goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

オリンピックは中止すべきだ(7)

2021-07-29 09:08:30 | 考える日記

 いったい、いつまでつづけるつもりなんだろう、と思ったのが7月29日の読売新聞(西部版)。
 コロナ感染が急拡大し、全国で最多の9582人。1万人目前である。緊急事態宣言も首都圏3県を追加することを検討している。それなのに、紙面のトップはオリンピックの報道。おかしくないか。


 読売新聞の報道によれば、

 新型コロナウイルスの感染者は28日、国内で新たに9582人確認され、過去最多となった。東京都の新規感染者は3177人で、2日続けて最多を更新し、初めて3000人を超えた。埼玉、千葉、神奈川の3県でも過去最多となり、政府は東京都と沖縄県に発令中の緊急事態宣言の対象を3県に拡大する方向で検討に入った。(略)
 神奈川県では1051人の感染が判明した。神奈川で1000人を上回るのは初めて。埼玉県では870人、千葉県では577人の感染が確認された。

 さらに、見ていけば。
 大阪798人、福岡405人、沖縄347人。東京からの移動が目立つ石川が過去最多の119人。全国で感染が拡大している。
 五輪関係では、「海外からの報道関係者2人を含め、16人」が感染している。
 こんな状況で、五輪報道を「いつもどおり」につづけていていいのか。

 クルーズ船の感染が問題になったとき、私は、きっとコロナ感染対策の検証が始まれば、日本のクルーズ船対策が問題として取り上げられると書いた。たまたま感染が「予想以上に少なかった」。そのため世界に新型コロナは、それほど問題ではないという印象を与えたと思う。中国のように即座に病院を建設し、感染者を隔離するという方法をとっていたらコロナに対する世界の印象は変わっていたはずである。
 五輪についても同じである。菅が「安心安全」と世界に宣伝したことが、世界の緊張感を緩めさせてしまったということはないか。実際に、大会開催を強行したことが、世界の緊張を緩めさせたということはないか。五輪、日本での感染拡大と世界の感染拡大は無関係というかもしれないが、「間接的」に影響を与えていると思う。緊急事態宣言の出ている東京でオリンピックが開かれているのなら、出歩いたってかまわない、と多くの人が思うだろう。危険は少ないと思うだろう。
 菅のやっていることは、「未必の故意」というとおおげさすぎるかもしれないが、私は「未必の故意」だと思う。コロナ感染が拡大することはわかっていた。少なくとも「危険だ」ということは指摘されていた。それを無視して大会を強行開催した。「無観客」で「人流」を抑制しながらの大会なのに、体会関係者のなかからの感染もつづいている。

 その感染者だが。
 体会関係者の感染者数。きのうの「16人」と同じ「16人」だったところは、日本で言えば長野県である。長野の人口は約200万人。それと比較すると、五輪関係者の感染状況がどれくらい激しいものかわかる。私は「体会関係者」が何人いるのか知らないが、選手を含めて10万人と仮定し、それを長野にあてはめると320人になる。長野で320人感染したと報道されれば、大騒ぎになるだろう。7月1日以降に表されている陽性者169人は、長野にあてはめると3380人。長野の発生以来の累計が5189人だから、その強烈さがわかるだろう。
 東京にあてはめたら、どうなるか。東京の人口を1000万人と仮定して、それを「五輪関係者の感染」にあてはめると、きのうの感染者は1600人。これは神奈川県を超す。累計では、16900人。1か月足らずのあいだに、である。
 これは大変な数字だろう。オリンピック関係者のあいだでは、もう「パンデミック」どころの騒ぎではないのである。

 数字が絡む問題は、なんでもそうだが、数字が大きくなると、私なんかは「実感」がなくなる。国の予算などいうのは、いったい「いくら」なのか見当がつかない。
 そういうときは、私は、自分の理解できる範囲(知っている範囲)に数字を反映させて考える。算数をつかって、比例で分かりやすくしてみる。
 全国の感染者が1万人に達しようというとき、五輪関係者の感染者が16人。これは、どうしたって、「少なく」見える。しかし、これを日本の人口に比例させるとどうなるか。計算してみるといい。日本の人口120000000人、体会関係者10万人と仮定して、きのうの16人をあてはめるとどうなるか。ぜひ、やってみてほしい。

 世界に目を向けてみれば。
 アメリカでは1日5万人が感染している。感染防止対策を強化するために、室内ではマスク着用が再び求められている。五輪とは関係ない遠く離れた場所だが、五輪は世界中で放送されている。五輪報道を見れば、だれだって「安心安全」と錯覚する。
 菅の政策は「安心安全」という誤解を世界中にまきちらしていることがわかる。
 五輪は、もう十分やったじゃないか。菅の望んでいた「金メダルラッシュ」も実現したじゃないか。さっさと打ち切り、コロナ対策に全力を注ぐべきだろう。五輪を中断、中止すれば、コロナの危険性を世界にアピールできる。それは危険性を知らせる強烈なメッセージになるはずである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ(6)

