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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白井知子『ヴォルガ残照』

2024-01-05 21:02:17 | 詩集

 

白井知子『ヴォルガ残照』(思潮社、2023年10月20日発行)

 「白樺の木立 ゴリツィ」のなかで船のガイドのイリーナが白井の質問に答えてこんなことを語る。

ロシアは広い とても
他の土地のことは知らない

 それは白井の質問とは直接は関係がない。関係がないが、質問に答えているうちに、ふと出てきたことばである。しかし、この二行が、私にはいちばん印象に残った。
 「他の土地のことは知らない」は、必ずしも「この土地(自分の土地)のことは知っている」とは限らないだろう。自分の土地のことでも知らないことはあるだろう。しかし、いくらかは知っている。だから「他の土地のことは知らない」は、他の土地のことは「まったく」知らない、ということになるかもしれない。しかし、そういうことは別にして……。
 「知らない」と言い切るところに何か不思議な「強さ」を感じた。それが白井の質問とは関係がないから、言わなくていいことである。だからこそ、その「強さ」が気になった。そして、「知らない」と言えることは、とてもいいことだとも思った。
 この「知らない」を起点にして白井の詩を読むと、不思議なことに気がつく。白井は旅行している。基本的に「知らない土地」だ。そして、そこで「知った」ことを書く。ことばにする。しかし、それはほんとうに「知っている」ことなのか。白井がことばにしている以上のことが「そこ」にはある。「世界」にはある。
 だから。
 「知らないこと」はたくさんある。しかし「知ったこと」もある。「知ったこと」を書くとき、その周辺には「知らないこと」(意識できないこと)がたくさんある。それを承知で、しかし、「知ったこと(知っていること)」を書く。そのとき、「書く」という行為には厳しい決意がある。緊張がある。その緊張が、白井のことばを支えている。
 そして書いていると、いま引用したイリーナのことばのように、白井の知らなかったこと、予想していなかったことが、突然、向き合った人やものの向こう側から姿をあらわすことがある。無意識のうちに知ってしまったもの、と言い換えてもいいかもしれない。それが「世界」を広げていく。

ロシアは広い とても

 この一行も、非常に興味深い。「ロシアはとても広い」ではない。「ロシアは広い とても」は、「ロシアは広い」と言った後で、そう言っただけでは足りないと感じ「とても」を付け加えている。そして、「とても」だけでもまだ足りないと感じるから「他の土地のことは知らない」とさらに付け加えるのだが、このリズムが、とても自然だ。ああ、いいなあ、と感じる。
 何かを言って、それだけでは足りずに、さらに何かを付け足す。そのときの意識の運動。その運動そのもののようにして、白井のことばは動いていることに気づかされる。
 たとえば、この「白樺の木立」は、

秋の並木道
キリロベルゼルスキー修道院
濡れた白樺の樹皮を指でなぞっていく
しんとした生いたち

 と始まるのだが、それだけでは足りない。何かを「付け足さない」といけない。付け足せば付け足すほど、「とても」足りないという気持ちが強くなる。「知ったこと/知っていること」の背後に「知らないこと」がたくさんあらわれてくるのがわかるからだ。自覚するからだ。
 だからこそ、白井は質問をするのだ。そこにいる人とことばをかわすのだ。
 「知らない」人同士が「知っていること」を語り合い、何かを通じ合わせる。しかし、その背後には「とても」たくさんの「知らないこと」がある。それを勝手に「知っていること」で判断し、「知っていること」にしてはいけない。だから「知らない」と言う。ここには、不思議な「正直」がある。
 もし、この「正直」を誰もが生きることができたとしたら、たとえばロシア・ウクライナの戦争は起きなかっただろう。「知らない」のに「知っている」と思い、その「知っている」を基準にして、「知っている」を押しつけるとき、そこから戦争のような暴力が始まる。

 世界は広い、とても。知らないことがたくさんある。その「知らない」を「知ったこと」で判断しない。ただ「知ったこと」を「知ったこと」の範囲で書く。「生いたち」ということばがあるから、こんなことを思うのかもしれないが、何かしら、ここには白井が生まれ変わる「瞬間」のようなものが書かれている。他人に触れて、その他人を通して、「知らない」を「知る」に変えていく。そして、同時に、その向こう側に「とても」多くの知らないがあると自覚する。その自覚のなかへ生まれ変わっていくときの、ことばの厳しい緊張がある。「知らない」ということばに共鳴する白井だからできる運動である。

 

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坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』

2023-12-09 21:33:42 | 詩集

坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』(阿吽塾、2023年11月04日発行)

 坂多瑩子『教室のすみで豆電球が点滅している』は、現代詩書下ろし一詩篇による詩集、懐紙シリーズ第十一集、という。未発表の(書き下ろしの)長い詩一篇で構成されている。
 で、坂多は何を書いているか。

人と共有できないことばをただ
わりたくなる ガラスのように
ただ
投げつけたくなる
傷つくように
おびえて 大真面目にね
大馬鹿にね

 4ページ目に登場する一連。最後の二行は嫌いだなあ。でも、この二行を書かないと、尾崎豊になってしまうのだろうか。尾崎豊、知っているわけじゃないんだけれどね。どこかで、いくつか聞いただけだけれどね。
 私が気に入っているのは三行目「ただ」。
 「ただ」は一行目にも出てきている。一行目の「ただ」はことばの勢いのなかに埋没している。無意識に出てきた「ただ」である。それを三行目では独立させている。「意識」しようとしている。意識するといっても、なんというのだろう、坂多自身が、これは一体何なんだろうと思いながら「ただ」のなかへ入っていく感じがする。
 この「推進力」としての「ただ」は、何回も何回も、この長い詩に登場する。
 たとえば、15ページ。

ここは帰り道
草ぼうぼうで
いつもの帰り道なのに
何かをすてる場所にたどり着きそうでわたし
さっかきから思いだそうとして
あの裏庭の
台所の
ちょっと傾いた棚の
いちばん上にあったもの
それが
ものすごく大事なものだったように思えてきて

