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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

夏目美知子『ぎゅっとでなく、ふわっと』

2020-01-05 14:46:21 | アルメ時代
夏目美知子『ぎゅっとでなく、ふわっと』(編集工房ノア、2019年11月01日発行)

 夏目美知子『ぎゅっとでなく、ふわっと』の「小窓」。自宅の玄関わきの小窓から空き家になった隣家を見る、という詩だ。

半ば草に覆われた地面。草は枯れたり繁ったり、新しい
種類が混じったり、多少の変化がある。
急に暗くなったかと思うと、雨が降って来る。窓枠の向
こうで、石蕗の葉が雨粒を受け、上下に揺れ始める。小
石も、破れた金網も地面も次々と濡れていく。情景は誰
かの横顔のようである。私はそれを見ている。降りしき
る音が辺りに響き、その為に静けさがある。すぐ傍なの
に、何処か遠いところのように見える。

 「横顔」ということばに私は立ち止まる。夏目が見ているものが、ふいに見えたような気がする。雑草が茂っているのを見ているわけではない。そこに、そこにはいない人の「顔」を見ている。「横顔」だから、目と目があうわけではない。その人と同じものを見ているわけではない。その人が何を見ているか、それを想像している。
 その情景はしかし、夏目の見ているものに違いない。つまり、夏目は、その人になって隣家の情景を見ている。だからこそ、それを否定するために、つまり現実ではないことを強調するために、「私はそれを見ている」と「私」が突然登場する。
 私はその人になって、その人の庭を見ている。その家の内部からではなく、その家から出た場所で。
 この「家を出る(外にいる)」という感じが「遠い」ということばになって動く。どんなにそばにいても「出る」という感覚が「遠い」を誘う。もう、戻らない(戻れない)を誘う。どこに行くかわからないが、ここには戻らない。この決意を「静けさ」と名づけることができる。
 詩は、このあと、こう展開する。

しばしばそこは、固有の表情を見せる。木枯らしの時、
淋しさが剥き出しになる。短い草にピンクの小花を散ら
せて、汚れた壁に日が当たり、穏やかに憩って見える時
もある。

 「顔」ではなく「表情」という表現がつかわれている。その瞬間、「人」はいなくなる。「肉体」がなくなり、観念的になる。「情」というのは観念ではないだろうが、「横顔」に比べると、やはり「ことば」で整えられたものになってしまう。
 さらに、こう変化する。

けれど、私には解っている。道路に出て行き、覗いてみ
ると、壊れかけた扉の中では、古家が、間が抜けたよう
に佇んでいるだけだ。

 「解る」ということばが、観念として整えられたものであることを指し示している。こんなふうに動いてしまうのはことばの宿命かもしれない。しかし、だからこそ私は、「横顔」のところで踏みとどまってほしいと思う。
 谷川の詩に書かれていた「意味」が、どうしても出てきてしまう。
 そうすると詩は「味」がなくなる。

自宅から再び、小窓の向こうを見る。夕日が射して、小
さな枠の中にオレンジ色に染まった庭がある。美しい夕
暮れが凝縮している。徐々に光が消えるまで見届ける。

 この「予定調和」のような終わり方は残念だが、だからこそ前半に出てきた「横顔」が強い印象で残るのかもしれない。 

 「空の鳥 食卓のリンゴ」の書き出しと最終連。

卓上で、リンゴを真半分に切る。ナイフが最後にたてる
音を避けて、ぎりぎりで止め、あとは、手首を捻って、
二つに割る。

雨の日、鳥は来ない。
そんな時どうしているのか、想像もつかないけれど、
鳥は鳥の規模で、適正に生きているに違いない。

 書き出しは、肉体の動きをていねいに追っている。それは「想像」というよりも「追認」である。「ぎりぎり」は「規模」と「適正」をあらわす「肉体」のことばだ。観念で判断しているのではない。「手応え」のようなもので判断している。
 鳥は夏目の「肉体」ではない。だから「ぎりぎり」のようなものを「ことば」にしてしまうことはできない。だから一気に飛躍して「規模」と「適正」ということばにしてしまうのだが、書き出しのていねいさと向き合わせると、ふいに「鳥の横顔」が見えたような気がするのである。意味(観念)を書いているようで意味になりきれないものが、詩として動いていると感じる。








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