2021-07-28 09:41:09 | 考える日記

 7月28日の読売新聞(西部版)によれば、

 東京都で27日、新型コロナウイルスの感染者が新たに2848人確認された。1日当たりの感染者は、「第3波」のピークだった今年1月7日(2520人)を上回り、過去最多となった。

 一覧表によれば、神奈川758人、埼玉593人、千葉405人、大阪741人、私の住んでいる福岡では236人。どこも急増している。
 オリンピック関係でも、

 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、ボートのオランダ選手と自転車のドイツ選手の2人を含め、新たに10人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。

 感染が止まらない。
 これに関連して、菅は、こう言っている。

五輪中止の選択肢については、「人流は減少しているので、そうした心配はない」と強調した。

 「人流は減少している」とは、どういうデータに基づく発言なのか。新聞では、聖火台のまわりに見物人が集まっているとか、開会式のとき周辺に反対派を含め多くの人が集まったと報じていた。それは、全部、嘘なのか。
 そうではなくて、「人流は減少している」が嘘なのだろう。「安心安全」が嘘であると同じである。
 コロナウィルスには「足」がない。人が媒介しない限り、人から人への感染は起きない。全世界の人が40日間(約6週間)誰とも接触しなければ、ウィルスは生滅するだろう。人流が感染を拡大させている。
 菅は「不要不急の外出は避けていただき、五輪、パラリンピックはテレビで観戦してほしい」と言っているが、まるで笑い話である。五輪はほとんどがテレビしか観戦でいない。実際に観戦できるのは、公道をつかっておこなわれる競技くらいである。自転車レースとかトライアスロンとか。札幌で行われるマラソンとか。「観戦」ができないから、せめて「雰囲気」にふれようとして聖火を見に行くのではないのか。
 一方で、五輪五輪と騒ぎ立て、一方で国民に家にこもっていろ、というのは無理だろう。五輪は中止する、だからみんな外出を控えて、と呼び掛けないことにはだれが家に閉じこもっているだろう。休業の店舗にも支援金を出さなければ、飲食店はやっていけないだろう。
 だいたい、スポーツの楽しみは単に見るだけではない。選手の活躍を見て、自分もやってみたい、という気持ちになる。スポーツは個人で(ひとりだけでできる)スポーツもあるが、たいていはだれかといっしょにやる。相手がいる。他人と同時に肉体を動かすのがスポーツである。つまり、スポーツをするとき、そこにはどうしたって「人流」がある。スポーツへの関心を煽り立てておいて、「人流」を抑制するということは不可能である。政策として矛盾している。
 スポーツに関心があるわけでもない私がそう思うくらいだから、スポーツ好きな人は選手の活躍を見れば、体を動かしたくなるだろう。子どもたちは、とくにそう思うかもしれない。
 五輪はまだ半分以上残っている。早く中止し、感染拡大防止策を一日でも早く強化すべきだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ(5)

2021-07-27 08:55:00 | 考える日記

 7月27日の読売新聞(西部版)によれば、

①東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は26日、海外からのアスリート3人を含め、新たに16人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
②選手の国籍や競技については各国・地域のオリンピック委員会から同意が得られなかったとして公表していない。
③また、日本オリンピック委員会(JOC)は26日、陸上競技の日本選手団の関係者が陽性と確認されたと発表した。選手団員ではないとしている。

①は26日夕刊で既報。
②「プレイブック」(ルールブック?)では、規定はどうなっているのか。感染拡大は予測されていたことであり、感染者が出た場合、公表をどうするかということは決めてなかったのか。決めてなかったとしたら、それは「プレイブック」の不備だろう。
 「バブル対策」で選手や関係者の行動は制限されているということだが、「だれが、いつ、どこで」感染したのか、その詳細が公表されないことには、二次感染の防ぎようがないのではないだろうか。
 何度も書くが、「濃厚接触者」は何人なのだろうか。事前合宿し入りた選手から陽性者が出たときは、濃厚接触者の数も公表されていた。それをやめてしまったのはなぜなのか。
 誰が濃厚接触者であるか知らされないまま、競技はつづけられるのだろうか。選手たちは、対戦相手が濃厚接触者であることを知らされずに対戦するのだろうか。それは自分のいのちを守りたいという権利を侵害することにならないだろうか。
③日本の関係者の、濃厚接触者数も隠すのはなぜなのだろうか。

