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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

破棄された詩のための注釈(8)

2015-03-12 01:33:55 | 
破棄された詩のための注釈(8)

「鏡」を定義すると、「物を映すもの」になるかもしれない。しかし、実際のつかわれ方から考え直すと、鏡は形を整えるものである。ひとは、朝、鏡のなかで自分の顔を整える。顔を整えることは、こころを整えることであるというひともいる。詩人はこの定義の「整える」という動詞を活用して「男は鏡のなかに必要なものがすべて映るように部屋を整えた」という一行を書いた。これは彼の「現実」の報告である。読みかけの本(クンデラ)とモレスキンの黒い表紙のノート、2Bの鉛筆の位置を決め、こころが落ち着くと、彼は鏡を磨いた。鏡が清潔になると、本とノートと鉛筆が美しい影を机の上に広げるのが、鏡のなかに、わかった。

この詩が中断し、破棄されたのは、男の部屋に女がやってきたからである。女は「この鏡、嫌いだわ。鏡のなかから、鏡の外にいる私をのぞいている」と言って、壁から外すことを主張した。静謐が破られた。静謐とは「朱泥のようなものである」。「朱泥」が「比喩」になって突然浮かんだ。鏡の底にはってある銀を裏側からささえる朱色。しかし次の行が思い浮かばない。女が去った後、「壁に鏡の輪郭をした白い影が残った」という行は何度も書かれ、そのたびに傍線で消された。






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