母が笑顔を見せたのだ、「あ、喜んでもらえた」と「わかる」。わかって、それまでの緊張がほどけていく。
それまでは、緊張していて「手が離せなかった」。この「離す」と「散る」という動詞の中に、山本の「解放感」が動いている。
と山本は書いている。そして、その「わかったこと」というのは、実は「女主人の理由」というよりも、山本自身の「緊張感」と「解放感」のことなのだ。自分自身こそがケイカイし、緊張していた。
それはケイカイし、緊張するようなことではない。
だからこそ、それは「ことば」にならないまま、記憶のどこかでほったらかしにされていた。これから先もほったらかしのままでもだれも困らない、どうでもいいようなケイカイと緊張。
でも、そういう「時間」はたしかにあったのだ。その「時間」を山本は生きてきた。それをふいに思い出している。書くことで、はじめて「わかった」。
この詩を書いたあとで、山本は「にこり」よりももっと小さい笑顔をしたと思う。それは、目の輝きが瞬間的に明るくなるような、小さな変化だと思う。そばにだれもいないし、だれも気づかない。でも、きっと一瞬、こころが「笑顔」になったと思う。
そういう変化が「わかったことがある」ということばのなかにある。
もちろん私の書いていることは「誤読」で、山本は一連目で書いた「わからない/知らない」が「わかった」かわったということ、「女主人が笑顔を見せない理由」を説明していると理解するのが「正しい」のかもしれない。しかし、私は、そういう「論理構造」のなかだけで山本のことばに触れたいとは思わない。「わかった」結果ではなく、「わかる」までの過程でおきたこと、この詩では、母親の笑顔と山本と妹の関係が大事なのだと思う。それがなければ「わかる(結論)」はありえないからだ。「結論」ではなく「過程」のなかに、ひとは生きている。
きのう読んだ「還暦の鯉」も似ている。途中に挟まれた、父と山本の会話がなければ、詩の「結論(?)」はないのだ。「結論」から「過程」へ引き返し、その「過程」を生きることが詩を体験することなのだと思う。
山本のことばには、何か、書いている「対象」を超えていくひろがりがある。自他の区別がふいに消える瞬間がある。消えるといっても、絶対に消えないものがあるのだけれど、その絶対に消えないものを間にして、その絶対をつらぬいてしまう力がある。
きのう読んだ「還暦の鯉」。「生きている(さかなのにおい)」は「死んでしまう」を含んでいる。生と死の区別は絶対的で、だれにも変えることができないのに、その二つは「想起」のなかで融合し、別の次元、生でも死でもないもの、「名詞」ではとらえられないものとして動く。
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「女主人の理由」は不思議な詩だ。
小川商店には
女主人がいた
着物をきていた
ように思うが
実際にはわからない
ずいぶん
年をとって見えたけれど
それも わからない
小さな
わたしからすると
みんな だれでも
年をとって 見えたからだ
女主人は 笑わなかった
笑った顔は 見なかった
はたして
女主人は 笑うことがあったのか
それも知らない
たしかに子どもからみると、大人はだれでも年をとって見える。そういうことは、ある、とうなずきながらことばを読む。
ところが、この一連目の最後に、こんな二行がある。
その頃は
気にならなかったからだ
ふーん。わざわざ「その頃は/気にならなかったからだ」と書くのは、いまは(いまごろになって?)気になるからだろうか。
何気ないことばなのだが、ここから山本の「正直」がはじまる、という「予感」のようなものがある。
このあと、山本は妹と二人でエプロンを買いにゆく。母の日の誕生日にプレゼントしたくて、小遣いを貯めていたのだ。このときも女主人は笑わない。そのとき、お金が足りたのかどうか、いまになって山本は反省(?)している。もしかすると、足りない金は、あとから母が払っているかもしれない、と。この反省のようなこともおもしろいはおもしろいのだが、その先。
白いエプロンを輪プレゼントすると、
母はびっくりして
そのあと
よろこんでくれた
母の笑顔を合図のようにして
わたしと妹は
つないでいた手を ぱっと離し
それぞれに それぞれの
遊びに散った
にこりともしない
小川商店の
女主人から
解放された瞬間だった
ここがいいなあ。(ほかもいいのだけれど。)そして、この「いいなあ」と思うことが、ことばにならない。なぜ、ここがいいなあ、と思うのか。
「女主人から/解放された」という気持ちが、なんとなくわかるからだが、はっきりとはわからない。
これを山本は、こう語り直している。
