地下室付三階建 リッツォス(中井久夫訳)
三階には貧乏学生が八人。
二階にはお針子が五人と飼い犬が二匹。
一階には地主とその養女と。
地下室には籠類と瓶類とねずみと。
三つの階の階段は共通だった。
ねずみは壁を登った。
夜、汽車が通る時、ねずみたちは
煙突から屋根に出て、
空を眺めた。雲も。庭の柵も。
料理店の灯も。
その下ではお針子が鎧戸を閉めた、
口にいっぱい針をくわえて。
*
静かなスケッチである。
6行目からはじまる「ねずみ」の描写がおもしろい。ねずみがほんとうに空を眺めたり、料理店の灯を眺めたりすしたかどうかは、わからない。ねずみはほんとうはそんなことをしないかもしれない。けれど、そうさせたい。ねずみに、そういう行為をさせたい。--それは、その建物のなかにいる人間たちの夢である。ねずみに託して、そういう夢を見ているのだ。それは、そこに住む人間たちがしたくてもできないことなのだ。時間がなくて……。
人間は、たとえば「お針子」は、ねずみになって、ずーっと何かをみつめているという夢を「鎧戸」を閉ざすように閉ざして、仕事にもどる。
ほんのひとときの、つましい夢。ねずみによって、それがいきいきしてくる。そして、そんな気持ちで読み返す時、5行目が、とても美しく見える。
貧乏学生が通る。お針子が上る。地主も養女も上る。ねずみは「壁を登った」とあるけれど、ときには(人間がだれもいないときには)階段を上ったかもしれない。だれもに「共通」の階段なのだ。おなじように、ねずみの夢も人間の夢と共通なのだ。生きているもの、いのちがあるものに「共通」の夢なのだ。
「共通」ということばが、とても美しい。
三階には貧乏学生が八人。
二階にはお針子が五人と飼い犬が二匹。
一階には地主とその養女と。
地下室には籠類と瓶類とねずみと。
三つの階の階段は共通だった。
ねずみは壁を登った。
夜、汽車が通る時、ねずみたちは
煙突から屋根に出て、
空を眺めた。雲も。庭の柵も。
料理店の灯も。
その下ではお針子が鎧戸を閉めた、
口にいっぱい針をくわえて。
*
静かなスケッチである。
6行目からはじまる「ねずみ」の描写がおもしろい。ねずみがほんとうに空を眺めたり、料理店の灯を眺めたりすしたかどうかは、わからない。ねずみはほんとうはそんなことをしないかもしれない。けれど、そうさせたい。ねずみに、そういう行為をさせたい。--それは、その建物のなかにいる人間たちの夢である。ねずみに託して、そういう夢を見ているのだ。それは、そこに住む人間たちがしたくてもできないことなのだ。時間がなくて……。
人間は、たとえば「お針子」は、ねずみになって、ずーっと何かをみつめているという夢を「鎧戸」を閉ざすように閉ざして、仕事にもどる。
ほんのひとときの、つましい夢。ねずみによって、それがいきいきしてくる。そして、そんな気持ちで読み返す時、5行目が、とても美しく見える。
三つの階の階段は共通だった。
貧乏学生が通る。お針子が上る。地主も養女も上る。ねずみは「壁を登った」とあるけれど、ときには(人間がだれもいないときには)階段を上ったかもしれない。だれもに「共通」の階段なのだ。おなじように、ねずみの夢も人間の夢と共通なのだ。生きているもの、いのちがあるものに「共通」の夢なのだ。
「共通」ということばが、とても美しい。