 えっ、どこにも「ただ」がない? よく読んで。ほら、最後の二行目の「行間」に隠れている。

それが
「ただ」
ものすごく大事なものだったように思えてきて

 これは、

それが「ただ」
ものすごく大事なものだったように思えてきて

でもあり、(つまり、ほんとうに、それがのあとにくっついている)、そして、それは最初に引用した「人と共有できないことばをただ」と同じように、ほとんど無意識。無意識だから、実際は「書かれていない」。しかし、無為詩のなかに「書かれている」。そういう「ただ」が、この詩のどこにでも隠れている。どこにでも補って読むことができるし、補ったときに坂多により接近できる。あるいは坂多自身になれる。
 まあ、坂多自身になりたくないひとは「ただ」を補わずに、そのまま読んでください。 23ページ。

すると
犬は
ゆっくりと
あくびをして
たち上がる
それから
グンとかギュンとかいって

薄闇の中にもどっていく

 さて、どこに「ただ」を補う?
 私は「グンとかギュンとかいって」と「薄闇の中にもどっていく」のあいだの「空白」に「ただ」を補い、ちょっと泣いてしまった。
 坂多は、その犬を抱きしめ、家に連れて帰ることだってできたはずである。しかし、それができない。「ただ」薄闇の中にもどっていくのにまかせている。
 このときの「ただ」は、とても大事なもの。誰も知らない、坂多の「たからもの」のような「ただ」である。知られたくない。絶対に隠しておきたい。でも、何かが動いた。その証拠として、坂多は「一行の空白」を詩に残している。
 ほかにもいろいろ「ただ」を見つけることができる。見つけてみてください。見つけるために、この詩集を買ってください。

 

 

 


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田原『犬とわたし』

2023-11-28 16:15:07 | 詩集

 

田原『犬とわたし』(絵・いがらしみきお)(澪標、2023年11月20日発行)

 田原『犬とわたし』は絵本。
 犬と出会い、犬と別れる。思い出が残る。思い出は死なない。死なないというよりも、何度でも生き返ってくる。思い出が生き返るとき、また、犬も生き返る。
 しかし、このとき、そこには「哲学」がない。「思想」がない。そして、その「哲学がない、思想がない」ということこそ、「絶対的な哲学」なのだ。世界で存在しうる(存在に耐えられる)たったひとつの「事実」だ。
 こう言い直そう。
 哲学なしに、思想なしに、どんないのちも生きてはいけない。生きているいのちは、みんな哲学、思想をもっている。それをことばにするか、ことばにしないか、だけである。ことばにしなかったからといって、そこに思想がないとは言えない。ことばをもたないいのちに対して思想がないと考えるのは、ことばもたないいのちと向き合っているその本人に思想がないからだとも言える。
 ことばを発しないいのちから何を聞きとるか。
 安易にことばを与えれば、それは嘘になる。
 田原のことばは、嘘になる前で踏みとどまっている。だから、何も語らない犬からのことばが自然に聞こえてくる。
 絵本の主人公の少年が犬のことを忘れないように、犬もまた少年を忘れることはない。

いつも一緒、
いつも一緒に走っていた。

 前半に出てくるなんでもないようなことばだが、繰り返されている「いつも一緒、」が、この絵本を貫く思想である。哲学である。世界に存在しうるに値するたった一つの事実である。
 人間が語る哲学(思想)で、私は「みんなが幸せになれるように」ということば以上のものを聞いたことがないし、読んだこともないが、「みんなが幸せになれるように」のなかにも、実は「いつも一緒」がある。「いつも一緒」以上の哲学、思想は、この世には存在しない。

お正月に、
肉のついている骨をかじるわたしを
じっと見つめて
よだれを垂らす犬はとてもかわいかった。

 ああ、このとき、犬はただよだれを垂らしているのではない。一緒に骨つきの肉にかぶりついているし、骨つきの肉にかぶりつく少年を「とてもかわいい」と思って見ているのである。まるで母親が骨つきの肉にかぶりつく子どもを「とてもかわいい」と思って見ているように。そして、同時に、母親は、子どもになって骨つきの肉にかぶりついている。この「いつも一緒」を「一体になる」という。
 おかしいのは(楽しいのは)、絵である。
 この絵本の犬は、田原そっくりの目をしている。田原に出会っていなかったら、いがらしみきおは、こんな顔の(こんな目の)犬を描かなかっただろう。いがらしの描く犬は、その絵は、犬と田原が「いつも一緒」にいること、「一体」であることを証明している。それがとても愉快だ。

 

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粕谷栄市『楽園』

2023-11-28 00:28:33 | 詩集

 

粕谷栄市『楽園』(思潮社、2023年10月25日発行)

 粕谷栄市『楽園』の、一連の詩を「森羅」で読み始めたとき、「困ったなあ」と思った。感想はあるのだが(そして何回か書いたことがあると思うのだが)、ほんとうの感想はないのだ。「あ、これは、おわらないなあ」と思う。簡単に言えば「夢をみた」、その夢を書いているのだが、「夢をみた」ということを繰り返し読んでも、それから先に進まない。「ああ、そういう夢をみたんですね」と言えば、それでお終い。
 いや、そうじゃないんだなあ。
 「要約」してしまえば、そうなってしまうが、その「要約」を拒んで、ただ、そこにことばがある。「要約」を粕谷はすでに知っていて、それでもことばを書いている。「要約」したとき、そこからこぼれおちるもの(?)こそが詩だからである。こぼれおちるではなく「要約」のシステムでは掬い取れないものが詩だからである。
 それは、なにか。
 「小さな花」は、こうはじまっている。

 この世の日々をよく生きるためには、どんなささやか
なものでもいい、何かしら楽しみを持つことだ。
 誰もが、そう思うだろう。特に、心に悩みがあって、
苦しい暮らしを過ごしている者には、一層、それが、必
要だと言える。

 一段落と二段落のあいだには「飛躍」がない。ずるずる、っとつづいている。粕谷は読点を多用する。読点は、一種の「区切り」だが、そこにあるのは「見せかけ」の区切りであって、それは「区切る」というよりは、むしろ「接続」を促している。ずるずる、っとつながっていく。
 一連目の「楽しみ」と二連目の「こころに悩みがあって」の関係など、反対のことば(概念)が、ずるずるつながっているのだが、それが、わかるように、わからないように、なっている。

 だが、そのような人々に限って、そのための自由な時
間がない。それでも、何とか、努力して、それを見つけ
て、悦びを得ている男を、私は知っている。もちろん、
誰も気づかないような、ささやかな楽しみだ。