 さらに疑問に思うことがある。
 公表されている「陽性者」は、いま、どこにいるのか。どういうふうに健康管理されているのか。「個人情報」だから公表する必要はない、ということなのかもしれないが、治療が長引き、帰国が遅れた場合、どうするのだろう。さらに最悪の場合、死亡することも考えられるけれど、そのときの対処はどうなるのだろうか。
 検査では「陰性」のまま帰国し、帰国してから発症する、あるいはその人の周辺で感染者が増えるということも考えられる。帰国までの待機(隔離)期間、帰国してからの待機期間については、各国・地域と合意ができているのだろうか。きっと合意はできていなだろう。相手まかせ、だろう。

 オリンピック以外の国内状況では、東京都が1429人の新規感染。神奈川540人、千葉509人、埼玉449人。東京の感染状況については「前週比」を記載しなくなっている。どれくらい危険な状況になっているか「報道」しないようになったということだろう。これが、このままつづくとどうなるのか。新聞を読む人が、自分で資料をもとに計算しなくてはならなくなる。
 メダルの数を報道する、選手のことを紹介するのもいいけれど、感染状況、感染に対してどう対応しているか、そういうことをもっと報道すべきだろう。オリンピックには選手の「栄誉」(あるいは選手生命)がかかっているかもしれないが、感染状況は「いのち」そのものにかかわることである。
 報道の「順序」を間違えていないだろうか。

 私の住んでいる福岡県では、新規感染は172人。前週比では3・7倍。知事は「第5波ともいうべき感染の拡大傾向が見られる」と語り、県独自の警報発動を調整していると書いている。東京を中心とする関東では、どう対応しているのか。感染が急拡大しているか、オリンピック組織委の責任だから、「私は知らない」を決め込んでいるのか。菅は、いまの状況をどう把握しているのか。東京に緊急事態宣言を出したから、もう責任は果たした。あとは都や国民の責任、ということか。あまりにも無責任だろう。新聞を斜め読みしたが、何も報道されていない。

 ヨーロッパの感染拡大も、急激だ。フランスは600万人を超えたとたんに拡大のスピードがアップしている。きょうの一覧表では605万人。一時はフランスに追い抜かれた(?)ロシアが607万人。スペインも428万人で、イタリアを追い越してしまいそう。この、なんというか抜きつ抜かれつの、マラソンレースのような感染状況の変化を見ていると、東京オリンピック周辺だけではなく、世界中で感染拡大が問題になっていることがわかる。オリンピックは、世界中で報道されているが、世界で起きている「感染拡大競争」はどれくらいていねいに報道されているのか。オリンピックは、世界のニュースにも大きな影響を与えているように思う。
 きょうも書くが、オリンピックは即座に中止すべきである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ(4)

2021-07-26 19:54:11 | 考える日記

 7月26日の読売新聞夕刊(西部版)によれば、

①五輪関係者、選手3人含めあらたに16人陽性…計148人に
 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は26日、海外からのアスリート3人を含め、新たに16人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。
 組織委が7月1日以降に公表した大会関係者の陽性者は、計148人となった。

②ビーチバレー女子、チェコ代表が陽性・試合棄権…石井・村上組が不戦勝
 ビーチバレー女子で24日に石井美樹(荒井商事・湘南ベルマーレ)、村上めぐみ(オーイング)組と対戦予定だったチェコ代表ペアの選手1人が新型コロナウイルスの検査で陽性反応を示したことを受け、大会組織委員会は、この選手のペアが1次リーグ全試合を棄権すると発表した。石井、村上組は不戦勝となった。

 今朝の朝刊では「陽性者は選手2人を含め10人だった。それが夕刊段階で「選手3人を含め16人」に拡大している。どんどん増えている。
 ビーチバレーでは、選手の「棄権」のために「不戦勝」ということが起きた。
 すでに書いたことだが(何度でも書くが)、「大会組織委」は「濃厚接触者」の数を講評していない。これは、危険だ。「濃厚接触者」が隔離されずにいるということではないのか。「バブル対策」は完全に崩壊しているのではないのか。
 「安心安全」を標榜するなら「濃厚接触者」が何人いるのか、「濃厚接触者」はどこにいるのか(隔離されているのか)をきちんと発表すべきだろう。
 こんな状態では、参加している選手や関係者に感染が拡大するのを「放置」しているとしか言えない。選手や関係者の「自己責任」と言うつもりなのだろうか。その選手や関係者が「バブル」の外に出て活動し、そこから市中感染が拡大した場合は、今度はだれに「自己責任」があるというのだろう。客として受け入れたコンビニ? オリンピック選手だ、と近づいて行って交流した市民?
 「濃厚接触者」の数、隔離場所を公表できない「安心安全」ならば、即座に大会を中止すべきだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ(3)

