宮田浩介『Current 』(4)(思潮社、2009年06月10日発行)
巻末におさめられた「エドワード・トマスに」という作品が大好きだ。
書き出しの1行がとてもいい。「ウェウェヨンダ」が何を意味するか私は知らない。詩集を読みながら宮田の旅を追いかけているかぎり、それは絶対にわからないものだと思う。けれども、いつか、宮田がバイクで走り抜けた大陸をバイクで走っていれば、ある土地に出会い、その瞬間「ウェウェヨンダ」の意味することがきっとわかると思う。
それは、土地そのものに属した音。土地の音。「名前」ではなく、土地そのものが発する「声」。それがきっと空中に漂っている。いや、空気をつくっている。そう信じることができる。
その見知らぬことばは、日本語の「うねうね曲がる水流」と響きあう。その響きあいが正しいかどうかなど問題ではない。見知らぬ土地の、見知らぬ声が宮田に語りかける。そうすると、その声に反応して、「うねうね曲がる水流」という声が宮田の内部から溢れてくる。その声の意味するものは「ウェウェヨンダ」には何のことかわからない。わからないけれど、共鳴するのだ。
わからないまま、共鳴する音。声。その瞬間の「音楽」。「意味」がわからなくても、ことばを超えて、何かが交流する。そのときの快感。
「ブレイクネック、/メイプル・グランジ、ラズベリー・ホロウ、」--これは土地の名前か、草の名前か、それともオレンジやアップルのように果物の名前か。あるいは夕焼けを描写するための「色」のことか。
わからないけれど、そのわからない音の中を、私は動いていく。
そのとき、そういう「音」を支えている「空気」が見える。「空気」を感じることができる。その「空気」は「ベガ、アルタイ」という星の名前のことろまで続いている。「空気」そのものは続いていないかもしれないけれど、「空間」を意識するこころは、そういう宇宙の果てまで一気に旅する。
「音」を求めて。「音」を支える「空気・空間」を求めて。
一方、肉体は「道」、「ロード」の上を移動する。「ロード」を駆け抜けることが、宇宙の果てまで旅することにかわる瞬間--それを支えているのが「音」の誘惑、「音楽」の誘惑なのだ。
その「音楽」に誘われるまま、疾走する。そのとき、「土地」はどこかにあるのではなく、走っていく宮田(私という肉体)に向かってぶつかってくる。
そんなことを思いながら、この詩集を読んだ。
巻末におさめられた「エドワード・トマスに」という作品が大好きだ。
過ぎ去る前に「ウェウェヨンダ」と声に出してごらん、
「うねうねと曲がる水流の土地」。燃え上がった夕焼けが
薄らぐところを、ゆっくり下りていけば、その間に
闇に頼る音がまた見つかる。ブレイクネック、
メイプル・グランジ、ラズベリー・ホロウ、燃える夕焼けが
また見える高台を人々は飽きることなく
地名を植え歩いていった。大地のなだらかな
起伏が延々と続くその先で夕焼けの色は
藍に変わり、予期していた町々を抜けながら
みな自分の故郷であり得たと思う。庭には
プラスチックのカボチャの塔が輝くころ、すでに空は
遠い星のもの、ベガ、アルタイ…… でも俺たちは
俺たちの星へ戻る。284 、ローズ・モロウ・ロード、
ゴージ・ロードが飛び込んできて音も立てず爆発する。
書き出しの1行がとてもいい。「ウェウェヨンダ」が何を意味するか私は知らない。詩集を読みながら宮田の旅を追いかけているかぎり、それは絶対にわからないものだと思う。けれども、いつか、宮田がバイクで走り抜けた大陸をバイクで走っていれば、ある土地に出会い、その瞬間「ウェウェヨンダ」の意味することがきっとわかると思う。
それは、土地そのものに属した音。土地の音。「名前」ではなく、土地そのものが発する「声」。それがきっと空中に漂っている。いや、空気をつくっている。そう信じることができる。
その見知らぬことばは、日本語の「うねうね曲がる水流」と響きあう。その響きあいが正しいかどうかなど問題ではない。見知らぬ土地の、見知らぬ声が宮田に語りかける。そうすると、その声に反応して、「うねうね曲がる水流」という声が宮田の内部から溢れてくる。その声の意味するものは「ウェウェヨンダ」には何のことかわからない。わからないけれど、共鳴するのだ。
わからないまま、共鳴する音。声。その瞬間の「音楽」。「意味」がわからなくても、ことばを超えて、何かが交流する。そのときの快感。
「ブレイクネック、/メイプル・グランジ、ラズベリー・ホロウ、」--これは土地の名前か、草の名前か、それともオレンジやアップルのように果物の名前か。あるいは夕焼けを描写するための「色」のことか。
わからないけれど、そのわからない音の中を、私は動いていく。
そのとき、そういう「音」を支えている「空気」が見える。「空気」を感じることができる。その「空気」は「ベガ、アルタイ」という星の名前のことろまで続いている。「空気」そのものは続いていないかもしれないけれど、「空間」を意識するこころは、そういう宇宙の果てまで一気に旅する。
「音」を求めて。「音」を支える「空気・空間」を求めて。
一方、肉体は「道」、「ロード」の上を移動する。「ロード」を駆け抜けることが、宇宙の果てまで旅することにかわる瞬間--それを支えているのが「音」の誘惑、「音楽」の誘惑なのだ。
その「音楽」に誘われるまま、疾走する。そのとき、「土地」はどこかにあるのではなく、走っていく宮田(私という肉体)に向かってぶつかってくる。
そんなことを思いながら、この詩集を読んだ。
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