goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

大西若人「大地に刻まれたパターンへの感性」

2009-01-08 00:04:13 | その他(音楽、小説etc)
大西若人「大地に刻まれたパターンへの感性」(「朝日新聞」2009年01月07日夕刊)

 「ランドスケープ----柴田敏雄展」の紹介記事。その最後の部分。

 まねできそうに見えるのは、表現が明確な輪郭を備えている証しだろう。でもまねできないとしたら、表現がもっと深い構造を備えている証しだ。

 この2 行に詩を感じた。「まねできそうに見える」、でも「まねできない」。その距離の遠さ、その間に存在する淵の深さ。それが、ぐい、と体のなかに侵入してくる。
なぜだろう。
 同じことばが繰り返されている。「まね」「表現」「備えて」「証し」。その繰り返しが、同じことばをつかってしか言えないことがあり、繰り返すことで、同じ実は違ったことに触れていることを暗示し、互いに拮抗し、距離と深淵を強調するのである。そして、その非常に接近したことばどうしがショートし、火花を散らすようにして、繰り返されないことばが、瞬間的に炸裂する。
 「明確な輪郭」と「深い構造」。さらに「証しだろう」(推測)から「証しだ」(断定)への飛躍。
 あ、これは全く違った概念なのか。それとも違った形に見えるだけで同じ概念なのか。
 ふいに意識が覚醒させられる。答えのないまま。いいなあ。この感覚。酔ったように、私は大西の文章を読みなおしてしまった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« セドリック・クラピッシュ監... | トップ | リッツォス「棚(1969)」よ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

その他(音楽、小説etc)」カテゴリの最新記事