囚人 リッツォス(中井久夫訳)
彼は、窓を開ける度に、自分の姿をこっそり見た。
通りの向かいの家の窓越しに。
対面の部屋に縦長の大きな鏡があった。
その部屋に何かを盗みに入った気がした。
我慢ならぬ、新鮮な空気ももらえず、太陽も、少しも拝めぬとは。
ある日、彼は石をつかんで、狙って、投げた。音がして、
その家の人が窓に顔を出した。「やや」とその人は言った。
「鏡の中の自分を見ようとする度に、背越しにおまえさんが
うさんくさそうに私をみる、--我慢ならん」
相手は背を返して部屋に入った。自分の持ち物の空間に。その部屋の
鏡の中には、お向かいさんが、歯に短刀をくわえて持っていた。
*
シンメトリーの世界。
何よりもおもしろいのは、4行目である。向うの部屋の鏡に自分が映る。それを見て、まるで自分がその部屋に「盗みに」入ったように感じる。「盗みに」ということばが出てくるのは、「囚人」が「盗み」を働いてとらわれているからかもしれない。非常に、なまなましい感じがする。
そして、その次の行。それが指し示す世界が、二重に見えることもおもしろい。
「我慢ならぬ、新鮮な空気ももらえず、太陽も、少しも拝めぬとは。」とは、囚人のことばなのか。それとも、向うの部屋の鏡に映った「自分」の声なのか。私には、鏡の中の男の声に聴こえる。「監獄」のなかに閉じ込められている男ではなく、鏡の中でしか動けない男の声に。監獄のなかよりも、鏡の中の方が狭い。その狭さ、窮屈さに鏡の中の男は怒っている。--もちろんそれは、実際の囚人の心境の反映ではあるのだが。
それから以後は、もっと複雑になる。向き合った鏡が、その中で像を増殖させていく感じである。鏡のなかに映った自分を見ようとすると、その鏡の中の男が、自分の背中越しに自分を見ている気がする。つまり、「盗人」が鏡の中の姿を見ようとすると、その「盗人」の将来の姿である「囚人」が自分を見ている--つまり、「盗人」をすれば「囚人」になることがわかって、その「盗み」を見ているのである。
この増殖するイメージの構造に怒って、鏡の中の「盗人」は、囚人が自分の部屋の鏡を覗き込むときを狙って、囚人を背後から襲おうとする。鏡に、刃物を映してみせる。「通り」を挟んで離れていても、鏡の中では「ふたり」は重なり合う。その重なりあいを利用して行われる殺人。
これは、とてもスリリングである。
この詩は、これだけですでに短編小説であるけれど、この詩を土台にして(というより、そっくりそのままいただいて)、小説を書いてみたい、という欲望にとらわれた。ボルヘスの小説よりおもしろくなりそうな気がする。
彼は、窓を開ける度に、自分の姿をこっそり見た。
通りの向かいの家の窓越しに。
対面の部屋に縦長の大きな鏡があった。
その部屋に何かを盗みに入った気がした。
我慢ならぬ、新鮮な空気ももらえず、太陽も、少しも拝めぬとは。
ある日、彼は石をつかんで、狙って、投げた。音がして、
その家の人が窓に顔を出した。「やや」とその人は言った。
「鏡の中の自分を見ようとする度に、背越しにおまえさんが
うさんくさそうに私をみる、--我慢ならん」
相手は背を返して部屋に入った。自分の持ち物の空間に。その部屋の
鏡の中には、お向かいさんが、歯に短刀をくわえて持っていた。
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シンメトリーの世界。
何よりもおもしろいのは、4行目である。向うの部屋の鏡に自分が映る。それを見て、まるで自分がその部屋に「盗みに」入ったように感じる。「盗みに」ということばが出てくるのは、「囚人」が「盗み」を働いてとらわれているからかもしれない。非常に、なまなましい感じがする。
そして、その次の行。それが指し示す世界が、二重に見えることもおもしろい。
「我慢ならぬ、新鮮な空気ももらえず、太陽も、少しも拝めぬとは。」とは、囚人のことばなのか。それとも、向うの部屋の鏡に映った「自分」の声なのか。私には、鏡の中の男の声に聴こえる。「監獄」のなかに閉じ込められている男ではなく、鏡の中でしか動けない男の声に。監獄のなかよりも、鏡の中の方が狭い。その狭さ、窮屈さに鏡の中の男は怒っている。--もちろんそれは、実際の囚人の心境の反映ではあるのだが。
それから以後は、もっと複雑になる。向き合った鏡が、その中で像を増殖させていく感じである。鏡のなかに映った自分を見ようとすると、その鏡の中の男が、自分の背中越しに自分を見ている気がする。つまり、「盗人」が鏡の中の姿を見ようとすると、その「盗人」の将来の姿である「囚人」が自分を見ている--つまり、「盗人」をすれば「囚人」になることがわかって、その「盗み」を見ているのである。
この増殖するイメージの構造に怒って、鏡の中の「盗人」は、囚人が自分の部屋の鏡を覗き込むときを狙って、囚人を背後から襲おうとする。鏡に、刃物を映してみせる。「通り」を挟んで離れていても、鏡の中では「ふたり」は重なり合う。その重なりあいを利用して行われる殺人。
これは、とてもスリリングである。
この詩は、これだけですでに短編小説であるけれど、この詩を土台にして(というより、そっくりそのままいただいて)、小説を書いてみたい、という欲望にとらわれた。ボルヘスの小説よりおもしろくなりそうな気がする。