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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ブレイクを読む(2)

2006-02-18 23:42:06 | 詩集
 論理の強靱性も「詩」になる。

老年は静観的なものです、巡りゆく年々は
心の宝庫に果実をもたらします、
一方空(うつ)ろな若年は熱望しそれ自身の内部を
捜し回ります、そして不平を見出すのです、
それから考えることに飽きて、短気に飛び出し、
時の果実を摑まえる、経験を攻撃する、
広大な大自然の森をうろつき回る、そこでは何の限界も
設けられず、おそらくもっもと速いのが場所を取り、最も強いのが
獲物を見つけるでしょう、がやがて到頭疲れて、変わりゆく一様性、
昔からの多様性に満腹しうんざりして、
我々は坐りこんでしまいます、そして嫌悪と反感とをもって
我々のかつての喜びをうち眺めるというわけです

 老年と若年を「果実」を中心にして対比する論理力。ここにはイギリス人の得意な自己を相対化する視力が生きている。
 「一様性」と「多様性」の対比も強烈である。

 「詩」はいつでも対立したもの(老人と若年、一様性と多様性)の出会い、衝突のなかから生まれる。

 (引用は、梅津済美訳「ブレイク全著作」名古屋大学出版界より)

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