2021-07-26 07:58:27 | 考える日記

 7月26日の読売新聞によれば、

①東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は25日、ボートのオランダ選手と自転車のドイツ選手の2人を含め、新たに10人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。

②国内の新型コロナウイルス感染者は25日、46都道府県と空港検疫で新たに5020人確認された。重症者は前日から12人増えて448人、死者は4人だった。
 東京都では、1763人の新規感染者が確認された。日曜日では1月17日の1595人を上回って過去最多。1週間前から755人増え、6日連続で1000人を上回った。(略)連休後半は検査数の減少に伴い、新規感染者も減る傾向にあるが、この日は前日(1128人)から635人増えた。

 コロナ感染者の拡大が止まらない。
 ①の記事で問題なのは、最初の頃は選手、大会関係者の陽性が発表されたとき、同時に「濃厚接触者」の数も公表されていた。選手、関係者は、選手と接触する。濃厚接触者でも「6時間前検査」で陰性なら試合にできる。しかも、対戦相手は対戦を拒否できない(新聞あかはた報道)。これでは「公平」と言えないだろう。自分の健康を大切にし、対戦を放棄すれば不戦敗になる。こんな状況では、金メダリストが「不戦勝」で誕生する可能性も考えられる。それでもスポーツなのか。最初の頃のように、「濃厚接触者」は何人なのか、濃厚接触者はどういう「待遇(処置)」にあるのか。それも記事にすべきだろう。 ②は東京の感染が検査数が減少しているにもかかわらず、感染者が前日から635人増えたと伝えている。月曜日(きょう)からさらに拡大するだろう。引用しなかったが、神奈川351人、埼玉449人、千葉279人と増加している。さらに全国的にも大阪471人、沖縄209人と拡大している。
 オリンピックは即座に中止し、感染者対策を強化すべきだろう。

 さらに、大会関係の記事では、酷暑対策にテニスは「10分休憩」の特別ルールを設けたとも書いている。熱中症にならなくても、疲労が大きくなれば免疫力も落ちるだろう。感染の危険性がさらに高まると思う。
 何度でも書くが、感染が拡大し続けている、「バブル対策」が効果を上げていないのだから「安心安全」は単なることばにすぎなかったことになる。間違いがわかったら、即座にいまやっていることを中断し、対策を立て直すべきだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ(2)

2021-07-25 07:54:47 | 考える日記

オリンピックは中止すべきだ(2)

 7月25日の読売新聞によれば、

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は24日、海外から来日した選手1人を含め、新たに17人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。

東京都では、1128人の感染を確認した。連休による医療機関の休診などの影響で、1週間前から282人減ったが、1日当たりの感染者は5日連続で1000人超となった。

 コロナ感染が止まらない。東京都の感染者数には、わざわざ「連休による医療機関の休診などの影響で、1週間前から282人減ったが」と注釈がついている。これは連休明け後、感染者数が一気に増えたときの「弁明」のためである。つまり、「連休中に検査できなかった分の陽性者が含まれているため急増したように見えるだけで、急増はしていない」と言い逃れるためである。連休明けに急増することは目に見えているのだ。

 海外に目を転じてみても。
 きのうフランスの累計感染者数が600万人を超えそうと書いたばかりだが、きょうの新聞では601万人を突破、ロシアの600万人を超えて、ブラジルにつぐ感染国になっている。
 スペインとドイツの感染者数の差も52万人に拡大している。スペインは、もうすぐイタリアの感染者数を超えてしまうだろう。スペインの友人と「イタリアは危険だ」と話していたのが、まるで嘘みたいだ。スペインではワクチン接種3回目の検討に入っていると聞く。アルゼンチンの友人はすでに3回目の接種をしたとフェイスブックに書いていた。
 私は関心のある国の状況をちらりちらりと見ているだけだが、世界ではもっと感染拡大が進んでいるはずである。スペインの友人によれば、若者の感染拡大が激しいらしい。日本でも似ているが。
 多くの国、地域から選手や関係者が入国してくる。ウィルスも入ってくるに違いない。実際に陽性者が出ている。ウィルスのことはわからないが、変異種が出会えば、そこからまた変異種が生まれるのではないのか。「東京株」が生まれる前に(すでに生まれてしまっているかもしれないが)、人の交流が増える東京オリンピックは中止すべきだ。
 それでなくても、日本は夏休み、お盆の帰省と人の行き来が頻繁になる季節である。わざわざ危険を拡大する必要はない。「安心安全」というのなら、「安心安全」のために東京五輪は中止すべきだ。何度でも書いておく。始まってしまったからこそ、何度でも書く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピックは中止すべきだ

