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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

堤美代「空の畑」

2016-09-23 08:50:55 | 詩(雑誌・同人誌)
堤美代「空の畑」(「詩的現代」18、2016年09月発行)

 堤美代「空の畑」は、こう始まる。

トミばあちゃんが
草むしりをしている
歳(よわい)九十になるので
茄子の畑を這うように
草むしり
小さい躰が
草に沈んだ小舟のようだ

 「小舟」は「比喩」。しかし、えっ、どうしてここで「小舟」が出てくる? わからない。
 二連目。

ばあちゃんは草の舟を漕ぐ
舟に櫓はないので
草を引っぱって前へ進む

 あ、そういうことか。さらにつづく。

麦ワラ帽子が
日輪のように傾く

ばあちゃんが草を毟ってるのか
草がばあちゃんを毟っているのか

 草をむしるとはいいながら、あるいは草を引っぱるとはいいながら、逆に、草に引っぱられるようにして前へ進む。草を頼りに前へ進む。確かに歩いて進むのではなく、座り込んだまま、草を引っぱり体をずるずると前へ動かすのは、畑の上を小舟で進む姿になるかもしれない。
 なんだか力関係(?)が逆転するのだが、この「逆転」がなんとなく楽しい。小舟か……。草むしりが舟遊びのようにも感じられる。
 おばあさんの動きが目に見えるようだ。
 そして最終連。

よく晴れた 五月のいちにち
空と畑を
ぐるりと
逆さまにしても
ばあちゃんは
空から落ちて来ない

 草むしりが終わり、やれやれと、仰向けに寝ころんだのかな?
 このとき、おばあちゃんは畑を背にしているのだけれど、「小舟」なので、「畑」に浮かんだ感じ。そして、「浮かんだ」感覚のまま「空」に浮かぶ。
 気持ちがいいなあ。
 「空から落ちて来ない」は「空に浮かび続ける」という感覚なんだろうなあ。

 詩は、おばあちゃんを見ているのだが、詩を読むと、おばあちゃんになったような感じ。おばあちゃんのように、草むしりをしながら、「小舟」になってみたい。

 少しもどって読み直すと……。

ばあちゃんが草を毟ってるのか
草がばあちゃんを毟っているのか

 この二行は、よく「頭」で考えると変なのだけれど、つまり「草が草がばあちゃんを毟る」ということはありえないのだけれど、この「毟る」を「引っぱる」と読み直すと、どっちがどっちかわからなくなるね。
 おばあちゃんが草を引っぱるのか、草がおばあちゃんの舟を引っぱるのか。
 それは、どっちでもいい。
 というと、また違ったことになるのかなあ。
 まあ、いい。
 決めつけないことが大事なのだ。両方がいっしょに動く感じが楽しいのだ。そして、この「両方が一緒」という感じが、最後の「空」と「畑」が「一緒(ひとつ)」になった感じにつながるのだと思う。
 で、この「ひとつになる」感覚が伝染して、自分が「おばあちゃん」と「ひとつ」になった感じ、おばあちゃんになって草むしりをして、寝ころんで、ああ、いいことをしたなあ、だから空に浮かんで、こんなにさわやかでいい気持ち--それをやってみたいなあ、という気持ちになるのだと思う。
ゆるがるれ―一行詩集
クリエーター情報なし
榛名まほろば出版

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