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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アントワン・フークア監督「クロッシング」(★★★)

2010-12-20 09:16:20 | 映画
監督アントワン・フークア 出演 リチャード・ギア、イーサン・ホーク、ドン・チードル、ウェズリー・スナイプス、エレン・バーキン

 リチャード・ギアという役者は、私は嫌いである。さえない。貧乏くさい。花がない。孤独――の匂いがする。この映画では、定年間近の、ただただ問題もなく定年までたどりつき、年金をもらうことだけを考えている。あ、ぴったり、と私は思う。適役じゃないか。孤独感が、いままでのどの映画よりも絵になっている。
 でも、そういう孤独人間でも、自分にできる最良のことは何かを考え続けている。それが少しづつあきらかになる。コンビニでの、新人警官の発砲の責任は自分にあると主張し、身を引いていくシーンは味があるなあ。上司に、こんな風に証言しろと言われるのだが、かたくなに拒む。このときの孤独感が、お、美しいじゃないか、と思う。彼の孤独は、仕事の中だけで完結し、仕事があるかぎり孤独ではないのだ。変な言い方だが、リチャード・ギアの孤独は仕事の孤独なのだ。
 警察の仕事、警官の仕事は、まあ、理解されない。反感をかいやすい仕事だ。仕事そのものが孤独であることが、たぶん宿命なのだ。そして、それが孤独であるとき、その仕事は美しい、ということかもしれない。誰も知らないところで完結していい、もしかすると何もしなくてもいい状態で仕事が完結するのが警察というところかもしれない。
 変な警官なのだけれど、その変なところが一種の「理想」を逆説的に暗示しているのが、この映画のおもしろいところかもしれない。
 クライマックスも、リチャード・ギアが考えていることは、誘拐され虐待されている女性を救うことだけ。誰かを殺すというようなことは考えていない。なるほどなあ、ここに、この映画の「理想」が描かれているわけか・・・。
 他の二人の警官、イーサン・ホークとドン・チードルも孤独なのだけれど、二人の孤独は美しくない。まわりの人と「友情」があるからだ。孤独だけれど、その孤独は、あるひとと「友情・愛情」があるために感じる切なさである。この仕事は自分のもの、という「完結」がない。イーサン・ホークは悪徳警官だから肯定されてはいない。これは当然として、ドン・チードルは一種のエリート(?)、花形に属するけれど、やはり「親身」には描かれていない。
 でも、この映画では、誰に肩入れして映画を見ればいいのかなあ。映画を見終わって、このシーン、この台詞を真似してみたい、というものがない。こんな映画は私は好きになれない。私はミーハーだから、映画を見たら、やっぱり主人公の気持ちで映画館から出てきたいのだ。


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