2021-07-24 09:19:54 | 考える日記

 コロナ感染が話題になり始めたころ(いわゆる第一波のとき)、私はこんなことを書いた記憶がある。
 コロナが終息し、コロナ対策の検証が世界で始まったとき、日本はきっと責任を追及される。安倍政権は、クルーズ船検疫で非常に「甘い」対策を取った。甘い対策にもかかわらず、日本のコロナ感染はそれほど広がらなかった。これは世界に誤解を与えた。厳しい対策をとらなくても大問題にはならない、と油断を産むきっかけとなった。乗船客を徹底検査し、陽性者は病院に隔離するという形で封じ込んでいたなら、それはコロナ対策の手本となったと思う。そういう手本を示せなかっただけではなく、逆に「甘い対策でも問題がない」という印象を与えてしまった。
 きのう7月23日に東京オリンピックが始まったが、このこともきっと事後検証のとき、絶対に問題になる。コロナは変種株がつぎつぎに生まれている。東京の感染者が急増している。そのときに「安心安全」という菅のことばを「証明する」ために、強引にオリンピックが開催された。不安、危険がいっぱいなのに、菅の嘘によって大会が強行された。
 きっと感染者が急増する。だいたい「バブル対策を取るから安全」といっていた選手村からも感染者が出ている。選手の入村からまだ間もないのに、である。世界から選手がやってくることで、新たな変種株が生まれるかもしれない。それが世界に拡大したとき、菅は、どう責任をとるつもりなのだろう。コロナを封じる対策をとらずに、逆に、拡大させる危険性のある対策を「安心安全」という名のもとで強行した。このことは、絶対に問題になるはずである。
 日本だけではなく世界でもコロナ感染は拡大し続けている。読売新聞の一覧表によると、フランスの感染者累計はもうすぐ600万人に達しそうである。以前、600万人目前というときに、突然累計が560万人に減らされた。それなのに再びまた600万人に近づいている。もうすぐロシアの累計感染者数を上回りそうである。ヨーロッパでは、一時期ドイツの累計感染者がスペインの累計感染者を上回ったことがある。ちょうどフランスの数字が600万人目前から560万人に「操作」されたころである。そのスペインとドイツの累計感染者だが、いまはスペインがドイツを50万人近く上回っている。(スペイン424万人、ドイツ375万人)。これは、どんなに少なく見積もっても、私が以前にこの問題を指摘して以来、フランスでは40万人近く、スペインでは50万人以上が新たに感染しているということである。感染拡大は、止まりそうにない。
 スペインでは3回目のワクチン接種を検討しているという。ただし、ワクチン接種が進んでいない国、地域でのワクチン接種を優先させる、という注釈付きの政策らしい。アルゼンチンでは、実際に3回目の接種をした、という人もいる。(フェイスブックに本人の写真入りで載っていた。)私のような、通りすがりのネットサーフィンでもつたわってくる情報だから、コロナ対策に取り組んでいる人や、その報道をしている人は当然知っていることだと思う。もっと「先」の情報も知っているはずである。
 「安心安全」を標榜するなら、そういう情報を国民に周知させる方策を取った上で、具体的な対策をとらないといけない。口で「安心安全」というだけで巨大イベントを実施するときではない。
 読売新聞にはほとんど書かれていなかったが、開会式会場周辺には大勢の人が集まったということもインターネットには書かれている。反対のデモもあったとも載っている。菅の「無観客=安心安全」は、会場内限定のことであって、会場外のことは知らない。会場外は、あくまで「自己責任」であって、菅の責任ではない、と言うつもりなのだろう。
 一方で、選手を集めて「安心安全」「感動を与える」と言っておいて、感動を求める人をほうりだしてしまう。すべて「自己責任」にしてしまう。人が集まらないようにするためにはどうすればいいのか、何をするべきなのかをまったく考えない無責任な政治が、きっととんでもない結果を引き起こす。
 いま中止すれば、まだ感染拡大が、さらに拡大することは防げるだろう。始まってしまったのだから、最後までやる、というのではなく、始まって危険性がわかったからこそ、すぐに中止する、という決断が必要なのだ。会場が広い、北海道のマラソンコースは開会式周辺よりも混雑することになるかもしれない。開会式周辺に集まってきた人よりも多くの人が沿道に繰り出すかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京オリンピック

