監督 ロバート・アルトマン 出演 メリル・ストリープ、ケヴィン・クライン、ヴァージニア・マドセン
見えないはずのものが見える。これがこの映画のテーマだ。「幽霊」が登場する。「幽霊」は見えないはずのものが見えることの「象徴」だ。
ラジオショウ。ラジオを聞いているかぎり、実際の舞台は見えない。生中継を聞きに(見に)行っている観客に舞台は見えても楽屋は見えない。どんな世界にも常に見えないものが存在する。その見えないはずのものを見えるように描いたのがこの映画だ。見えない部分に人間のいのちがある、というのがこの映画のほんとうのテーマである。
脚本もいいのだと思うけれど、何よりも演出がすばらしい。群像劇の場合、どうしても「つなぎめ」がぎくしゃくする。登場人物のそれぞれをくっきりと描こうとすると、エピソードがかわるたびに、もう一度映画を撮り直す(?)という感じになる。主役がかわるたびに画面の質さえ変わってしまいがちだ。ロバート・アルトマンのこの映画ではそういうことがまったく起きない。場面がラジオショウの舞台と楽屋に限られているから、というよりも、やはり人間をとらえる視点がしっかりしているからだろう。多くの人がそれぞれの人生を背負って生きている。そのうちの誰かに肩入れするというのではなく、肩入れを拒んで演出している。言いたいこと(演じたいこと)があるなら言いなさい(演じなさい)、それをきちんと受け止めてあげますよ、という温かな視線が画面のすみずみに行き届いている。
売れない(?)シンガーたちである。豪華さはない。衣装も化粧も華やかさからは遠い。しかし、そこに長い時間をくぐりぬけてきた不思議な肌触りがある。衣装が肉体になってしまっている感じがする。(この逆のエピソードが、司会者のズボンをはいていない姿だ。肉体が衣装なのである。今、ここに存在することが、そのひとのすべてなのである。)
登場する誰もが自分の人生を受け入れている。もちろん受け入れがたいこともある。悲しみも怒りもある。それでも受け入れている。悲しみも怒りも肉体にしてしまっている。そのうえで、自分に何ができるか、それを探して生きている。そこからやさしさが始まる。受け入れることから始まる他人へのやさしさがある。
「幽霊」さえも自分の人生を受け入れている。なぜ交通事故で死んだのだろう。ラジオから流れてくるジョーク、そのどこがおかしくて笑ったのかもわからない。わからないけれど、死んでしまった。そして死んでしまったことを受け入れている。死んだあと、自分にできることは何か、それを知って、自分にできることをやっている。
どこかに隠してしまっておいて、ときどき見つめてみたい宝物のような、いとしさがこみ上げてくる作品だ。
*
メリル・ストリープがすばらしい。ラジオショウという見えない舞台での人間らしく、体をしぼりきっていない感じ、疲労感をただよわせた肉体。疲労感をただよわせながらも、疲労くらいでは死にはしないというたくましさ。「プラダを着た悪魔」よりも格段にすばらしい。
見えないはずのものが見える。これがこの映画のテーマだ。「幽霊」が登場する。「幽霊」は見えないはずのものが見えることの「象徴」だ。
ラジオショウ。ラジオを聞いているかぎり、実際の舞台は見えない。生中継を聞きに(見に)行っている観客に舞台は見えても楽屋は見えない。どんな世界にも常に見えないものが存在する。その見えないはずのものを見えるように描いたのがこの映画だ。見えない部分に人間のいのちがある、というのがこの映画のほんとうのテーマである。
脚本もいいのだと思うけれど、何よりも演出がすばらしい。群像劇の場合、どうしても「つなぎめ」がぎくしゃくする。登場人物のそれぞれをくっきりと描こうとすると、エピソードがかわるたびに、もう一度映画を撮り直す(?)という感じになる。主役がかわるたびに画面の質さえ変わってしまいがちだ。ロバート・アルトマンのこの映画ではそういうことがまったく起きない。場面がラジオショウの舞台と楽屋に限られているから、というよりも、やはり人間をとらえる視点がしっかりしているからだろう。多くの人がそれぞれの人生を背負って生きている。そのうちの誰かに肩入れするというのではなく、肩入れを拒んで演出している。言いたいこと(演じたいこと)があるなら言いなさい(演じなさい)、それをきちんと受け止めてあげますよ、という温かな視線が画面のすみずみに行き届いている。
売れない(?)シンガーたちである。豪華さはない。衣装も化粧も華やかさからは遠い。しかし、そこに長い時間をくぐりぬけてきた不思議な肌触りがある。衣装が肉体になってしまっている感じがする。(この逆のエピソードが、司会者のズボンをはいていない姿だ。肉体が衣装なのである。今、ここに存在することが、そのひとのすべてなのである。)
登場する誰もが自分の人生を受け入れている。もちろん受け入れがたいこともある。悲しみも怒りもある。それでも受け入れている。悲しみも怒りも肉体にしてしまっている。そのうえで、自分に何ができるか、それを探して生きている。そこからやさしさが始まる。受け入れることから始まる他人へのやさしさがある。
「幽霊」さえも自分の人生を受け入れている。なぜ交通事故で死んだのだろう。ラジオから流れてくるジョーク、そのどこがおかしくて笑ったのかもわからない。わからないけれど、死んでしまった。そして死んでしまったことを受け入れている。死んだあと、自分にできることは何か、それを知って、自分にできることをやっている。
どこかに隠してしまっておいて、ときどき見つめてみたい宝物のような、いとしさがこみ上げてくる作品だ。
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メリル・ストリープがすばらしい。ラジオショウという見えない舞台での人間らしく、体をしぼりきっていない感じ、疲労感をただよわせた肉体。疲労感をただよわせながらも、疲労くらいでは死にはしないというたくましさ。「プラダを着た悪魔」よりも格段にすばらしい。