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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ティム・バートン監督「シザーハンズ」(★★)

2011-06-19 23:06:24 | 午前十時の映画祭
監督 ティム・バートン 出演 ジョニー・デップ、ウィノナ・ライダー

 ティム・バートンの「色」が鮮明に出ている映画である。特色を超えて、色そのもの。黒と青と白。混ざり合って、冷たい金属の「青」になるのだが、この青の行き着く先は透明。ただし、氷の透明である。「シザーハンズ」の中にも「氷像」が出てくるが、これがティム・バートンの「理想の人間」なのだな、と改めて思った。
 「透明な人間」というのは、別のことばでいえば「肉体」を持たない人間。精神、純粋感情としての人間。ティム・バートンの描く恋愛は、あくまで「ピュア」な世界。肉体の交わりを必要としない世界である。
 この映画では、反対にある「肉体の愛」がカリカチュアされている。欲求不満の「主婦」たち。髪をカットしてもらうだけでエクスタシーを感じる女たち。主人公「シザーハンズ」のジョニー・デップは、そういうものを求めていない。ウィノナ・ライダーも、精神の愛を発見する。キスはするけれど、それを超えるセックスはしない。けれど、こころはしっかり結びついている。
 「ビートル・ジュース」にしろ「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」にしろ、そこに登場するのは「死者」というより、「生きた肉体」を拒否し、純粋に「精神(感情)」になった人間なのだ。死ぬこと、あるいは幽霊であること(?)は、ティム・バートンにとって、「肉体」を超越し、純粋になることなのだ。
 その「純粋」が「氷」というのは、まあ、ちょっと変な感じがするが、そこがティム・バートンなのだ。「透明」であっても、それは「手触り」がないとだめ。空気や水のように抵抗感がない存在ではなく、抵抗感はしっかりある。そういうものを求めているんだなあと思う。そして、またまたちょっと変ないい方になるが、白塗りの化粧、どぎついアイシャドウは、生身の人間を求める観客の欲望を拒絶するティム・バートン流の「抵抗」なのだと思う。

 で、少し映画にもどると、ウィノナ・ライダーは金髪が似合わないねえ。ジョニー・デップの黒、白、青の色と明確に区別するため(生身の人間であることを明確にするため)、金髪にしているんだろうけれど。でも、ダンスシーンの手の動きはよかったなあ。「ブラックスワン」のナタリー・ポートマンの手よりしなやかだ。「ブラックスワン」でも踊りを見たかったな。
     (「午前十時の映画祭」青シリーズ19本目、2011年06月19日、天神東宝3)


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