2021-07-23 10:01:31 | 考える日記

 東京オリンピック2020がきょう7月23日開幕する。前回の東京大会のとき、私は小学生だった。6年生か、5年生かは忘れてしまった。覚えているのは「アジアで初めてのオリンピック」ということばだ。日本はアジアだった。いま、この日本はアジアである、という感覚がとても稀薄になっていると思う。あのころ、私は富山の田舎に住んでいた。中国人も韓国人も知らない。周囲にいる人も、たぶん、知らない。話題になったことはない。だから、その当時、日本人が中国人や韓国人を嫌っていたかどうか、肌で感じることはなかった。子どもだから、そういう情報に触れなかっただけなのかもしれない。情報があっても気がつかなかっただけなのかもしれない。でも「アジアで初めて」ということばをつかうくらいだから、日本はアジアであると意識が強く、アジアであると意識する以上、同じアジア人を嫌うということも、そんなに露骨ではなかったのではないかと思う。
 いま、やたらと目につくのが「反韓」「反中」ということばであり、また「反日」ということばである。日本政府を批判すると、韓国より、中国よりである。つまり「反日」である、という。そこには「同じアジア」という意識はない。日本はアジアではない、と意識しているかどうかはわからないが、なんとも、うさんくさい意識である。個から出発すれば、日本人である、アジア人である、世界人(?)である、という具合につながっていくはずなのに、途中の「アジア人」の意識が欠けていると思う。
 特にこれを強く感じるのは、最近の台湾をめぐる日本の政策である。日本の政策というよりも、日米の政策、さらに言えばアメリカの政策なのだが、「アジア人」という視点から見ると、その政策は奇妙に見えないか。
 中国が台湾へ侵攻するかもしれない。それは日本にとっての「有事」である。だからアメリカといっしょになって台湾を防衛しなければならない。麻生は、最近、そう言った。しかし、台湾は中国の一地域である、というのが日本の公式見解だと私は理解している。それに反して、実際にやろうとしていることは台湾を中国から切り離し、アジアから切り離す政策に見える。台湾をアメリカ化する。日本を、特に沖縄をアメリカ化したように。このときのアメリカ化とはアメリカの基地化という意味になる。日本、台湾はアジアではなく、アメリカ(西欧)である、という意識がどこかに潜んでいないか。韓国も、そういう意味ではアメリカである。同じアメリカなのに、日本のある人々は、なぜか、韓国人を嫌っている。彼らのなかには、とんでもない「矛盾」がある。「脱アジア」政策をとるいまの政権が、そして、そういう「反韓」勢力(意識)を利用しているというのも、なんとも奇妙なのだが……。
 日本が立つべき位置は、アメリカと一体になることではなく、アジアと一体になることだろう。日本はアジアであるという意識を忘れないことが大切だと思う。
 台湾と中国とのあいだで紛争が起きれば、もちろんそれは大変なことである。だが、その問題を解決するとき、台湾を中国から切り離す、アメリカにしてしまうというのではなく、アジアのままで解決しないといけないのではないのか。「有事」というものが、何と何を指すのか、定義はむずかしいが、何かあったとき、助け合わなければならないのは「隣国」である。中国は隣国である。しかも、日本は中国から多くのことを学んでいる大切な国である。交通網、通信網が発達し、アメリカは遠い国ではないかもしれないが、それでも中国よりは遠い。アメリカはアジアではない。アメリカが台湾をアメリカ化することに対して、異議を唱えるべきである。それができない限り、沖縄の基地はなくならない。逆に言えば、アメリカが台湾のアメリカ化をすすめるとき、日本が「集団的自衛権」を主張していっしょに行動するならば、日本全体がアメリカの基地となってしまう。日本は完全にアメリカになってしまう。アジアではなくなる。
 アメリカは、アジアの東では日本、韓国をアメリカ(基地)化し、西ではイスラエルをアメリカ(基地)化しようとしている。アジアを東西の両方から押さえつけ、アジアが「世界化」することを阻止しようとしている。「世界化」していいのはアメリカだけであるという考え方だ。アメリカが「世界」を支配するとき、そこに「秩序」「安定」が生まれるという思想である。
 中華思想に与するわけではない。必要なのは「共存」の思想なのだ。そして、その「共存」というのは、絶対的に「個」であることが必要だ。「個」の平等。それは「アジア」と「日本」のあいだで確立し、それから「日本」と「世界」とのあいだで確立していくものである。そのとき「アジア」と「アジア以外の世界」は平等である、という意識が重要である。「アメリカの世界観が正しい」ではなく、「平等」が必要である。
 スポーツは、実際はどうか知らないが、ルールのもとで「平等」である。その「祭典」であるオリンピックが開かれる日、私は、ふとそういうことを思った。「アジアで初めてのオリンピック」といったとき、そこには、世界に向かって開かれている希望のようなものがあった。でも、アジアを忘れたいま、オリンピックにはどこにも希望はないように思える。オリンピックではアメリカではなく、IOCがIOCの利益のために動いているのだが。ただ、構造としては、同じに見える。つまり、日本は(菅は)、アメリカの言う通りにさえしていれば日本は「世界の一員(しかもトップクラスの一員)」でいられる。IOCの言うがままに動いていれば、日本は「世界の一員」でいられる。「アジアの一国」ではなく「世界の一国」でいられると勘違いしているように見える。
 「スポーツを通じて世界をひとつにする」という「美しいことば」。でも、世界はひとつにならなくていい。ばらばらのまま、平等でいるのがいちばんいい。ばらばらのままでも、楽しく生きることができる、というのがいちばんいい。完全にばらばらになるのはむずかしい。だから、まず「世界」ではなく「アジア」であること意識する、まわりには隣人がいる(隣国がある)くらいのことろまでは引き返してみるべきだろう。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者のテレビ離れ。

