「忘れられていた優しさ」は、お祖母さんの死を描いている。お祖母さんの顔の描写から始まり、性格の描写、その日の周囲の人たちの描写とつづく。そして、
雨がエルコメノス教会の石段で泣く。
リッツォスの詩は映画的である、と中井は言う。その特徴がこの一行に集約している。カメラが教会の全体(あるいは教会とわかる範囲)をとらえた後、さーっと石段のアップに移る。石段に積もった雨、その表面に小さな水紋ができる。石段に映った空が(雲が)少し乱れる。その揺らぎが「泣く」かもしれない。いつも通っていた、その「石段」を、いまお祖母さんが上っていく。その足の動きが見えるような一行でもある。
「エルコメノス教会」については、中井が注釈で、「詩人の生地にある」と書いている。興味深いのは「お祖母さん」に名前がなくて、教会には名前があることである。この対比が、この詩をドラマチックにしているとも言える。名前を聞いても、その周辺の人しか知らないお祖母さんが死んだ。その誰かわからない人にも、教会にも(その石段にも)、雨は同じように降る。