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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(60)

2020-05-29 10:54:56 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (あなたの手のなかにある話を)

もし何も話がなければ
硝子戸ごしに見える一本の老樹についてお話しなさい

 「なければ」、話をつくりなさい。そこにある「事実(一本の老樹)」がことばを支えてくれる。ことばはいつでも「事実」に支えられている。
 ここで嵯峨が「若い樹木」ではなく「老樹」を選んでいるのは、老いたもののなかには語るべき「事実」がいくつもあるということだろう。
 そしてそれを語るときの嵯峨は、きっと「若い」。若さが老いのなかに見つめる「事実」には、若者には知らないこと(体験していないこと)もある。「知らない」のに、そこにあることを「事実」と判断する力のようなものが、そのとき動く。この「動く」という不思議な現象のなかに、詩がある。だから、それに自分のすべてを任せてみるといい。そう言っているのだろう。
 「なければ」のなかの「ない」。そこに、この詩の「原点」のようなものがある。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)


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