2021-07-15 16:34:17 | 考える日記

日刊ゲンダイに興味深い記事があった。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/291931

「10代20代の半数はテレビを見ない」

というのである。
私もテレビを見ないが、私のような老人がテレビを見ないのと、若者がテレビを見ないのでは「意味」が違うと思う。
記事には、いろいろなことが書いてあるが。

私が私なりに要約すれば、これは別なことばで言えば「時間」を共有しなくなったということだね。
昔は、たとえば人気ドラマがあると銭湯ががらがらになった、といわれた。
銭湯も単に体を清潔にする場所ではなく、一種の「時間の共有」だった。
銭湯で「時間を共有」するかわりに、各家庭で、銭湯で出会う人と「時間」を共有している。
だから、次の日、前日見たドラマの話をすることで、「時間の共有」を確認する。
「時間の共有」が「生きる」ことの「共有」だった。
いまは、「時間」ではなく「コンテンツ」の共有に代わっている。
昔も「コンテンツ」を共有してはいたけれど、コンテンツ以外の「時間」の共有こそが人間をつないでいた。
みんな「おなじこと」を「同じ時間」にしている。
これがなくなるのは、大変な変化だとも言える。
時間を共有するというのは、いっしょに生きているということを感じることだからね。
「時間の共有」感覚がなくなると、きっと「他人の肉体感覚」というのも消えるな。
側にいる人が「肉体」をもった人間ではなく、単なるある「コンテンツ」を知っているかどうかだけでつながることになる。
ネットで問題になる「炎上」というのは、そういう類のものだな。
ことばを書いているのは、肉体を持って生きている人間であるということを忘れて、肉体を欠いたことばが暴走する。
古いことばだけれど「裸のつきあい」というのは、とても大切なのだ。
それが、「若者のテレビ離れ」というのは、ある意味で「裸のつきあい」の機会を減らしていくことになる。
飛躍した論理のように見えるかもしれないが、私が若者に感じる不気味さは、「他人の裸を知らない人間」の不気味さなのだ。
「裸の肉体」を「共有」したことがない体験の不気味さなのだ。
そういうことを思い出させてくれる記事であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「詩はどこにあるか」2021年6月号、発売中。

2021-07-06 23:25:06 | 考える日記

 

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>

「詩はどこにあるか」2021年6月号、発売中。1750円(税、送料別)


目次
とうてつ「走る名」ほか 2  岡部淳太郎「庭園」、金井裕美子「捨てる」6
石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」10 高柳誠『フランチェスカのスカート』(1)15
高柳誠『フランチェスカのスカート』(2)19
徳永孝「居酒屋(2)」、池田清子「ルーティーン」、青柳俊哉「干し藁の中へ」21
高柳誠『フランチェスカのスカート』(3)29  高柳誠『フランチェスカのスカート』(4)32
ルキノ・ビスコンティ監督「異邦人」34  秋亜綺羅「人形痛幻視」37
高柳誠『フランチェスカのスカート』(5)43  高柳誠『フランチェスカのスカート』(6)45
山田亮太『誕生祭』47  José SARAMAGO 『Enasayo sobre la ceguera』50
高柳誠『フランチェスカのスカート』(7)53  デニス・ホッパー監督「イージー★ライダー」55
金永郎『金永郎詩集』58  高柳誠『フランチェスカのスカート』(8)62
José SARAMAGO 『Enasayo sobre la ceguera』と雨沢泰・訳『白い闇』65
青柳俊哉「朝の先端で」、徳永孝「沈まない太陽」、池田清子「訪問」68
読売新聞6月19日「編集手帳」76  谷川俊太郎『どこからか言葉が』79
谷川俊太郎『どこからか言葉が』(2)85  高柳誠『フランチェスカのスカート』(9)89
秋亜綺羅「H氏賞選評」92  谷川俊太郎『どこからか言葉が』(3)95
フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』101  Jose Manuel Belmonte Cortes "MERCURIO" 105
谷川俊太郎『どこからか言葉が』(4)106  高柳誠『フランチェスカのスカート』(10)111
白石かずこ「詩をかいて とカンタンにいうが」113  鈴木志郎康「1 詩」ほか117
セルジュ・ゲンズブール監督「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」121
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩はどこにあるか 2021年5月号

