監督 ガイ・リッチー 出演 ロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウ、レイチェル・マクアダムス
アーサー・コナン・ドイルの原作に同じストーリーのものがあるのかどうか、私は知らない。知らないのだけれど……。
あ、映画で「文学」はやらないでくださいね。しかも「大衆文学」ではなく「純文学」は。武術家シャーロック・ホームズや、きっと「現代版」をつくりそうなストーリー展開は「大衆」向け風だけれど、映像の「文体」(映画では、なんていうのだろう)が、こってりとしています。
影が単に影ではなく、闇につながっていくときの色調がスクリーン全体を多い、軽やかさがない。あえて、そういう「映像」に処理しているのだけれど、こういう色調の統一の仕方は私はあまり好きではない。だって、簡単でしょ? 実際の色彩に手を加えて色調に統一感を出すなんて。手を加えずに、色調の統一感を出してもらいたいなあ。
この色調操作に、ロバート・ダウニー・ジュニアの影の多いというか、明暗のはっきりした顔が重なるのだから、重たいねえ。苦しいねえ。見ていて気分が晴れない。そういう感じも「純文学」という感じ。(一昔前の純文学かもしれないが。)
「推理」も、たしかに伏線としての映像はきちんと描かれているのだけれど、見たとき、それが伏線とはわからないねえ。あとからフラッシュバックで「過去」を映像として見せるんだけれど、ことばの説明がついてまわっている。これでは「小説」だねえ。ページをめくって、あ、そうだったのか、のかわりにフラッシュバック。安直じゃない?
あ、これはおもしろいなあ、と思ったのが、しかし一か所ある。
ロバート・ダウニー・ジュニア(シャーロック・ホームズ)がボクシングをするシーン。どんなふうにして攻めるか。それを「推理」する。相手の動きを「推理」して攻撃方法を組み立てる。その「頭のなかの映像」をまずスローモーションで映し出し、それをそのあと速いスピードで再現する。「推理」というか「頭のなかでの動き」がそのまま現実になる。
これ、いいじゃないか。
この方式で、事件を解決してほしかったなあ。ロバート・ダウニー・ジュニアが、犯人の行動を「推理」する。その「推理」どおりに犯人は動いていくのだけれど、「推理」より犯人の行動の方がほんの少し速い。「推理」がおいつかないために、犯罪が起きてしまう。
繰り返し繰り返し、そういうことをやっていると、だんだん「犯行」と「推理」の時間差が縮まってくる。ほら、「肉体」が動くにはけっこう時間がかかる。 100メートルを10秒で走れる人間は少ないけれど、10秒で走ったと頭で考えるのはだれでもできる。頭のスピードは肉体のスピードを上回るからね。
そして、ついに最後は、「推理」(頭の動き)が「犯行」(肉体の動き)を追い越す。つまり、ロバート・ダウニー・ジュニアが犯行の前に立ちふさがり、犯行を阻止する。ね、これを映像でやると、おもしろいでしょ?
次の作品、遠隔操作がテーマの犯罪のときは、ぜひ、そうしてね、ガイ・リッチー監督さん。(と、遠隔操作しているつもりの、私。)
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