監督・製作・脚本 ジェームズ・キャメロン 出演 サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガーニー・ウィーバー
3D映像は精密でスムーズである。昔の立体映画のように、何かを飛び出させてびっくりさせるというよりは、「奥行き」を深める、という感じである。(私は眼の手術をしたあと、左目と右目の焦点距離がずいぶん違うので、3D映像を正確にはとらえきれていないかもしれないが。)ただし、3D映像を体験するためにかける眼鏡のせいで画面が暗くなる。これには閉口した。3D映像ではなくていいようなシーン(地球人?同士が口論するシーンなど)は眼鏡を外してみていたのだが、その明るさの違いに、参ってしまった。
映像そのものは3Dでない方が、もしかすると美しさを堪能できるかもしれない。緑がアメリカ映画にしてはみずみずしくきれいである。夜の空気も透明感があって、とてもいい。巨大な鳥にのって、垂直に飛び降りる映像も、スピード感がとてもいい。
ただし、この映画の映像が(そしてストーリーのほとんども)、ジェームズ・キャメロンのオリジナルかというと、私にはそんなふうには感じられない。随所に宮崎駿のやってきたことを土台にしている。森への畏怖、森の精(木の精)は、そのまま宮崎駿の思想だろう。こんな「拝借」の仕方は、ちょっといただけない。(私は、「もののけ姫」の悪質なパロディーにしか見えなかった。)
私がこの映画で気に入らないものは、ほかにもある。いや、ほんとうは、こっちの方がもっと嫌いかもしれない。(「もののけ姫」の悪質なパロディーであるけれど、それは、まあ、宮崎駿の影響を強く受けているということの裏返しと考えれば、それでいい。)
この映画でいちばん嫌なのは、侵略者である地球人の軍人が、その星の住民を「青い猿」と呼ぶところである。(字幕で、そう読んだのだが、実際にはなんと言っているか、私は知らない。聞き取れなかった。)この差別意識と、それを裏返したような「自然の知恵」という評価。そのセッティングが、あ、嫌だなあ。どうしようもないなあ、と思う。
自然そのものを評価するとき、なぜ、それを一方で「青い猿」というような否定と対比させなければいけないのか。その星の住民が、地球人(人間?)と同じような体型、肌をしていて、同じように衣服で体をつつんでいてはいけないのか。同じ体、同じ衣服を着ていて外見は区別がつかない。けれど彼らは、不思議な馬に乗り、巨大な鳥にのって戦うというのでは、なぜいけないのか。
いや、その「青い猿」というのは、一方で「青い猿」と呼ぶ差別的な人間がいて、他方にはそんなふうには呼ばない人間がいて--という対比のためにある、という見方も可能かもしれない。そして、それは差別的な人間は間違っていて、その結果、当然のようにして敗れる運命にある、という「ストーリー」を描くためのもの、という見方があるかもしれない。
だとすれば、それこそが、嫌い。いやだなあ、と思う。
安直じゃない? 差別的な人間は間違っていて、それは、素朴な(?)自然の力に最終的に屈する。侵略者は必ず失敗する。そんなことのために「自然」や「現代文明・未来文明(機械文明)とは無縁」なものが利用されていいのだろうか。
自然の力を称賛するのはいいけれど、その称賛をきわだたせるために、「差別」を敗者(?)に仕立てるというような方法は、どこか間違っていない? ちゃんと差別を批判したことになるのかな?
何ねえ。どうもねえ。きれいに、きちんとつくられた映画だけれど、おかしいよなあ、と思う。
3D映像は精密でスムーズである。昔の立体映画のように、何かを飛び出させてびっくりさせるというよりは、「奥行き」を深める、という感じである。(私は眼の手術をしたあと、左目と右目の焦点距離がずいぶん違うので、3D映像を正確にはとらえきれていないかもしれないが。)ただし、3D映像を体験するためにかける眼鏡のせいで画面が暗くなる。これには閉口した。3D映像ではなくていいようなシーン(地球人?同士が口論するシーンなど)は眼鏡を外してみていたのだが、その明るさの違いに、参ってしまった。
映像そのものは3Dでない方が、もしかすると美しさを堪能できるかもしれない。緑がアメリカ映画にしてはみずみずしくきれいである。夜の空気も透明感があって、とてもいい。巨大な鳥にのって、垂直に飛び降りる映像も、スピード感がとてもいい。
ただし、この映画の映像が(そしてストーリーのほとんども)、ジェームズ・キャメロンのオリジナルかというと、私にはそんなふうには感じられない。随所に宮崎駿のやってきたことを土台にしている。森への畏怖、森の精(木の精)は、そのまま宮崎駿の思想だろう。こんな「拝借」の仕方は、ちょっといただけない。(私は、「もののけ姫」の悪質なパロディーにしか見えなかった。)
私がこの映画で気に入らないものは、ほかにもある。いや、ほんとうは、こっちの方がもっと嫌いかもしれない。(「もののけ姫」の悪質なパロディーであるけれど、それは、まあ、宮崎駿の影響を強く受けているということの裏返しと考えれば、それでいい。)
この映画でいちばん嫌なのは、侵略者である地球人の軍人が、その星の住民を「青い猿」と呼ぶところである。(字幕で、そう読んだのだが、実際にはなんと言っているか、私は知らない。聞き取れなかった。)この差別意識と、それを裏返したような「自然の知恵」という評価。そのセッティングが、あ、嫌だなあ。どうしようもないなあ、と思う。
自然そのものを評価するとき、なぜ、それを一方で「青い猿」というような否定と対比させなければいけないのか。その星の住民が、地球人(人間?)と同じような体型、肌をしていて、同じように衣服で体をつつんでいてはいけないのか。同じ体、同じ衣服を着ていて外見は区別がつかない。けれど彼らは、不思議な馬に乗り、巨大な鳥にのって戦うというのでは、なぜいけないのか。
いや、その「青い猿」というのは、一方で「青い猿」と呼ぶ差別的な人間がいて、他方にはそんなふうには呼ばない人間がいて--という対比のためにある、という見方も可能かもしれない。そして、それは差別的な人間は間違っていて、その結果、当然のようにして敗れる運命にある、という「ストーリー」を描くためのもの、という見方があるかもしれない。
だとすれば、それこそが、嫌い。いやだなあ、と思う。
安直じゃない? 差別的な人間は間違っていて、それは、素朴な(?)自然の力に最終的に屈する。侵略者は必ず失敗する。そんなことのために「自然」や「現代文明・未来文明(機械文明)とは無縁」なものが利用されていいのだろうか。
自然の力を称賛するのはいいけれど、その称賛をきわだたせるために、「差別」を敗者(?)に仕立てるというような方法は、どこか間違っていない? ちゃんと差別を批判したことになるのかな?
何ねえ。どうもねえ。きれいに、きちんとつくられた映画だけれど、おかしいよなあ、と思う。
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