 ここまで進んで、何か変わったのかなあ。「男」が出てきて、「私」も出てきたのだが、「ささやかな楽しみ」というくらいだから、びっくりするようなことは起きない。言い換えれば、特に書かなければならないようなことは起きない。
 でもね。
 「ささやか」。そう、それは「ささやか」と書くことができる。大したことではない。書くようなことではない。でも「ささやか」と書くことができる。この「ささやか」は、ほら、一行目にもあった。循環する。つまり、終わらない。
 これだね、問題は。
 書くことはない。しかし、書くことはできる、と書くことができるだろうと書いたのはベケットの小説のなかのだれかだったか、戯曲のなかのだれかだったか、私はもう忘れてしまったが、粕谷が書いているのはそういうことだ。ことばを書くということは、終わらないことだ。終わらなくても、かまわない。結論がなくてもかまわない。「要約」なんか、意味がない。どんなときにも、どんなことでも、大事ではないこと、いらないこと(不要なこと)でも、書くことができる。
 つまり。
 ことばは、なんにでも「かかわる」ことができる。「ささやか」なもの。書かなくてもいいようなこと、終わらないようなことも書くことができる。変化があればあったと書くし、変化がなければなかったと書くことができる。そうやって、ことばで「時間」を埋めていくことができる。
 そして、これがいちばんの問題なのだが。
 そのことばで時間を埋めていくときの「リズム」、これが、粕谷の場合、変わらないのだ。粕谷は「関わり方」を変えずに、生きているのだ。よくもまあ、こんなに変わらないリズムのまま、「夢をみた」の「夢の対象」だけを入れ替えたような詩を延々と(ずるずると)書けるもんだなあ。
 書けるもんだなあというのは、私のいい加減な感想なのだが、粕谷は「いい加減」なことはせず、実にていねいにていねいに「ずるずる」と書く。繰り返しになるが「関わり方」を変えない。「生きるとは関わることだ、関わり方を変えると死んでしまう」と言っているようにも感じられる。
 だから。
 わああ、すごいなあ。よく飽きないなあ。よく、終わらないことをつづけられるなあ。この変わることのない「文体」というのは、やっぱり、すごいものだ、と私は思わず書かずにはいられない。

 一度だけ、短い夢のなかで、私は、菫の花の鉢を抱え
て、笑っている彼のすがたを見た。
 おそらく、死ぬまで、私が、それを忘れないだろう。
彼は、本当に、楽しそうだった。深く、心に残ることは、
夢のなかにあるということだろうか。

 ここに書かれていることばをまねして言えば、私は、粕谷がことばがつまった鉢を抱え、彼が知っているたったひとつのリズムにのせて、その鉢のなかのことばを全部つかってしまおうと遊んでいる姿をみた。ほんとうに楽しそうだ。私のこころに残るのは、そのとぎれることのない「ずるずる」のリズム、読点を多用して「ずるずる」ではなく「ぶつぶつ」を装った果てしなさを愛している粕谷の姿である。

 

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服部誕『祭りの夜に六地蔵』

2023-11-04 11:52:09 | 詩集

 

服部誕『祭りの夜に六地蔵』(思潮社、2023年10月10日発行)

 服部誕『祭りの夜に六地蔵』に「風の石」という作品がある。「酒船石異聞」というサブタイトルからわかるように、石造りの遺構を訪ねたときのことを書いている。

遅れている
時の到着を待つあいだ
わたしは
石の冷たさに
しばし倚りかかる

  これに類似したことばが、そのあと出てくる。

おおきく
伸びをしたわたしは
軽いめまいを
石に預けた
背でささえる

  第三者から見れば、石と「わたし」の関係は、どちらも同じ姿に見えるだろう。しかし、服部は書き分けている。「倚りかかる」と「石に預けた/背でささえる」とに書き分けている。この変化に詩がある。これは、この後の連を読むと、さらにはっきりするのだが、それは後で書くことにして……。
 石と「わたし」の関係は、後者の場合、正確には(文法的には?)、背で支えているのは「軽いめまい」なのだが、そしてそれは「わたし」が石に支えられていることになるのだが、私は一瞬、私が「石」を支えているように感じてしまう。めまいのとき、世界が揺れる。石も揺れる。その揺れ動く石を、「わたし」が背で支える。石と「わたし」の関係が入れ代わる。私は、そう「誤読」してしまう。石と「わたし」が一体になり、そこに新しく生まれてきている。「新しい世界」がそこに出現している。
 この「新しい世界の出現」という感じは、前者の引用にはない。そこには詩はなく、散文としてのことばの運動がある。
 しかし、後者では何かが動いている。「肉体」の動きが、「ことば」を刺戟して、「ことばの肉体」を動かしている。「軽いめまいを感じ、石に背中を預けて、わたしは倒れるのを防いだ」と書くこともできるのに、「ささえる」という動詞をつかったたために、「肉体」の動きが克明になった。「倒れそうになった姿勢をささえた」ではなく「軽いめまいを/背中でささえた」。「肉体」のなかから「めまい」を引き出して、それを「ささえ」ている。あ、まだ、めまいが軽くつづいている。
 めまい、その酔ったような感覚のなかで、私は石と「背中」の関係を見失うというか、ふたつの渾然一体のものとして感じる。
 この渾然一体の感覚の後、次の三行がある。

思いがけなく
あたたかな
石のあかるみ

 ここ、いいなあ、と思う。
 自分をささえてくれる石の「あたたかな/あかるみ」。「あたたか」と「あかるみ」が一体になって、背中に伝わる。
 と、書いて、
 不思議に思わない人もいるかもしれないけれど、私は、ちょっと不思議に思う。「あたたか(さ)」は皮膚感覚(触覚)だから、背中で感じることはできる。しかし「あかるみ」は視覚が判断するもの。それなのに背中で感じている。触覚と視覚が融合している。つまり、人間の感じる何かを触覚/視覚に分離し、固定化して、(そういう定型化した方法を採用して)、書いているのではなく、それは触覚なのか、視覚なのかという批判(?)を恐れずに、渾然一体のものとして書いている。
 私たちの「肉体」には「あたたか」と「あかるい」を共通のものとして感じる触覚と視覚が融合した「いのち」があるのだ。こういう学校文法で定型化(固定化)した表現を破壊し、「いのち」そのものが感じているものをつかみとり、言語化することを、私は詩と定義している。だから、それは詩だけではなく、さまざまな散文でもおこなわれている。
 きのう書いた野沢の「隠喩論」の批判のつづきとして書き加えれば、「軽いめまいを/石に預けた/背でささえる」から「あたたかな/石のあかるみ」への変化のなかに「隠喩」の「いのち」がある。
 服部は書いてはいないが(隠喩だから、書く必要がないのだが)、最後に引用した三行は、学校文法で書き直せば

思いがけなく
あたたかな
石のあかるみ
感じた

 である。「感じた」が省かれている。それは、服部の「肉体のことば」であり、それが無意識的に「ことばの肉体」に反映して、「感じた」が隠れてしまっているのである。「感じた」は、ことばにする必要がないもの、「無意識」であり、それは書かれていないから存在しないのではなく、書く必要がないくらいしっかりと服部の「肉体/ことば」になってしまっている。
 あらゆる「隠喩」は、そういう「いのち」の動きとしてあらわれる。
 「隠喩」とは(あるいは、比喩全部といってもいいが)、「対象」の「言い換え」ではない。そういう「比喩」は、いわば「記号」である。1+2=3をA+B=C、C-A=Bというときの「記号」のようなものである。
 「隠喩」とは「記号」ではなく、「いのち」の運動である。いつでも、それが「どう動いているか」ということでしか語ることのできないものである。

 

 

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石毛拓郎「母乳、余滴。」

2023-10-08 22:22:35 | 詩集

石毛拓郎「母乳、余滴。」(「ココア共和国」2023年10月号)

 石毛拓郎「母乳、余滴。」には長いサブタイトルがついている。それは省略する。
 その終わりの方の部分。

いまは、大潮の赤帯のそよぎでざわめいている。
その気配で、馬鹿貝は赤い泡を吐き出して、跳ぶのだ。
跳びあがれないで、土左衛門になってしまうものは
海中の砂楼閣、貝塚をしつらえる。
貝を探す者の足裏に当たる、主人を失くした殻よ。
(土佐意識と観念は、このように何気なく隠れている)

 この部分と、私がこれから引用する林達夫の文章とどういう関係があるのか、実は、私にもわからない。ただ、突然、思い出してしまったのだ。「ちぬらざる革命」という文章の中にある。(林達夫著作集5)

 君は不服そうな顔をしているが、それは君の時代を見る目が、下らぬ新聞や雑誌の見出し(ヘッドライン)にしかくっついていない証拠だ。あとになって時代の顕著な動きと見られるものはその時代には明確には掴めず、つまり見出しにはなりにくいという鉄則に早く気づく必要があるね。

 石毛は,新聞の見出しなど気にしない人間だ。自分の身の回りで起きていることを気にしている。たとえば、馬鹿貝の死。それが、では、私の(あるいは、いま起きている様々な)現実とどうつながっているのか、それを説明し始めたら、きっと、さらにわからなくなるだろう。なんでもそうだが、それが起きているとき、それを説明するには、とてもめんどうな手続きが必要なのだ。
 たとえば、詩を書いて見せる、とか。
 そんなものを読んだってわからない。それが、そして、とても問題であり、とても大事なのだ。
 「無人境のコスモポリタン」には、林達夫は、こんなことを書いている。

 政治はどこか遠い見知らぬ場所から出る得体の知れぬ指令で運営され、ただそれに黙従する以外に手はなく、自らの政治的社会的要求を政治に直接に反映させるなどは思いも及ばぬことになってしまっていたのです。

 石毛は、この林達夫の文章を踏まえて書いてるわけではないだろうが、詩の最後は、こう閉じられている。

とげとげしい立入禁止の看板が、倒れている。
その殺風景の砂浜から、腹這いに眺めみる新世紀の渚に
前代未聞の「馬鹿」が出現することもある。
その及ぶ限りの澪の片隅に眠る、馬鹿貝の母乳は
ここ、鹿島灘にもあったし、伊勢湾先端の渥美半島にも
そうだ! あそこ、沖縄大浦湾辺野古にもあった。
すべてのことが、前代未聞のことさえ起こりうる
その、潮の満ち引きにうまれる母乳!
渚に…………。

 新聞の見出しは鹿島灘、渥美半島、辺野古を結びつけない。しかし、石毛は結びつける。何によって? 馬鹿貝によって。もっとはっきり言えば、馬鹿によって。村上春樹は、ノーベル賞はもらわなくても新聞の見出しになるが、そんなふうに見出しにならずに死んでいく馬鹿がいる。その馬鹿に、石毛はなる。そのために、詩を書いている。


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松岡政則『ぢべたくちべた』

2023-09-24 15:47:55 | 詩集

 

松岡政則『ぢべたくちべた』(思潮社、2023年07月31日発行)

 松岡政則『ぢべたくちべた』の「通りすがり」。その書き出し。

ひるめしは道端食堂で
塩ゆでの田螺をピリ辛ダレで喰うた
じんわりと情の深まる滋味で

 「じんわり」はだれでもがつかうことばである。「じわり」というときもあるが、「じわり」よりも重い感じが私にはする。重いといえば「ずしり(ずっしり)」という表現もあるが、「じんわり」の方がゆっくりだ。私の印象、私が自分の思っていることをつたえるとしたら。
 なぜ、こんなことを書くかというと。
 私はときどき詩の講師をしている。そして、受講生に対して、「この『じんわり』を自分自身のことばで言い直すとなると、どうなる?」と質問する。
 これに対する答えは、なかなかむずかしい。「じんわり」で「わかってしまう」からである。「わかっている」ことをことばにするのは、ほんとうはむずかしい。かりすぎているために、ほかのことばが思いつかないのである。
 この「わかりすぎている」感じ。それを松岡は、次の行で、こう言い直している。

なぜとなくここで生まれたような気がしてくる

 これが、すばらしい。
 「じんわり」とは「ここで生まれたような」、つまり、最初からそれを知っていたような/それ以外のことを知らないような、何か絶対的なもの、に触れて、それが「正しい」というか、拒否できないもののように感じられることなのだ。
 突然ではなく、とても静かに、それが体を包む。
 何かを「喰うた」とき、それは肉体の仲に入るのだけれど、その肉体の中で静かにひろがり、肉体という枠をすりぬけて、外の世界とつながり、その外の世界が静かに肉体を包む。肉体の内と肉体の外の区別がつかなくなる。
 こういうことは、やはり静かに、ゆっくり起きてほしい。急に、突然だったら、きっとうろたえる。

じんわりと情の深まる滋味で
なぜとなくここで生まれたような気がしてくる

 松岡は、各地(主に東南アジアだが)を歩き、そこに住む人の声を聞き、そこに住むひとと同じものを食べる。そうすることで、そこに住むひとと「一体」になっていく。「じんわり」と。その融合の仕方が、とても気持ちがいい。

じんわりと情の深まる滋味で
なぜとなくここで生まれたような気がしてくる

 と松岡は書くのだが、この「ここで生まれたような気がしてくる」は、過去の記憶ではなく、「いま、ここで、生まれ変わる」と言い換えた方がぴったりすると思う。松岡は、旅をして、声を聞いて、その土地のものを食って、新しく生まれ変わって、生きるのだ。
 それが新しい体験なのに、懐かしい体験でもあるかのように。
 ここには「矛盾」があるのだが、だからこそ、それは信頼できる「真実」なのだ。

 

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山本育夫『ことばの薄日』

2023-09-11 21:56:15 | 詩集

 

山本育夫『ことばの薄日』(思潮社、2023年08月20日発行)

 『ことばの薄日』には、「博物誌」に発表されたときに感想を書いたものもある。書いたかどうか忘れたものもある。
 「しの居場所」の「し」は「詩」か。

しがありそうなところにはしはない
みんながしだとおもっているところにはしはいない
しじんがしだとおもっているところにはしはいない
しは薄い薄い皮膜のようなところにひっそりと棲息している
しはかぎりなくふつうのことばのふりをしている

 「ない」「いない」が「棲息している」「ふりをしている」にかわる。
 なぜ、私たちは「否定形」のまま語り続けることができないのか。どうして「いる」のような「肯定形」をつかわないと何かを語れないのか。
 しかし、この肯定形は積極的(?)な肯定形ではない。「ひっそり」とか「ふり」とか微妙なものを含んでいる。「薄い」もそのひとつだろう。その微妙なものを「否定形」の一種と呼ぶこともできるかもしれない。だから、やまもとは、この詩を「否定形」だけで書いたと言うこともできる。

 しかし、私がこの詩を読んで思うことは、もうひとつある。
 「詩の存在しない場所」を山本は書くことができるか。

 詩は存在するとか、存在しないとか、どこに存在するか、どこに存在しないか、というのは、その問い自体がレトリックにすぎない。
 存在させる意思が詩人に(あるいは読者に)あるかどうかだろう、と書いてしまえば、それもレトリックになってしまうかもしれないが。

 寺山修司や谷川俊太郎を思い起こさせるレトリックがここにある、と感じるのは私だけか。


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山本育夫『こきゅうのように』

2023-09-10 21:03:47 | 詩集

 

山本育夫『こきゅうのように』(思潮社、2023年08月20日発行)

 山本育夫『こきゅうのように』は『ことばの薄日』と同時に刊行された。以前「博物誌」に何篇かの詩の感想を書いた。しかし、『HANAJI』(2022年2月)以降は、感想を書いていない。「博物誌」で、たしか「私の好きな詩」というエッセイの特集をやったはずだが(私は山本かずこの詩集を取り上げ感想を書いたはずだが)、その特集号のときから、「博物誌」が私のところには届かなくなったからである。たくさんの有名詩人が寄稿しており、他の詩人に寄贈したら、部数がなくなったということかもしれない。山本が多忙になったのか、あるいは病気が重くなったのかもしれない。というわけで、ひさびさに山本の詩を読んだ。読んだといっても、すべてではない。量が多すぎて、なかなか読み進めることができない。
 「こきゅうのように」は「分かち書き」が効果的である。

こきゅう がひきだす ひゅうひゅう という おと が
天空を わたり あれこれ ひきつれて
ほうほう とみみやめやはなやくちに さわりながら
それぞれの 器官 に 記憶を うえつけ
そこここに ちいさな ものがたり が はじまる

 ひらがなと漢字の衝突もいいが、「分かち書き」のなかに、散文とは違うギクシャクとしたリズムがあり、そのギクシャクがことばの推進力になっている。

ああ そうだったのだ あのとき あそこの あの
蛇口を ひねったのには わけがあったのだ わけが

 「あの」というのは、話者と聞き手が共通の認識をもっているときにつかわれることばである。「あのレストランおいしかったね」「ああ、町外れのあのレストランだね、夕陽がきれいだったね」という具合。ここでは、山本は聞き手(他者)ではなく、自分と対話している。自分との対話なのに、ことばが「分かち書き」(とぎれとぎれ)になる。そして、それがつながったときに「ものがたり」になるのではなく、「分かち書き」になる瞬間、つまり、ことばがつまずき、つまずいたことを自覚して、そのうえで一歩進もうとするときに「ものがたり が はじまる」。
 とてもいい感じだ。
 「ものがたり」には「結末」がつきものである。しかし、「結末」というものは意味にすぎない。意味を重視するひともいるが、私は「結末(意味)」には関心がない。ことばが動く瞬間の、力学に関心がある。
 「あのとき」の「あの」が何を指すか、そういうことは、私には興味がない。「あの」ということばをつかって言おうとする意識の、あるいは感情の、なんというか、「あの」としかいいようのないものにすがるようにして動く、その「必然」にこころがふるえる。
 このことを、山本は、まあ「結論」として書いている。「必然」がそこに登場する。

ことばは あなたの くちをかりて
この世に 出現 したんだね
なにもかもが 必然の
こきゅうの よう に

 これはこれでいいのだが、私はこの4行がない方が、詩は強烈になると思う。最後の4行は読者が感じればいいことであって、作者(詩人)が言ってしまっては、「はい、これが結論(正解)です」と学校の試験で採点されているようで、ちょっとがっかりする。
 たぶん、私とは逆に、この4行、特にその「必然」ということばに感動するひとが多いと思うけれど、私は、あえて反対の意見を書いておく。

 

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北條裕子『半世界の』

2023-08-01 16:24:02 | 詩集

 

北條裕子『半世界の』(思潮社、2023年07月15日発行)

