監督 フランコ・ゼフィレッリ 出演 オリヴィア・ハッセー、レナード・ホワイティング
「時分の花」ということばを思い出してしまった。
初公開は1968年。もう40年以上も前のことである。このときのオリヴィア・ハッセーととにかく若かった。輝いていた。あの当時、古いファッションの胸元から見える「胸の谷間」にどきどきしたことを覚えているが、いま見るとそんなに大きくない。(深くない?)40年の間に若い女性の体型も変わってきたのかもしれない--ということは「時分の花」とはあまり関係ないか。(ある、かも。)
最初に見たとき、いちばん印象に残ったのは、オリヴィア・ハッセー、レナード・ホワイティングが、教会でキスするシーンである。結婚式を控えている。ふたりは式のことは忘れたみたいに、会えたよろこびで(きのう会ったばかりだけれど)、キスしようとする。それを神父が引き離す。引き離されても引き離されても、その引き離しをかいくぐりキスしようとする。引き離されれば引き離されるほどキスをしたくなる。このときの動きがすばらしい。とてもいきいきしている。
シェークスピアの台詞に傷つくことなく(そのシーンに台詞がないのだから、あたりまえといえばあたりまえだが)、その輝かしい肉体、その眼、その黒髪が、いっそう輝く。とくに眼が、ほんとうに恋人をみつめている。まるで演技ではなく、キスしたくてたまらない少女、キスをはじめて知った少女のような「夢中」という感じが、とても美しい。
この若さがあるから、とても不思議なことが起きる。シェークスピアの台詞そのものは、とても若いオリビア・ハッセーには手におえない。「ロミオ、なぜあなたはロミオ」のような独白はいいけれど、恋の駆け引きというか、男とのことばのやりとりは、どうしても「意味」が浮き上がってしまう。
はずである。
実際、「肉体」のなかに、ことばが踏みとどまらない。
だけれど、これが不思議なことに美しい。恋のために背伸びしているという印象ではなく、オリビア・ハッセーのなかから見知らぬだれかが生まれてくる--そういう印象に変わる。オリビア・ハッセーはこのとき演技しているのではなく、「恋人」として生まれている。
恋人に出会い、新しく生まれるように、ことばに出会い、そこであたらしく「恋する少女」として生まれつづける。一生で一度だけの、幸福な「映画」との出会いが、そこにはある。そう思える。
その後、オリビア・ハッセーの映画を何本見ただろうか。ベトナムかどこかを舞台にしたジャングル映画。タイトルも忘れた恐怖映画。何か日本映画にも出ていたはずである。(ぜんぜん、思い出せないのだから、どれもいい作品とは言えないのだろう。)そして、最新作は「マザー・テレサ」だろうか。これも、マザー・テレサの格好をしていた、ということしか思い出せない。
「時分の花」だけの役者だったのかもしれない。そうであるけれど、この「時分の花」というのは、すごい力だなあ、とも思う。やっぱり、引きつけられてしまう。
(「午前十時の映画祭」35本目)
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