この詩を書いていて
わかったことがある
女主人は
ケイカイしていたのだ
この村に
K市から
わたしたち一家は
引っ越してまもなかった
「よそ者」
と呼ばれる存在であった
女主人は
笑顔を見せるわけにはいかなかったのだ
女主人は
にこりともするわけにはいかない
理由があったのだ
私は、しかし、この山本の「理由」の説明に納得しているわけではない。私の感動はちょっと違ったところ(ぜんぜん違ったところ?)にある。
つまり、こんなふうに「誤読」する。
ケイカイ
ということばを山本はつかっている。「警戒」。子どもには、まだわからないことば。わからないけれど、子どももまた、わからないままにケイカイする。
女主人が笑顔を見せなかったように、山本も妹も、女主人に対して笑顔を見せなかっただろう。
エプロンを買ってきて、母に渡し、母が笑顔になって、「母の笑顔を合図のようにして」、山本と妹のケイカイ(緊張)が溶けたのだ。
ケイカイは緊張でもあったのだ。むしろ、ケイカイはおおげさで、緊張の方がより正直かもしれない。
ひとはだれでもケイカイもするし、緊張もする。それは不必要なときもある。たとえば、『故郷』の「別離」は不必要なケイカイであり、緊張である。そのケイカイ、緊張は、相手が危険を及ぼすかもしれないというケイカイ、緊張ではなく、逆に、自分が相手を傷つけてしまうかもしれないというケイカイ、緊張でもあるのだ。
「女主人の理由」にもどって言えば。
山本と妹はケイカイし、緊張している。何に? 笑わない女主人がこわいから? そうではなくて、たぶんはじめての母へのプレゼント(小遣いを出し合って買った、はじめてのプレゼント)を母が喜んでくれるかどうか、それを心配している。気にかけている。
母が笑顔を見せたのだ、「あ、喜んでもらえた」と「わかる」。わかって、それまでの緊張がほどけていく。
わたしと妹は
つないでいた手を ぱっと離し
それぞれに それぞれの
遊びに散った
それまでは、緊張していて「手が離せなかった」。この「離す」と「散る」という動詞の中に、山本の「解放感」が動いている。
この詩を書いていて
わかったことがある
と山本は書いている。そして、その「わかったこと」というのは、実は「女主人の理由」というよりも、山本自身の「緊張感」と「解放感」のことなのだ。自分自身こそがケイカイし、緊張していた。
それはケイカイし、緊張するようなことではない。
だからこそ、それは「ことば」にならないまま、記憶のどこかでほったらかしにされていた。これから先もほったらかしのままでもだれも困らない、どうでもいいようなケイカイと緊張。
でも、そういう「時間」はたしかにあったのだ。その「時間」を山本は生きてきた。それをふいに思い出している。書くことで、はじめて「わかった」。
この詩を書いたあとで、山本は「にこり」よりももっと小さい笑顔をしたと思う。それは、目の輝きが瞬間的に明るくなるような、小さな変化だと思う。そばにだれもいないし、だれも気づかない。でも、きっと一瞬、こころが「笑顔」になったと思う。
そういう変化が「わかったことがある」ということばのなかにある。
もちろん私の書いていることは「誤読」で、山本は一連目で書いた「わからない/知らない」が「わかった」かわったということ、「女主人が笑顔を見せない理由」を説明していると理解するのが「正しい」のかもしれない。しかし、私は、そういう「論理構造」のなかだけで山本のことばに触れたいとは思わない。「わかった」結果ではなく、「わかる」までの過程でおきたこと、この詩では、母親の笑顔と山本と妹の関係が大事なのだと思う。それがなければ「わかる(結論)」はありえないからだ。「結論」ではなく「過程」のなかに、ひとは生きている。
きのう読んだ「還暦の鯉」も似ている。途中に挟まれた、父と山本の会話がなければ、詩の「結論(?)」はないのだ。「結論」から「過程」へ引き返し、その「過程」を生きることが詩を体験することなのだと思う。
山本のことばには、何か、書いている「対象」を超えていくひろがりがある。自他の区別がふいに消える瞬間がある。消えるといっても、絶対に消えないものがあるのだけれど、その絶対に消えないものを間にして、その絶対をつらぬいてしまう力がある。
きのう読んだ「還暦の鯉」。「生きている(さかなのにおい)」は「死んでしまう」を含んでいる。生と死の区別は絶対的で、だれにも変えることができないのに、その二つは「想起」のなかで融合し、別の次元、生でも死でもないもの、「名詞」ではとらえられないものとして動く。
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