鳩の時間 | |
岩阪 恵子 | |
思潮社 |
岩阪恵子『鳩の時間』(思潮社、2019年07月31日発行)
岩阪恵子『鳩の時間』は散文の詩集。しかし、詩集というくくりでなくてもいいかもしれない。散文。文章。ことば。
巻頭の「原田辰五郎氏」がいちばんおもしろい。最初に読んだから、その印象が強いのかもしれない。同人誌で読んだかもしれないが、詩集の方が印象が強い。たぶん、活字の組み方、本の紙質が影響しているのだろう。いわゆる詩集のような押しつけがましさ(いい紙をつかってるでしょ、という印象)がなくて、気持ちいい。思いついたので、忘れないうちに書いた、という自然な感じがつたわってくる。
わたしの母かたの祖父は乳呑み子のとき、兵庫県のとある村の
辻に建つ道標の傍らに捨てられていたと聞いている。明治に元号
が変わって一五年ほどがたったころである。出生についてはなに
もわからない。捨て子はちょうど似たような月齢の赤ん坊がいる
地主の家に引き取られた。辰の年のことであったので辰五郎と名
づけられ、将来はその家の下働きにでもと育てられた。
なかなかつらい人生の始まりである。しかし、「捨てられていたと聞いている」の「聞いている」がいい具合に「距離感」となって働いている。哀れさというか、同情に、どっぷりつかる感じではない。淡々とした響きがある。
他の作品も淡々としている。清潔なことばの運びだが、この作品が特に自然な感じがするのは「聞いている」とことばの力が強い。
それから語られることも、ほとんどが「聞いたこと」なのだが、聞きながら、辰五郎をしずかに想像している感じがつたわってくる。
岩阪の印象だけではなく、
ものを言わないひとで、直接叱られたことはなかったが、こ
わかった、と母はその父を評した。
という具合に、他人の「感想」がことばを支えているのもいい。この部分につかわれている「評した」ということばも、とてもこの作品には似合っている。「言った」というよりも、そこに「視点」の明確さが付け加わっており、それが岩阪の感情を制御(抑制)している。
原田辰五郎氏。彼の生涯には捨て子であったことを除けば取り
立てて記すほどの出来事はない。風に運ばれ知らぬ土地で芽を吹
いた一茎の雑草のような一生であったといえる。
「取り立てて記すほどの出来事はない」という語り口、「雑草のような一生」という比喩。それはある意味で「定型」(決まり文句)である。けれど、「決まり文句」だけがもつ不思議な強さがある。つまり、他人によって「共有されてきたことば」の確かさがある。「決まり文句」が多くの人に共有されているように、原田辰五郎氏の生涯は、確かに「共有」されていくのである。知っている人には当然のことだが、その人を知らない私のような読者にも。
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何でもない一節ですが、いいですね。沁みます。