デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)(七月堂、2022年05月05日発行)
デイヴィッド・イグナトー詩抄『死者を救え』(千石英世訳)は、読み始めてすぐにひきつけられる詩である。
「病院の受付係」。
その人の名前と住所を
その人の年齢と生地を
その人自身の口から聞き取って
以来、もうその人たちは何人死んでいったのだったか?
新生児の登録もした 出産の番号札をつけて
受付係だから
三行目の「その人自身の口から聞き取って」が、一行目と二行目の事務的手続きを強く揺さぶる。「口」という肉体の存在、聞き取るときの、書かれてはいない「耳」と「手」の動き。そこに他人の肉体と、詩人の肉体の交渉がある。「その人自身」という個へのこだわりが、必然として個の消失、死を暗示させる。どきりとさせられる。だから、その後につづく「死ぬ」という動詞が、なまなましく、また避けることのできない「必然」として迫ってくる。
ああ、この人は、生きながら「死ぬ」ということを考え続けたのだ、考えることを迫られたのだと、一瞬息が止まる思いがする。「以来」ということばで、詩人は、その衝撃を必死に緩和しようとしている。
さらに、逆のことも書いて、自分自身を救い出そうとしている。死ぬものがあれば、生まれるものもある。だが、その生まれた人の「名前と住所」「年齢と生地(これは聞かなくてもわかる)」は「その人自身の口から聞き取る」わけではないのだ。
だからこそ、三行目は、絶対に書かなければならなかったキーセンテンス(キーとなる一行)なのだ。そして、この絶対的な「ことば」、「その人自身の口」から発せられるものこそが、詩なのである。それがたとえ「名前、住所、年齢、生地」という、一般に詩とは感じられないものであっても、それが詩なのだ。一回限り、そこで存在した「ことば」なのだ。
そういうことを意識しながら、詩は、二連目に入る。
ここで詩を書くのだ 死と生の数々に囲まれて
受付係として
それで深くなったか? ウソをいわなくなったか? ぼくときみは?
「ここ」ということばが重い。「名前、住所、年齢、生地」が固有名詞なら、「ここ」も固有名詞なのだ。そして「受付係」さえも固有名詞だ。詩は、固有名詞のなかにある。個(固)のなかにのみ存在し、生きている。
この固有名詞、個の存在と向き合い続けるのは、とてもむずかしい。「普通名詞(一般名詞)」になって「流通」してしまう。「ほんとう」が「ウソ」に変わってしまう。固有名詞は、その深さを測る基準がない。どこまでも深い。そして絶対的真実である。ウソを受け入れない。そこへ、たどりついたか?
詩人は自問している。
そして、この詩は問いかけてくる。この詩に対して、私は「私自身の口」から「私自身のことば」で、「私の名前、住所、年齢、生地(アイデンティティー)」を語ることができるかと。
私は、感想を書くことで私自身を語り得ただろうか。私の感想のなかにはまじっていないか、つまり、私はウソをついていないか。
詩を読むのではない。詩の方が私のことばを読む。その真剣な視線の前で、私はどれだけ自分自身に対して正直になれるか。新生児として生まれ変われることができるか。それが、これから詩集を読んでいくとき、私に求められることだ。
「だからまたぐ」という詩がある。
わたしは
石ころ一個とのつながりで
わたしじしんを了解する
この「石ころ」とは「固有名詞」としての「詩」である。そこにある「固有名詞としての石ころ(詩)」と「わたしじしん」をどうつなぎ、そこで何を語ることができるか。他人のことばではなく、自分のことばで。
詩人はつづけている。
肉と骨であるもの
わたしは石ころに向かってひれ伏すべきだろうか?
そう、ひれ伏すべきである。固有名詞の存在の前で、「わたし」と「人間」とか「市民」とかという「普通名詞」に逃げてはいけない。「固有名詞」にならないといけない。全体的存在としての「石ころ(固有名詞)」の前で、詩の前で、できることは、「ひれ伏すこと」、無力であることを自覚すること、無になること……。
これは聞こえてきた声 わたしの声
わたしは正面から石ころに対峙したい
プライドをもって
しかしわたしはこわれうるものである
わたしはあらそいをこのまぬものである
だから
石ころをまたいで過ぎる
「しかしわたしはこわれうるものである」の「こわれる」をどう読むべきなのか。私は悩むが、「こわれる」を可能性と読む。固有名詞(詩)の前で、私は私であってはいけない。私を壊して、私でなくならないといけない。生まれ変わらないといけない。
だが、こういうことは、頭で言うのは簡単である。ことばは、いつでも、自分の都合のいいように頭の中で動いてしまう。ウソを、かっこいいことを書いてしまう。
詩人は、ここで踏みとどまっている。
そこまでは、できない。
だから、石ころ(詩)という全体的存在を認めながら、いまは、そっとそれを「またいで過ぎる」。この「またぐ」という動詞に、何とも言えない正直を感じる。これは「保留」のひとつの態度である。
「夜の読書」にも、同じものを感じた。
なにを学んだから
わたしはいずれ死ぬんだ
という単純な事実から離れていられるのか?
本から学んだ考えは、わたしを素通りしてゆく
本を閉じる、わたしは閉じ込められる、闇につつまれる、急遽、
本をひらく
本のひかりがわたしの顔を照らすのを待つ
「自分自身のことば」をみつけなければならない。しかし、ことばはいつでも「本」(他人)からやってくる。やってくるものは、たいてい、通りすぎても行く。通り越して行く。それは、しかし、通り越すにまかせるしかない。それは「自分自身のことば」ではないからだ。
本のひかり、本のことばが、「わたし」を「照らす」。照らされたそのひかりのなかに、私自身のことばを見つけなければならない。「照らす」力を借りて、「私自身」を探す、ということだろう。ここにも「保留」がある。
詩は(固有名詞は)、私を「固有名詞」に引き戻してくれる「ひかり」である。
この詩集の前で、私はどれだけ正直になれるか。それが問われている。急いではいけない。ことばがウソをつきそうになったら、その直前で立ち止まり、「保留」することが必要なのだ。だから、きょうは、ここまでしか書かない。
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