 北條裕子『半世界の』の「果てまで」の一連目。

毎日 毎日 雨雪が 落ちてくる
ああ ああ ああ
ここの冬は こんなに 暗かったのか
水底に潜んでいるような

 なぜか非常に印象に残った。たぶん、その他の詩のことばと、ここだけが違っているからだと思う。繰り返しと、分かち書き。とくに「ああ ああ ああ」が深い。「ああ ああ」では足りないし「ああ ああ ああ ああ」ではしつこい。多すぎる。
 この繰り返しのあとに「ここの冬」「こんな」の頭韻。「ここの」のなかには「こんな」が隠れている。「このような」では重くなる。「こんな」の撥音が「暗かった」の促音と響きあうものを持っている。母音の欠落。繰り返しは過剰。過剰が欠落によって洗い流され、「水底に潜んでいるような」という風景に変わっていく。空中から、水底へ。一行目の「落ちていく」が思い出される。
 これだけでいいなあ、と思う。
 たぶん、詩を書き始めたころ、ひとは、これくらいの長さ、これくらいの瞬間だけを描いて満足したのではないか、と思う。
 これでは「世界」にならない、「半世界だ(半分の世界だ)」というわけなのかもしれないが、「世界」を目指してことばは展開する。しかし、「半分」でもいいのではないか、と思う。残りの半分は、読者に任せればいいのではないだろうか。
 「この頃」の三連目。

寄り掛かる 壁は漆喰で
触り続けていると
指に伝わってくる りんごの丸みのようなもの
たわんでゆく壁を 触って
どうにか 息をして

 「りんごの丸みのようなもの」ということば、「果てまで」にもでてきた「ような」がとてもいいが、全体的にはリズムがギクシャクしている。「果てまで」にみられた音楽がない。
 「触り続けている」と「触って」。「触る」という動詞が二回登場するが、同じ動作(肉体の動き)には感じられない。「触る」が持っているリズムが前と後では完全に違っている。(と感じるのは、私だけだろうか。)
 「りんご」は、この詩のなかではもう一度、

りんごの赤の中に しのび込んで あふ あふ 逢う

 と登場する。この「あふ あふ 逢う」は、その前の連の、

こもりがちな日々に 顔のないあなたを待つ あふ あふ あう

 と呼応しているのだが、「音楽」というよりも「意味」が強い。「触る」に通じることだが、「物語性」がことばを強引に統一しようとしている。もちろん「意味」そのものに詩があることもあるだろうけれど、それには「意味」を追求することばの自立性(自律せい)が必要だろうなあ、と思う。
 こんな抽象的なことを書いてもしようがないか。批判にもなんにもならないか。

 


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最相葉月『中井久夫 人と仕事』(宣伝です。)

2023-07-26 21:19:57 | 詩集
 

 

最相葉月『中井久夫 人と仕事』(みすず書房)が出版された。
『中井久夫集(全11巻)』の「解説」に加筆し、一冊にしたもの。
表紙に中井久夫の描いた病棟の設計図をつかっている。
中井の人柄を感じさせるスケッチだ。
中井はことばの達人だが、同時に絵もうまい。
ということは、別にして。
(ここから、宣伝です。)
『中井久夫 人と仕事』に、私の名前が出てくる。(著作集3の「解説」に出てきたからである。)
読みながら、私は中井久夫との出会いを思い出した。
人の出会いというのは、ほんとうに不思議だ。
中井の訳詩についてなら、私よりも詳しい人がたくさんいるはずだ。そういう人たちとも中井は出会っているはずである。実際、著作集が出版される前のPRチラシのようなものには、私の知っている詩人が「推薦コメント」を書いていた。それを読みながら、あ、中井久夫はこの人たちと交流があったのか、と思った。
私は「解説」などはめったに読まないので知らないのだが、他の人の「名前」も中井について書かれたいろいろな文章で出ているかもしれない。
私はたまたま自分の名前に出会って驚いたのだけれど、それは単に名前だけではなく、最相が聞いたからなのか、中井が語ったからなのかわからないが、中井がことばにしないかぎりわからないことも書かれていて、それがさらに私を驚かせた。
あ、私はほんとうに中井に会ったのだ、とあらためて思った。私の記憶のなかにあるだけではなく、中井の記憶のなかにも存在したのだ。
実際に会い、ことばを交わしたのは2回だけだが、ほんとうはもっと長い間会っていたのだと再認識したのだった。
本屋で見かけたら、読んでみてください。
『人と仕事』の第三章、著作集3巻の「解説」です。
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伊藤悠子『白い着物の子どもたち』

2023-07-22 22:30:42 | 詩集

 

伊藤悠子『白い着物の子どもたち』(書肆子午線、2023年07月15日発行)

 伊藤悠子『白い着物の子どもたち』の詩には、全部ではないけれど、死の静かな影がさしている。それは生きているものにもさしている。どうすればいいのだろうか。
 表題作。

白いレースのカーテンが
写真の上に影をひろげている
影色のガーゼのようにひろがっている
いけない
カーテンを引かねば
写真の子どもたちはガーゼ伸ばし作業をしているのです

 おそらく自分でもつかうガーゼ(の包帯)。洗ったそれを、ていねいにのばしている。その写真のなかの子どもたちは、いま、どうしているのか。死んでしまっているかもしれない。それでも、

いけない

 と思う。そうして、カーテンがつくりだす影をおしやるようにして、カーテンを引く。影がさしてはガーゼが干せない。このとき、伊東のこころのなかで動く真実の力。写真のなかの子どもたちが伊藤を呼んだのかもしれない。
 「影色のガーゼ」と「ガーゼ伸ばし」。繰り返す「ガーゼ」のなかに、「ガーゼ」をつなぐもののなにか、伊藤は引き込まれていく。その引き込まれ方が、とても自然だ。

立って前かがみになりながら
伸ばしたガーゼを重ねている少女
どこかしら似ている
この少女はおそらくリーダー おねえさん格
テキパキとこなすので写真の前方にいる
豊かな髪が額に落ちないようになにかで留めているみたい
この作業がおわったらなにをするの?

 誰に似ているのか。伊藤自身かもしれない。伊藤は、その少女であり得たかもしれない。どんなことも、絶対にあり得ないということはない。誰だって病気をする。誰だって、死ぬ。
 「豊かな髪」と「豊かな」と書き加えずにはいられない何かがある。
 その少女が伊藤であり得たかもしれないと実感するからこそ、伊藤はカーテンを引いたのだ。影を「ガーゼ」の色だと感じたのだ。伊藤が見た「ガーゼ」の色ではなく、少女が(子どもたちが)見た「ガーゼ」の色。

この作業がおわったらなにをするの?

 この静かな声の、なんという悲しさ。子どもならば、することはなんでもある。何もすることがなければ、走ればいい。何もすることがなければ、けんかしたっていい。泣いたっていい。そうして子どもの時間は過ぎていく。それが、ふつう、だ。
 しかし、ここでは違うのだ。子どもたちは、自分がつかうかもしれない(つかったかもしれない)ガーゼを伸ばしている。たたんでいる。泣かずに。また、つかうために。世界が、することが、限られている。だからこそ、聞かずには、いられないのだ。「この作業がおわったらなにをするの?」
 なんと答えられるだろう。
 伊藤は、答えを出さない。
 詩のなかほど過ぎに、こういう三行がある。

ありえない
ありえない
ありえないつらさがあったよ

 伊藤は確認している。何もかもが「ありうる」。伊藤は、その写真のなかの子どもで「ありうる」し、その写真の子どものために、カーテンを引く女性でもありうる。
 子どもたちのつらさは、伊藤のつらさでも「ありうる」。
 ここには、やわらかなカーテンの影のような静かな共感力がある。それは、あらゆる死を、静かによみがえらせる。誰も死にはしないのだ。伊藤のことばのなかで、もう一度、生きるのである。ただ、静かに。静かさこそが、人が求めるのかもしれない。

 

 


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岩佐なを『たんぽぽ』

2023-07-06 19:19:26 | 詩集

岩佐なを『たんぽぽ』(思潮社、2023年06月30日発行)

 岩佐なをの詩をいつごろからおもしろいと思うようになったのかわからないが、おもしろい。初期のころ(読み始めたころ)は、ひたすら気持ち悪かった。リズムが、ね。
 「再会」は、巻頭の詩。そのなかの、

おりおりに
ぽつぽつと
おむかえするのは嬉しい

 「ぽつぽつと」というのは、私の、あてずっぽうな感覚では、初期のころにはなかった音とリズム。乾いた感じがあって、それが私には「気持ち悪さ」からは遠い。「ぽつぽつと」で落ち着くというか、こころが広がるので、そのあとの「おむかえ」も楽に読むことができる。
 と、言っても。
 そのあとの「嬉しい」は、やっぱり、気持ちが悪い。なんというか、音と、リズムが、ね。
 そういうことを思いながら、そういう行を通り抜けて、これからが、実に楽しい。次の三行は、岩佐の「新しい音」ではないだろうか。(これも、あてずっぽう。昔の詩集を引っ張りだしてきて、比較するつもりはない。申し訳ないが、そんなにていねいに読んでいたら、詩は楽しくなくなってしまう、と思う。もちろん、そこから生まれる楽しさもあるにはあるが。脱線したが。)

ふつうそこの川を渡ってやってくることに
なっているけれど
それは常識といううそで

 うーん、「そこの川」か。三途の川。「その川」ではなく、「そこの川」。いいなあ、「名前」ではなく、「そこ」という場所がはっきりしている。というか、名前ではなく、場を呼び起こす、その「音」。意味的には指し示しているものが同じなのだが、「三途の川」という名前では要約できないものがある。「そこの川」というと、もう何度も何度も「そこ」を見ている感じがする。「あの川」ではない。「この川」でもない。「そこの川」。「その」ではなく、「そこの」と呼ぶことで広がる不思議な「こそばゆさ」。「こそばゆさ」のなかの「こ」が「そこの川」の「こ」につながっている、なんて書くと、これは、まあ、いい加減ないいぐさになってしまうが。
 こういう脱線(逸脱)が詩というものだろう。詩に許されている何かだろう。
 で、いま引用した三行目「それは常識といううそで」もいいなあ。そうか「常識」は「うそ」か。そうだろうなあ。「常識」というのは、何ごとかを「常識」と呼ぶことで、何ごとかを押しつけてくる「権力の匂い」のようなものがあるね。そういう「うさんくささ」を、軽く書き流している。それが、重い。つまり、大切。この「批判」の響きも、岩佐の詩のなかでは新しいものかもしれない。(昔の詩を引っ張りだして、比較検討は、しない。)
 そして、この一行のなかの「それは」の「そ」、「うそ」の「そ」が、なんとなく「ふつうそこの川を渡ってやってくることに」ととてもよく響きあう。「そ」が共通しているから?
 それだけではない。

ふつ「うそ」この川を渡ってやってくることに

 あえて鉤括弧をつけてみたけれど、「うそ」が隠れている。その「うそ」が「うそ」ということばでよみがえっている。ここで「生き返っている」ということばをつかうと、そのまま「再会」になるんだけれどね。
 もっとも、「再会」は先に死んでしまった人が、新しく死んだ人を迎える詩だけれど、そこはやっぱり「常識」の世界ではないから、死んだひとの方が「生きている」。そして(だから?)、こうつづいていく。

庭先の芝生にひろがっていたり
若い枝に実っていたり
出現の仕方は案外わからないもの
どれが尊いということはない
視線をあたたかく放れば
ひとがたにかわり
こちらへ近寄ってきてくれるし

 「常識」に「うそ」があるなら、「うそ」にも「常識」(あるいは、共通感覚?)があり、それが「世界」を解きほぐしたり、現像したりする。
 で、ほら。
 「そこの川」の「そこ」が、ここでは「こちら」ということばと呼応して、「世界」がだんだん「具体的」になる。
 とてもいいなあ。

 このあとの展開、とくに最後は、とても好きなのだけれど、ここではあえて引用しない。紹介しない。買って、読んでください。100ページにとどかず、軽くて、とても読みやすいのも、私は好きだなあ。
 最近の詩集は厚すぎて、私のような年をとった人間には、重い。読み通すのが苦しい。

 

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深町秋乃『柔らかい水面』

2023-06-23 17:19:53 | 詩集

 

 

深町秋乃『柔らかい水面』(土曜美術社出版販売、2023年05月10日発行)

 深町秋乃『柔らかい水面』を読みながら、私は、非常に不思議な気持ちになる。過去に引き戻された気持ちになる。
 詩集の最後に「デッサン」という詩がある。そして、その最後の数行は、こうなっている。

不自由な表象が
やがて、輪廻の果てに
焼き付いたら
曖昧な境界線は失われ
ようやく溶け込む
世界の、投影

 「輪廻」ということばを私がはじめて読んだのは高校のときだった。池井昌樹が何という詩か忘れたが「輪廻」ということばをつかっていた。いまの池井と違い、じめじめ、ぐちゃぐちゃした汚らしい世界を書いていた時代だ。黴の匂いのする詩を書いていた時代だ。なぜ、そんなことを覚えているかというと、その「輪廻」が読めなかったからだ。読めなかったけれど、そこには暗い何かがあって、私は、ぞっとしたのだ。
 で、それが深町の詩とどういう関係があるかというと。
 意味、イメージではなく、その「輪廻」というこばそのものが、何か、半世紀以上も前の世界へと私を連れて行ってしまうということが、関係がある。ことばが、みんな、古いのだ。遠い昔に読んだ(聞いた)ことばとして、私の前にあらわれてくる。そこに書かれていることばをはじめて読んだのはいつか、と記憶をたどると70年代にたどりついてしまう。
 「デッサン」という詩にある「新しさ」、あるいは「いま」は、何?
 「やがて、輪廻の果てに」「世界の、投影」という行にある読点(、)か。たしかに、そういう読点のつかい方は、私は半世紀前には知らなかった。でも、この読点の存在から「いま」を語るのは、私には難しい。

 ことばが古い。それは「落ち着いている」ということでもある。こういう落ち着き方が、「いま」から見ると「新しい」のかどうか、私にはよくわからない。私には、「古い」としか感じられない。
 「春」の書き出しは、こうである。

習いたての言葉を閉じ込めた
わたしの幼い真空管を割ったら
たちまち夜に座礁する
無数の文字たちが

 「真空管」を知っているひとは、いまは、何人いるだろうか。いまの若者は真空管を見たことがあるだろうか。
 この詩集ではなく、この一連が一枚の紙に印刷されていたのだとしたら、私はこのことばを半世紀以上前の詩だと思ったに違いない。「幼い真空管」の「幼い」のつかい方。「座礁」「無数の」「文字たち」は70年代の詩に散らばっていると思う。少なくとも、私の記憶のなかでは、それはすべて70年代の詩のなかにある。
 巻頭の詩「a calm」。

ずっと
見つめているとわたし
ただの円柱になってしまうから

 「円柱」がとても美しく、いいなあ、と思うが。しかし、同時に、私はその「円柱」に、たとえばギリシャのパンテノンの「円柱」という「ことば」を重ねてしまう。そのとき、やはり、私は「過去」を思い出すのである。「円柱」ということばが、だれそれの70年代の詩にあるかどうかはわからないが。もしかすると、もっと古い時代(西脇の初期?)かもしれないが。
 こんなことを感じるのは、もしかすると深町の書いている「円柱」が、実際に存在する円柱というよりも、「記憶」の円柱だからかもしれない。
 どの作品も「現実」から生まれてきた詩というよりも、私には「詩の記憶」から生まれてきたもののように思える。

 

 

 


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小網恵子『不可解な帽子』

2023-05-26 16:52:43 | 詩集

小網恵子『不可解な帽子』(水仁舎、2023年05月22日発行)

 小網恵子『不可解な帽子』のタイトルは、詩の一篇ではなく、「帽子」というタイトルの詩の「帽子は不可解なものになって」という一行からとられている。「要約」というか、「象徴」というか。これが、なかなかいい感じである。詩のタイトルは「帽子」がいいが、詩集のタイトルは『不可解な帽子』がいい。「不可解な」は必要かな、いらないかな? ちょっと悩ませる、そのちょっとのなかに「たのしみ」がある。
 詩は、電車の中に置き忘れられている「帽子」をめぐる客の反応。

駅に到着するたびに
数人が乗って来て 遠巻きにする
帽子は不可解なものになって
危険なものになって

終着駅まで行くかもしれない
そこでヒョイと帽子を持ち上げたのは
ふくよかなお婆さん
自分の頭にのせてみる

そう想像して 今日をおしまいにしたいけど
帽子はもっと大きく膨らんで
この夜を渡っていくかもしれない

 これは、詩の後半。もしかすると、最後の一連はなくてもいいかもしれない。しかし、そこで終わらずに、「そう想像して」というかなり散文的な(言い換えると、詩から遠い)表現からあとの部分が、なかなか「詩的」なのである。
 この場合の「詩的」というのは、小網の独自語、「小網語」になっているという意味である。特に、その最後の二行ではなく、最終連の「そう想像して 今日をおしまいにしたいけど」が、書けそうで書けない。
 とても、すばらしい。
 「じっくりと」と書くと語弊があるが、しっかり自分の思いを追いかけて、それを逃さずにことばにしている。
 たぶん、似た発想の詩は、これまでも書かれていると思う。しかし、その詩の中に、あえて「詩」とは思われない「散文的」なことばを組み込んで、「詩的」であることを避けている。その、いわゆる「詩的」であることを避けた部分が、とても新鮮で、しかも作為的ではない。
 小網は、「考えること」(考えたことをことばにすること)を、詩、そのものにする。そのとき「詩的」ではなく「散文的」になることを恐れない。

 「下山」は、「石の上に止まる蝶」(書き出しの一行)を描いたもの。そのなかほどに、こういう二行がある。

蝶は成虫になって二週間ほどしか生きられないと聞くから
この五分ほどは長い休息

 ああ、いいなあ。
 「帽子」のなかに出てきたことばを借りて言えば、小網は、そう「想像」したのである。ほんとうに「長い休息」であるかどうかは、蝶の認識ではない。あくまで小網の考え、「ことば」である。小網の「論理(思考)」がつかみとった(産み出した)真実である。
 そして、ここから思うのである。
 「帽子」の行方を想像した時間は、どれほどか。「五分」か。電車に乗っていいた時間すべてをあわせれば「五分」ではないだろうが、最終連の三行は「一分」もかからない想像だろう。しかし、その短い想像は、小網の人生(いのち)において、物理的は「短い」かもれないが、何か「永遠の休息」を感じさせるものがある。そして、何らかの「真実」を含んでいる。そのときの、

短いけれど永遠

 これが、詩の本質かもしれない。
 「短い」を産み出すために、小網は「論理(散文)」を利用している。「散文」の緒戦的に、ぐい、と進む時間をつかっている。(冒頭に書いた「要約」に通じることばの運動が隠れている。)
 飛躍した論理になるかもしれないが(印象だからね)、これは、ちょっと鴎外の「散文の力」を感じさせることばの力である。

 

 

 

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