2021-05-31 19:34:20 | 考える日記

詩はどこにあるか 2021年5月号、発売中です。

<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001411">https://www.seichoku.com/item/DS2001411</a>

目次

細田傳造「いやいやながら浮かばされて」2  Jose Manuel Belmonte Cortesのレリーフ 5

夏目美知子「トーチカ」7  阿部日奈子「俺は騙されてない」9

ティム・ヒル監督「グランパ・ウォーズ」13  森文子『野あざみ栞』16

小島数子「丘」18  和合亮一「juice 」、近藤久也「ばらばらに赴く、メトロどこへ」22

山本幸子「琵琶湖」27  田窪与思子『サーカス』30

長谷川信子「親」36  中村節子「陽炎」40

砂東かさね「春の記憶」46  愛敬浩一『メー・テイはそれを好まない』49

小松弘愛「白いガーゼのマスク」55  林嗣夫「無題」58

フロリアン・ゼレール監督「ファーザー」61  早矢仕典子『百年の鯨の下で』65

野沢啓「メタコロナ」70  池田清子「今」、徳永孝「春」、青柳俊哉「冷雨」79

金子敦『シーグラス』86  金子敦『シーグラス』(2)92

ダニエル・マイレ「日付のある詩と散歩」、ルイーズ・グリック「沈黙の鋭い言葉」99

桐野かおる「凶区」107  野沢啓「世相」111

山内聖一郎『その他の廃墟』118  高橋睦郎「いかにさびしき」122

木村草弥『四季の〈うた〉続』124  木村草弥『四季の〈うた〉続』(2)130

麻田春太『虚仮一心』134  林嗣夫『林嗣夫代表詩選 ひぐらし』136

スパイク・リー監督「アメリカン・ユートピア」141

石松佳「離島綺譚」「フォトグラフ」145  鈴木ユリイカ「二十代の頃」151

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ感染者数のなぞ

2021-05-26 08:15:26 | 考える日記

はっきり見えないかも知れないが、これは読売新聞の2021年5月25日、26日の朝刊国際面に掲載されている世界のコロナ観戦状況。
フランスに注目。
25日598万人を超えていたのに、26日566万人激減している。
私はフランスの感染者が600万人に達するのと、ドイツの感染者がスペインの感染者を上回るのは、どちらが先か気にして注目していた。
ドイツの方が先だった。
あのドイツでさえ、感染者抑制に手を焼いている。
フランスの今までの数字が間違いだったのか、26日の数字が間違いなのか。
あるいは、表は恣意的に操作されているのか。
という疑惑を持つのも、日本の数字に疑問を持つからでもある。
たとえば。
アメリカは、24日(日本時間25日)、日本への渡航中止勧告を出した。なぜ、いま?
日本の9都道府県に出ている緊急事態宣言は延長される見通しになったが、感染者は減っていると発表されている。奇妙である。
国民には知らされていない数字が、どこかにあるのではないか。
フランスのきょうの数字が間違っているだけなのかもしれないが、私は、いろいろ疑問に思うのだ。
 
 
さらに。
国内のコロナ感染者。
東京都の25日の感染者は542人。記事には1週間前に比べて190人すくなく、12日連続で前週の同じ曜日を下回った、と書いてある。
事実だろう。
しかし、24日発表は340人なのだから、前日比では202人の増加である。数字の評価は、基準をどこに置くかで変わる。
危険を小さく見せるか、大きく見せるか。
客観的に見えて、恣意的なのが数字の魔法である。
見出しにしても、25日は、新規感染3000人下回る、一か月ぶり、だったのが、26日は沖縄最多256人、全国3900人感染。全国的には前日を900人も上回っているのに知らん顔である。
情報は、自分で分析してみよう。
その分析が、専門家からみて不適切であっても、自分の疑問を大切にしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

転院しました。

2021-02-06 12:06:06 | 考える日記
やっと転院。
あと7週間ほどかかります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手術

2021-01-13 08:59:50 | 考える日記
昨日、手術が終わりました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入院しました。

2021-01-08 13:21:06 | 考える日記
入院しました。
詩の通信講座は退院まで休みます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする