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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

佐々木洋一『でんげん』

2023-05-25 20:37:55 | 詩集

 

佐々木洋一『でんげん』(思潮社、2023年05月25日発行)

 佐々木洋一『でんげん』の「シャバシャバシャバシャバ」。「娑婆」なのだが「バシャバシャ」と聞こえる。ことば(音)は、意味を裏切ることがある。裏切るのではなく、広げる、と考えた方がいいのかもしれない。

川の底に足を突っ込んで
泳ぎもはしゃぎもせず
ただシャバシャバ泥の底をこぐ
何がどうした
現は川の流れを必要としない
川面の浮き沈みも関係ない
ただむかしの思いのぬめりした川の底に足を入れ
シャバシャバシャバシャバ
何事か思うわけじゃなく
夕陽にもたれるわけじゃなく
シャバシャバシャバシャバ

 この展開のなかでは「シャバシャバシャバシャバ」はもちろんなのだけれど、「ただむかしの思いのぬめりとした川の底に足を入れ」の「ぬめり」という音がいいなあ。「シャバ(娑婆)」の「ぬめり」か。ほかの音では、きっと間に合わない。
 引用しなかったが、前半には「泥だらけ」「泥まみれ」ということばがあるが、「ぬめり」は、ちょっと違う。

この澱みにへばりつこうとしている

 このあとに出てくる「へばりつく」とも少し違う。似ているが。
 あれこれ思い返すと、引用部分にある「もたれる」が何か似ている。「夕陽にもたれるわけじゃなく」は、あえて主語を書き加えると、佐々木が、ということになる。「ぬめり」は佐々木が発生源であるよりも、他者(社会、娑婆)が発生源なのだろうけれど、それにしたって、どこかに「依存関係」がある。
 一方だけが原因ではない。
 あ、これだね、「音」と「意味」の交錯は。「音」でけではない。「意味」だけでもない。「一方」だけではない。こういう「一方だけではない」ものと向き合うのは、それこそ「シャバ(娑婆)」の「処世術」というものか。
 説明したってしようがない。だから、私も、これ以上は書かない。

 でも、書きたい。

 たとえば、こんなことを。「あたらしい夜」という詩がある。

新しい朝が在るなら
あたらしい夜があるはずだ

 これは、たぶん「明けない夜はない」ということばと「対」になる「一方」である。こんな連がある。

あたらしい夜にはあたらしい絶望が生まれるはずだ
絶望には目のない幼鳥や引き裂かれた獣や溺れる鮟鱇の叫びが
気休めと慰めと孤高が
解放されているのだ

 「明けない夜はない」と主張するひと、そのことばを「希望」として信じるひとには申し訳ないが、その反対のものもあるのだ。そして、それは、なんというか、とても私を温かく受けとめてくれると感じてしまう。「溺れる鮟鱇」がいるかどうか知らないが、鮟鱇さえ溺れるというのは、何か安心してしまうなあ。鮟鱇が溺れるなら、人間が溺れたって何の不思議もない。

あたらしい夜には虫が這う
ぞろぞろ闇の方へ這っていく
あたらしい夜には闇の方へめしべがぞろぞろなびき
楽しくないか美しくないか 咲き競う

新しい朝が来るなら
あたらしい夜もくるはずだ

そこではあたらしい呻きがうまれているはずだ
これまでのいきものがいとしいいとしいと呻いているはずだ
いとしいいとしいと呻いては
いまわしい夜のしじまを生き抜いているのだ

 ふいにあらわれる「生き抜いている」という強い動詞。
 ひとのこころは、どんなことにも共感してしまう。そういう錯誤は、けっして整えてしまってはいけない何かなのだと思う。
 「シャバシャバシャバシャバ」は「バシャバシャバシャバシャ」とがんばって洗ってみても、きっと「ぬめり」を残している。それがないと、きっと、つらい。

 「骨骨骨」には「こつこつこつ」とルビがついている。「骨骨」は別の詩でも出てきたが、巻末の「骨骨骨」がいい。

夜な夜なハイヒールの骨骨骨が消えた
骨は女の乳房を支えた骨だ
骨は女の踵を煽った骨だ

という行を挟んで、最後。

今日も骨骨骨 骨骨骨
女のハイヒールの骨を舐める音がする

 「舐める」か、ここで「舐めるか」と、私は、うなる。私は、「ぬめり」を思い出してしまうのだ。そして、それは、ただ「なめる」ではない、「舐める音」が「骨骨骨(コツコツコツ)」なのだ。耳の螺旋階段を舌が「なめながら」「ぬめり」をひきずりながら、肉体の奥まで這ってくる。「あたらしい夜」がはじまる。
 と、佐々木は書いているわけではないが。

 

 


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金子敦『金子敦句集』

2023-05-20 14:20:32 | 詩集

 

金子敦『金子敦句集』(現代俳句文庫88)(ふらんす堂、2023年04月21日発行)

 金子敦『金子敦句集』に収録されている『音符』『シーグラス』については書いた記憶がある。読んだことはあるかもしれないが、たぶん,書いたことのない初期(?)の作品の印象を書くことにする。

ものの芽や絆創膏の跡真白

書棚より栞紐垂れ花ぐもり

梨に刺す楊枝の先のしぶきかな

重箱の蓋裏くもる冬紅葉

 小さなものに視線を向けている。小さなものの発見が、詩の発見、ということになる。ちょっとおもしろいのは、句のなかにかならず「濁音」が含まれることである。その濁音が、何か、印象を強くしている。
 「絆創膏」の句は、しかし、私は「真白」の音が何かなじめない。「まっしろ」ではなく「ましろ」と読ませるのだと思うが、どう読んでみても、あのふやけたような白とは違う感じがする。
 どこか、ことばのリズムにひっかかる。音よりも「イメージ」が優先している感じだ。そうしたなかにあっては「重箱」の句は、とても落ち着いている。「くもる」という静かな音が句を支えているのかもしれない。
 私は、こうしたちょっと「古典的」な句よりも、若々しい句が好き。高校生が書いたのかなあ、と感じさせる句が好き。たとえば

明日逢ふ噴水のまへ通りけり

もう来ないかもマフラーを巻き直す

 濁音がないかわりに、一句のなかに同じ音が繰り返し出てくる。それが不思議に句を立体的にしていると思う。俳句の理想の形(?)として「遠心求心」ということばがあるが、なんというか、それはちょっと窮屈。凝縮感が、いまの時代には、厳しい感じになるのかもしれない。(そう感じるのは、私だけかもしれないが。)金子の、この二つの句は、「遠心求心」の結合というよりも、解放されて広がっていくときの立体感が強い。反復される音のあいだの「距離」が「遠心求心」をつくりだしている感じがする。

林檎むく寝癖の髪をそのままに

石鹸に残る砂粒海の家

 こういう句は、「わざと」美しくないものに目を向け、世界を活性化させる手法。芭蕉の「のみしらみ」みたいな、「俗」がもっている真実の強さが効果的で楽しい。

歩道橋に砂の溜まれる海開き

 この句は、しかし、「俗」ねらいの作為がない。いいなあ。

夕焼けの中へボールを取りにゆく

ぶらんこの向こうの海の暮れてをり

紙雛にクレヨンの香の残りけり

 私は、ふと、あ、私も昔は俳句を書いていたなあ、とちょっと思い出した。私は、「自由律」の句。季語も気にしない。こんな感じ。

合歓の故郷折れたクレパスを拾いにゆく

夕焼けの貨車が駆け抜け海がある

あした天気になあれ靴の中に夕暮れ

 金子の句とは関係ないが、個人的な思い出として書いておく。金子の句には、私も昔は句を書いていたなあ、ということを思い出させてくれる、なんとはなしの「なつかしさ」のようなものがある。

水たまり飛び越えバレンタインデー

初蝶がト音記号を乗せてくる

白息のはみ出してゐるかくれんぼ

 のような句を読んでも、なにか、なつかしい。新しい驚きというよりも。

それはもう大きな栗のモンブラン

 になると、そうか、と思う。私は、モンブランとは縁のない暮らしだったなあと、思ったりするのだ。たしかにこれはモンブランの栗の大きさが話題になる「現代」の句なのだ。庶民的(?)な食べ物では、これが、いい。

湯豆腐に湯加減をちと訊いてみる

 「笑い」はけっして古びない、ということか。

 

 


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安俊暉『灯草心』

2023-05-11 13:07:34 | 詩集

安俊暉『灯草心』(思潮社、2023年05月17日発行)

 安俊暉『灯草心』は、あとがきによれば「二十一から二十四歳までに記した四年間の日記」からの抜粋である。

私の成すことが神の導きに入っているかどうかである。       (24ページ)

道を求めて生きよ。                      (173ページ)

 ということばがある。「神」と「道」が重なるものかどうか、私にはよくわからない。「神」とは、キリスト(教)を指しているのだが、私はキリスト教徒ではないので、どう語っていいかわからない。「道」ということばで私がいつも思い出すのは、和辻哲郎の『古寺巡礼』である。和辻の父が、和辻に対して、「お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか」と問う。私は、いつも、この和辻の父のことばにつまずく。「道」というとき、そこにはかならず「ひと」がいる。「神」というときも、「ひと」が視野に入っているのかもしれない。
 ただ。
 私は「神」は、どうもなじめない。ひとが「神」を信じるのは、それはそれでわかるが、その「神」を信じるために「教会」があるということが、どうにも納得できないのである。教会によって「神」がひとつに限定されることが(あるいは集団が組織されることが)、何か奇妙に感じられる。ひとの数だけ「神」があって、それぞれのひとの「道」につながる道を、それぞれが持っているかどうか自問するという姿は(あり方は)、私には考えることができるが、それ以外のことは、私には「空想」になってしまう。

議論してはならない。                     (118ページ)

 ということばがある。
 議論しても、どこにもたどりつけないということだと思う。だから、「神」については、私は、これ以上書かない。
 私の印象にいちばん残ったのは、同じ118ページにある、

挫折。
それは私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。

 この二行である。
 「挫折は私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。」ではなく「挫折。/それは私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。」と二行になっている。「挫折」を明確に意識化、対象化して、その上で、「私」との関係をみつめる。そこに、「神」ということばが登場したときにつかわれていた「導く」という動詞がある。「神」と「挫折」は同一ではないが(神が挫折するかどうか、私は知らないが)、そこに「契機」がある。
 そのあとに、とてもことばにしにくいというか「対象化」がむずかしい「より」という副詞が出てくる。それは「着実にそわせる」というかたちで動く力なのだが。
 他の文章(記述)も、正直が書いてあるのだと思うが(想像するが)、私は「挫折」の対象化が「より」を引き出しているように感じ、それで印象に残ったのだと思う。「より」という気持ちがあるから、「挫折」を対象化することになったのか、「挫折」を対象化することで「より」が動いたのか。
 わからないが、ここには何か、安と「神」、安と「道(ひと、あるいはと生きること)」とのあいだにある「断絶」を越えようとする意思が、それこそ「着実」に記されていると思う。「神」も「ひと」も「私(安)」ではない。いわば「他者」と「私」にとっての不可欠な「断絶」(断絶がなければ、「神」も「ひと」も存在しいない)を、自己存在の起点にしようとする正直を、私は感じる。

 


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杉本真維子『皆神山』(2)

2023-05-06 18:48:54 | 詩集

 

杉本真維子『皆神山』(2)(思潮社、2023年04月15日発行)

 杉本真維子『皆神山』のつづき。
 「かいこ伝説」の一連目がおもしろい。

ぼしゃり、ぶしゃり、さり、(いまは食べることで)
ぼしゃり、ぶしゃり、さりり、(いそがしくて)
ぶま、いぞ、ぶま、びぞ、うま、いぞ、
(ああ、うんまい、うんまい)
ちょっと、あっちへ行ってくれない?

 蚕が桑の葉を食べる音は、恐ろしいくらいにうるさい。(蚕が葉っぱを食べているところは何度か見たことがある。昔は、私のふるさとでも蚕を飼っている家があった。)沈黙がうるさい。必死に食べているので、話している暇がない。そういう静けさ(うるささ)である。「しゃり」とか「さりり」とかは、そういう音を思い出させる。
 私は耳が悪いので、こういう、ことばではない音を聞き取ることが苦手だ。だから、ことばとして定着していない音を聞き取るの耳を持った人には感心してしまう。
 杉本は、そこからさらに発展させている。
 「しゃり」「さりり」のほかに雑音(?)を組み合わせて「ぼしゃり」「ぶしゃり」を産み出し、そこから「ば行」「ま行」へ移行し、「ま」から「う」に戻る。昔の人が「馬」「梅」を「むま」「むめ」と書いたのの、逆である。で、「うんまい」になる。
 さらに。
 そこでおわるのではなくて、それを「意味」に変えてしまう。食べるのに忙しいんだから、「ちょっと、あっちへ行ってくれない?」。これは、西脇の「旅人帰へず」の「かけすが鳴いてやかましい」(正しい?)に似ているなあ。
 詩は、まだ、つづくのだけれど、一連目だけで、私は「満足」する。
 私は「意味」とか「内容」とかには、あまり関心がない。いや、ぜんぜん、関心がない。杉本は、私がおもしろいと思っていること以外のことを書きたいのかもしれないが、それは杉本の「意味」(人生)であって、私とは関係がないから、そういうことは考えないのである。

 そんな読み方でいいのか、と言われそうだが、私は、そういう読み方をしたい。

 「人形のなかみ」という詩も、私はとても好きだ。

それ以上話したら憑く
狸寝入りの耳に、一滴、
祖母が大事にしていた
浅黒い肌の人形がすわる。

 突然の「それ以上」がこわい。わからないから、こわいのだが、こわいことさえわかれば、それ以上知りたくはない。ほんとうにこわくなるから。
 「一滴、」というのは、なにかなあ。恨みの一滴か。血とか涙とか、言い直してしまうと、こわくなってくなってしまう。あえて言えば、声(音)の一滴。「恨み」なのだけれど、ことばになるまえの「喉の音」。
 こういう「音」というのは、「意味」を越えて、とらえきれない「もの」として、世界に生きている。それは、もちろん、なくてもいい。いいかえると、それが「ある」としても、それを存在として「数える」ことはできない。数えることができないものとして「ある」ということである。
 その数えることのできないものは、後半、こんなふうに書かれる。

祖母が死んだとき
人形のなかみから
小石ほどの骨を取り出して
柩にこっそり入れておいた、と
おばがウインクして言った。
手柄よ、とも言っていた。
だれの骨、とは聞かなかった。
その人形を囲んで、
祖父も、父も、母も、姉も、
みんないた
一人も足りなくはなかった。

 数えることができないから、「足りない」は生まれない。そうして、このとき「足りない」ではなく、ほんとうは「一人余っている」が生まれているのだが、それも数えることができないものだから、余っているとも言えない。

 いいなあ、この詩。

 

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杉本真維子『皆神山』

2023-05-01 16:58:00 | 詩集

 

杉本真維子『皆神山』(思潮社、2023年04月19日発行)

 「現代詩手帖」に連載されているとき同じ詩なのかどうか、雑誌が手元にないので確認できないが、詩集で読むととてもおもしろい。雑誌に連載されているときは、たぶん、他人のことばが邪魔するのだと思う。杉本真維子のことばは、他者から独立して、いや、孤立しているときの方が、はっきりと響いてくる。
 巻頭の「しじみ」という作品。

しじみ、と思ったら、
自分の目が映っていた、
具のないみそしるを一口のんで、
両目を啜る、あじは、おれの刑期にふさわしく、
ざりり、と音までしやがった、
という
それから、波立たぬ椀ひとつ、
箸置にもどす一膳、
さっぱりとなにもない、
壁越しに、小便の音だけがしみている

 「ざりり、と音までしやがった、」がてともいい。「具のないみそしる」なのだから、もちろん「しじみ」は入っていないし、当然、そこには「砂」もない。しかし、そのない砂をかむ。そのとき「ざりり」。この音は、完璧な孤独(沈黙)でしか聞こえない音だろう。そして、聞く人がいなくても、それを言わずにはいられない孤独がここにある。「しやがった」という口語の力が強い。声に出さずにはいられない、悲痛さがある。
 「という」と静かな音を挟んで「波立たぬ」という、これもまた、とても静かな音。「波立たぬ椀」にあるのは「視覚」だが、「ざりり」のあとでは「無音の波」の音が聞こえる。「箸置にもどす」の「もどす」の膨らみのある音もいい。
 音はさらに「小便の音」へとつながっていくが、これも、悲しくていい。

 このあと、「目」から「桜」、「小便」から「排泄」、さらに「便器」へと一連の世界は広げられていくのだが、一連目だけでも完璧な詩だと思う。
 で、思うのだが。
 この詩集、「現代詩手帖」に連載した詩だけで一冊にした方がよくはなかったか。ページが少なくなるが、その方が「孤立感」が出る。
 さらに私の好みを言えば、何度か登場する「わたし」は、ことばの上では、不在の方がいいと思う。
 とくに、私は「桜坂」の

わたしは、
あたらしい障子の影で、

 の「わたし」に非常に疑問を感じた。「ぼけ」の「わたしに未来はないと」の「わたし」にもつまずいたが、そこでつまずいたからこそ、「桜坂」で決定的に、邪魔だなあと感じたのかもしれない。
 「現代詩手帖」に連載されていたときは、この「わたし」が、ある種の「防音壁」のようになっていたのかもしれないが、詩集になったら、そこにある「わたし」という雑音が気になって仕方がない。

 

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高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(2)

2023-04-26 08:37:37 | 詩集

高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(2)(ふらんす堂、2023年04月16日発行)

 高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』は、もうひとつ「絶対に」書いておかないといけないことがある。これは「絶対に」だから、かならずだれかが書く。だから書かなくてもいいという「選択肢」もあるのだが、そして、私は実はそうしたかったのだが、書いておくことにする。

 詩集を読み始めるとすぐ「既視感」が襲ってくる。あ、どこかで読んだことがある。文学というものは新しいと同時に古いものだから、それがあるのは当たり前なのだが、そういう「既視感」ではない。
 「輾転反側する鱏たちへの挽歌のために」というタイトルの詩に繰り返されたあと、「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」という詩があり、さらに「慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして」「海溝はおのれの内なる深淵の詭計に耐ええずに」「狂い咲きのサンゴを沈黙の岸辺に投げつける」という具合に、詩集が構成されていく。巻頭の詩は、つまり、それ以後の詩の第一行目を並べたものなのである。一種の「目次」とも言えるが、目次は目次でちゃんと書かれている。
 さらには、本文(?)の詩「輾転反側する鱏たちへの挽歌のために」の最終行は「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」であり、その「まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう」の最終行は、次の詩「慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして」なのである。(私は全部をていねいに確認したわけではないから、途中で、わざと違うことをしているかもしれないが、たぶん、そういうことはないだろう。)
 この、サンドイッチのような強固な「構造」が「既視感」を産み出している。あ、この行は読んだことがある、という思いを読み起こす。当たり前だが、詩集をつづけで読めば、だれだってその構造に気づく。
 ここからが問題である。
 この「構造」(仕掛け)と、どう向き合って、つまり詩人の仕掛けてくる「わな」とどうき合って詩を読み進むべきなのか。それが試されている。
 だから、私はすぐにはそれについて書かなかったのである。「わな」とわかっているのに、そのなかに飛びこむか。「わな」であるとき、その「わな」にかかるべきなのか、「わな」を「わな」のなかから破壊し、無効にすべきなのか。どちらにしたって、結局は「わな」であると告げるしかなくなる。これではおもしろくない。「わな」だけれど、それを「わな」ではない、と主張できるような視点を持ち込むことができるか。まあ、こう考えたときから、「わな」にかかっているのだけれどね。 

 さて。
 この「強固な構造」をもった詩集は、巻頭の詩の註釈として書かれたのか、あるいは巻頭の詩はそれにつづく詩の要約として書かれたのか。それとも、それはほんとうは無関係で、無意識を明るみに出すために書かれたのか。無意識というものはない、かならずどこかで意識として動いているということを証明するために書かれたのか。
 もし、その無意識というものにたどりつくことができたらおもしろいだろうなあと思い、私は「わな」のなかに入っていく。
 「無意識」といえば、どうしたって、「性」である。それは、この詩集ではどう展開されているか。ちょっと探ってみたい気持ちになる。

輾転反側する鱏たちへの挽歌のために
海面は自ら凪いで明日の愁いにそなえる
太陽光が仄かにゆらめく静まりかえった海底
棘皮動物が秘めやかな触手をひらめかせ
ヒエロニムス・ボッシュの描く悪鬼にも似た
軟体動物の硬化した生殖器官を愛撫し続ける

 「生殖器官」ということばが出てくる。「性」を連想するが、「生殖」と「性」は、ほんとうは違うかもしれない。ほんとうは違うけれど、「連想」が結びつけてしまうもの。その「連想」を支えているのが「無意識」かもしれない。
 「仄か」「ゆらめく」「秘めやか」というのは「性」を連想させるが、「生殖」を連想はさせない。おもしろいのは、「軟体」動物と「硬化した」ということばのつながりである。この「矛盾」が「性」をたぶん象徴しているといえるだろう。「矛盾」というか、異質でないと「性」は成り立たないのかもしれない。
 それは「異性」の交渉が「性」の基本であるという意味ではない。「同性」であっても、きっと双方の間では「異質」というか「矛盾」を探し当て、それを呼び合うのが「性」の行いなのだろう。
 「難破船」の描写には、こういう二行がある。

かつて船上で展開された血みどろの闘いのさまや
華やかな舞踏会に響く靴音の記憶を反芻しながら


 「血みどろの闘い」と「華やかな舞踏会」。そこに「響く靴音」は、そのことばの調子が軽やかなステップではなく、むしろ「軍靴」のような暴力を感じさせる。これは、「血」と「闘い」ということばのせいかもしれない。
 さらに、こんな行がある。

過去とは逃れることのできぬ桎梏の別名だろうか

 しかし、「過去」ではなく「現在」、「未来」もまた「逃れることのできぬ桎梏」と呼ぶことができるはずである。
 「矛盾」とは、ほんとうは対立ではなく、いつでも「入れ替え可能」な「誘惑」かもしれない。
 高柳は、ことばで読者を誘惑しているのか、それともことばが高柳を誘惑して、この詩集をつくらせたのか。「無意識の誘惑」をリードしているのは、どちらだろうか。

 

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Antonio Baños「ME DUELE EL CORAZÓN 」

2023-04-22 23:33:21 | 詩集

Antonio Baños「ME DUELE EL CORAZÓN 」("Cuando se rompe el silencio" )

 スペインの詩人の詩は、ロマンチックである。Antonio Baños の詩を読んだ。

ME DUELE EL CORAZÓN

Me duele el corazón de no verte.

Me duele cuando despierto de mi nostalgia,
cuando escucho la alondra cantando en mis silencios,

cuando los atardeceres de mis días finitos suenan en la lejanía sin sonido aparente. 

Me duele el corazón de no verte.

Me duele, cuando la vela de mi vida
se consume lenta, irremediablemente,

cuando la leña de nuestros deseos
cruje como llanto de ausencia y desespero.

Me duele el corazón de no verte.

Me duele cuando mis manos solo acarician recuerdos,
cuando rozo tu piel en la retina de mis ojos,
cuando todo expira en mí, no tu recuerdo.

Me duele el corazón de no verte.

Porque… el amor duele,
duele de tanto querer,
duele de querer quererte

 二つのことば(フレーズ)が繰り返される。それが音楽的な効果を上げている。ひとつは「Me duele el coraz n de no verte 」、もうひとつは「cuando」。このとき「cuando」以下のことばが少しずつ変化していく。目覚めから、人生の夕方、そして、夜。暖炉で燃える薪の炎は、詩人の欲望の炎である。その赤い炎は太陽を思い出させるように、いまはそこにいない「あなた」を思い起こさせる。
 そして、最終連なのだが。
 ここでは「cuando」はつかわれない。かわりに「porque」(なぜなら)がつかわれる。同時に「no verte」がつかわれずに「quererte」が登場する。
 このことは、なにを意味するか。
 繰り返される「cuando」は「porque」と言い換えられる。「no verte」は「quererte」と言い換えられる。つまり、意味としては「cuando=porque」、「no verte=quererte」なのである。そして、それを言い換え、同じものであると感じたとき、この詩は、Antonio のものではなく、読者のものになる。


あなたに会えなくて心が痛む。

憧れから目が覚め
私の静寂の中でヒバリが歌うのを聞くとき

私の残りの日々を知らせる夕日が
音もなく遠くで鳴り響くとき

あなたに会えなくて心が痛む

私の人生のキャンドルが
ゆっくりと無情にも燃えていくとき

不在と絶望の叫びのように
欲望の薪がパチパチと音を立てるとき

あなたに会えなくて心が痛む

私の手が思い出を撫でるとき
目の網膜にあなたの肌がよみがえるとき
あなたの記憶ではなく
私の記憶が消えていくとき

あなたに会えなくて心が痛む

なぜなら... あなたを思うとき
愛が、あなたを愛しすぎた愛が
その激しさで私を傷つけるから

 


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高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』

2023-04-22 21:51:27 | 詩集

 

 高柳誠『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』を開いて、私は、困惑する。行分け詩、いわゆるふつうの詩のスタイルなのだが、各行が長く、ほとんど同じである。同じ長さの行でそろえられた詩もある。標題になっている作品の冒頭。

輾転反側する?たちへの挽歌のために
まずは斬首された蛸が用意されるべきであろう
慟哭に沈潜する深海魚の群れに一錠の光がさして
海溝はおのれの内なる深淵の詭計に耐ええずに
狂い咲きのサンゴを沈黙の岸辺に投げつける
析出し続ける半島の白亜紀になずむ堆積から
喪われた時の骨格がしずかに浮き上がる
両側にかしずく白鳥の翼をもつ双生児たち
その影に怯える夥しい魚卵の鮮明な痕跡は
瀝青の内部に隠された生命進化の遍歴譚に
自らのありうべき肖像を加えようと企てる

  最初の方こそ一行の長さが乱れているが、それが少しずつ調子をあわせ、同じ長さになる。これは、ある意味では読みにくい(リズムを強制される)が、その読みにくさが、なんといえばいいのか、船酔いのような愉悦を誘う。苦しいのだけれど、不思議な誘惑がある。
 そして、そう書いた瞬間に思うのだが。
 これは高柳が企てたものなのか、それともことばが高柳をそそのかして、そうさせているのか。
 そもそも、この詩集は何を狙って書かれたものなのか。もちろん、詩人は最初からすべての計画を立てて、それにあわせてことばを動かしていくわけではないだろうけれど、詩人を最初にこの一群の作品に駆り立てたものは何なのか。なぜ、高柳は、短文スタイルではなくて行分けにしたのか。
 こういうことは、真剣に、あるいは厳密に、「調査」してはいけない。直感で、何かをいわなければならない。
 この詩で(その書き出しで)印象に残るのは、各行の長さである。これと、視覚の印象。その視覚の印象には感じが多いということも加わる。ことばのスピードが漢字によって加速し、そこには何かが隠されているという感じがする。何が隠されているか。音である。
 漢字は表意文字。意味を持っている。鱏はエイと読むのか、カジキと読むのか。どちらたぶんエイと読ませるだと思うが、かわらかなくても、魚であるということがわかる。そして、それを読んでみたい(音にしてみたい)という気持ちにも誘い出す。
 それは鱏という一文字よりも、一行全体として、何か「音」を誘ってくる仕組みをもっている。
 一行目。

はんてんめんそくするえいたちへのばんかのために

 「ん」の音が繰り返し登場し、一行を短く感じさせる。二行目は「された」「される」「まず」「ざんしゅ」というさ行濁音、それは「された」「される」のさ行とも呼応する。三行目は「ちんせん」「しんかい」、「ちんせん」「いちじょう」「さして」の「ち」、さ行、ざ行の交錯。
 この「音」は、もしかすると、実際に「声」にだしたときの音ではないかもしれない。少なくとも、私は声に出して音を確認するわけではなく、耳がかってに、いや、喉や舌がかってに肉体の中につくりだし響かせる音であって、それが積み重なって響くのである。
 私は「交響曲」の楽譜は読むことができないが、高柳の今回の詩集は、肉体を総動員してことばの「音(その音楽)」を聞くための詩でできているのかもしれない。

 そういえば。
 というのは変な理屈だけれど。楽譜の左右の長さはみんな一定だよね。そのなかで音が上下に動くと同時に、音の長短(音符の長さ)が変化し、全体を立体的にする。
 高柳の「音」の響きあいは「和音」、その繰り返しの「間隔」は「リズムの変化」(こう言っていいのかな?)を表現しているかもしれない。
 音楽(交響曲)に意味がないように(あるのかもしれないが)、詩も、意味がなくてもいい。音とリズムがあって、それに肉体ひたすとき、肉体のなかからことば(声)を発するときの喜びが沸き上がってくれば、それでいい、ということがあってもいいと思う。
 この表題作は、こう締めくくられている。

アルゴマン花崗岩の秘匿された喜びの歌に
始原の闇の欠片が雲母となって紛れ込んで
造山運動の底に眠る通奏低音をゆり起こす
大地の亀裂から鮮烈な熱泉が吹き上がり
世界は眠たげな黄昏一色に染められる
夏の両腕に抱き取られた夕景を受肉しながら


 「秘匿された喜びの歌」がこの詩にはあり、それは「通奏低音」である。「雲母」には「きらら」とルビがふってあるのだが、それは「欠片」を「かけら」と読ませるためかもしれない、というようなことも、私は思うのだった。

 


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中島隆志『倉庫の明かり』

2023-04-18 22:16:34 | 詩集

中島隆志『倉庫の明かり』(紫陽社、2023年06月10日発行)

 中島隆志『倉庫の明かり』は、「弱い強さ」とでもいうような感じを持っている。あることばが強い主張を持っているわけではない。どちらかというと「弱さ」を持っている。ここに書かれていることばだけで生きていくのはむずかしいと感じさせる弱さである。しかし、それは、目を引いてしまう。言い直すと、目を引いてしまう強さを持っている。あ、ここに「弱さ」がある。そして、それは守らなければ消えてしまうという弱さなのだが、そういう感じを呼び起こす強さである。
 ながながと書いてもしようがない。たとえば詩集のタイトルになっている「倉庫の明かり」。そのなかほど。

そんなつもりはなくても
うっかり曲げたり
指紋をのこしたり
小さな失敗もかさなれば暗くなる

 失敗を「かさねる」ではなく「かさなる」。ここに「よわさ」がある。かさねる「つもりはなくても」、かさなる。そして、それを「暗くなる」と感じている。何かを感じる力がある。ほんとうに「弱い」存在も、弱さを知らない「強い」存在も、この不可抗力の「かさなり」のことを自覚しないだろう。
 この詩人には、「自覚」というものがある。それが「強さ」である、と言い直すことができるだろう。
 この「自覚」は、こんなふうに書かれる。「輪郭のなかへ」。人文字をつくる子どもたちを描いている。

たとえばFLOWER[・]
そこは彼の定位置だった

 「定位置」を知っている。
 それにしても。

たとえばFLOWER[・]

 か……。この一行、荒川洋司は大好きだろうなあ。
 私は、こういう行は(ことばは)、どちらかというと嫌いなのだが、こういう行を好きというひとがいるというのは、とても大事なことだと思う。だれもが納得するわけではない(感動するわけではない)と知っていて、それでも、それをことばとして残しておく。これも「弱い強さ」かもしれないなあ。

 何が、どうのと、具体的に書くことはできないのだが、1970年代の、詩のことばがまだ短くて、それこそ、書き手のみんなが未熟で、その未熟さの中にある「弱さ/強さ」の出会いが、なんとなくことばを支えていた時代を思い出したりもする。(みんな、と書いたが、「超売れっ子」の詩人のことではないよ。同人誌を出して、ほそぼそと自分を探していいた詩人のことだよ。)
 詩集のつくりも、いまふうの「厚み」で勝負する(脅しをかける?)のではなく、ひっそりとしている。そこに上品さがある。私は、こう書いたあとできっとすぐに忘れてしまうだろうが、本の紙の質がとてもなめらかで気持ちがいい。そこに「ていねいさ」がある。それもいい。

 私がいちばん好きなのは「つり橋」の二、三連。

ぼくはいま
大きなものを見たくて
つり橋を渡る

「トーストを食べて、何もかも放り出して、部屋に入って眠る。」
富士山麓で百合子さんは言う
その横でぼくは
小さな実のように固くなる

 「富士山」は固有名詞であって、まあ、固有名詞とは言えないような「一般的」な存在だが、「百合子さん」は固有名詞であっても固有名詞とは言えない「無名」にのみこまれていく存在である。しかし、ね。この詩人、中島隆志は、それをきちんと受けとめて、ことばにする。「弱さ(無名さ)」を書くことで「強さ」に変えていく。
 ここが美しい。
 そのあとで、「その横でぼくは/小さな実のように固くなる」というのもいいなあ。「意味」にしてしまってはいけないのだけれど、その「小さな実」は、ほら、

たとえばFLOWER[・]

 その[・]のようでしょ?
 無関係なような詩なのに、どこかで「呼応」する感覚があり、それがこの詩集全体を貫いている。
 書いた中島隆志もおもしろいが、その一行を含んだ詩を支える荒川洋司の、ことばの嗅覚も、いいものだ。

 

 

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中井久夫「これは何という手か」

2023-04-07 23:18:15 | 詩集

中井久夫「これは何という手か」(『中井久夫集5』、みすず書房、2018年01月10日発行)

 中井久夫「これは何という手か」は、福岡在住の彫刻家、鎌田恵務の彫刻に寄せた作品と、『中井久夫集5』の「解説5」で最相葉月が説明している。中比恵公園に、その彫刻があるという。
 中井の訳詩が、たとえばカヴァフィスの声を聞き取ったことばなら、この詩は鎌田の彫刻の声を聞き取った声ということになるのか。

これは何という手か。
原初の岩盤から切り出された
こごしい岩の一片。
単純、動かず、
ただ存在する手である。
ほとんど足かと迷う手。
大地から湧いた幼い巨人の手。
まだ何も知らず、
何にも汚れず、何をも汚さない、
働きはじめていない手。
糸をつぐむことも、
木を削ることも、
漬物を漬けることも、
上顎についた漬物を取ることも、
闇をさぐることも、
飼い犬をかいなでることも、
汗ばむことも、
手をつなぐことも、
愛撫しあうことも
知らない手だ。
私は知らなかった。
このような、そういうことすべてをこえて、
ただあることを以てある手を。

 「ただ存在する手である。」と「ただあることを以てある手」と言い直されている。「存在する」を「ある」と言い直し、さらに「する」という動詞を「以て」と言い直している、と私は読む。
 この「以て」を言い直すというか、ほかのことばで説明し直すのはむずかしいが、私は、何の根拠もないのだけれど「即」を思い浮かべた。「同じ」、あるいは「強調」と言えばいいのか。
 だから、中井は何度も何度も言い直している。ひとつに限定しない。いくつにも言い直し、いくつにも言い直しながら、それがひとつである、と言っている。
 それはたぶん、中井の、治療の姿勢と似ているのではないだろうか。
 統合失調症のひとがいる。それは、ひとつの人間の生き方のありようなのである。いくつもある人間の生き方のひとつであり、そのひとつは、たとえば私から見ると、うまく同調できない(統合失調症のひととうまく共同生活ができない)ということであって、その原因が統合失調症のひとにあるか私にあるか(あるいは社会にあるか)は、ほんとうはわからない。統合失調症のひとがかわらなくても、私が何らかの形で変化すれば、私たちの関係はうまくいかもしれない。もちろん、そういうことは「治療」ではないかもしれないが、ふと、そういうことも思うのである。
 中井久夫の文章を読むと、そういうことも思う。
 どこまでも、どこまでも、自分を広げていく。自分を広げていって、そこにいるひとが自然な形で存在できる「場」を探し出そうとしているように見える。
 でも、そういう「意味」について語るのは、やめる。
 私がこの詩でおもしろいと思うのは、

漬物を漬けることも、
上顎についた漬物を取ることも、

 この「漬物」へのこだわり。それは単に「もの」としての「漬物」を超えている。「漬物を漬ける」はふつうの表現だが、ここには「頭韻」がある。ことばの調子が整う。このリズムというか「音」が、どうしても、もう一度「漬物」を引っ張りだしてしまうのだ。中井の「文体」には、何かしら、こういう感じがある。先に書いたことばが次のことばを誘い出し、音が往復し、そのなかで「論理」が補強されるという感じがある。
 それは

飼い犬をかいなでることも、

 で、いっそう、鮮明になる。「かきなでる」ではなく「かいなでる」。「穏便」が起きている。「飼い犬をかきなでる」でも意味は同じ。しかし、印象が全く違う。中井にとっては「かいなでる」でなければならないのだ。
 中井がつかうことばで言えば、ここでは、「チューニング・イン」が起きている。
 中井がめざしている世界は、「チューニング・イン」なのだと思う。広い世界がある。どこまで「チューニング・イン」できるか。それは、広げるだけではできない。矛盾する。そのとき、その場で、その世界に「チューニング・イン」する。
 中井が書いている世界(向き合っている世界)はとてつもなく広いが、それが「圧迫感」となることがないのは、中井が「体系」をめざしていないからだろうと思う。「体系」は、けっきょく、世界を閉じ込める。世界を開放することがない。中井は、世界を開放するために「チューニング・イン」をめざす。
 そのとても不思議な具体例が「飼い犬をかいなでる」という「音」のなかにある。ちょっと強引に言えば、「飼い犬をかいなでる」とき「飼い犬」と「飼い主」は「即」の存在である。飼い犬「即」飼い主。「かいなでている」のは飼い主ではなく、飼い犬である。こういうことは、犬を飼ったことがある人にはわかるだろう。それは「愛撫しあう」の「しあう」という動きなのであある。「即」とは「相互作用」なのである。

 「頭韻」に似た響き、リズム、音の動きには「まだ何も知らず、/何にも汚れず、何をも汚さない」の「何」のくりかえし、さらには「働きはじめていない手。/糸をつぐむことも、」の「い」ないから「い」とへの移行にも感じられる。

 もうひとつ、中井ならではのことばがある。「知らない」「知らなかった」。中井はいつでも「知らない」ものに向き合っている。「知らない」を「知らなかった」と言い直すために生きたひとである、と私は感じている。

 

 

 


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最果タヒ『不死身のつもりの流れ星』(2)

2023-04-02 22:09:56 | 詩集

 

 

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暁方ミセイ『青草と光線』

2023-03-29 14:42:50 | 詩集

 

暁方ミセイ『青草と光線』(七月堂、2023年03月25日発行)

 詩集に限らないが、何かを読んでいて、不意に立ち止まることばがある。何度も読み直してしまう。暁方ミセイ『青草と光線』の「早春賦」のなかほど、74ページ。

シャツの間からさわやかな針葉樹林の香りがする
熱され燃え落ちる雪の針の香りがする
もし呼んでいいのなら
黒く水を吸った小枝を土の上に結び
こだまにこの声を一度は渡し
風のひとむれのひとつになって
透明にまた冷たく雫のように
灰色の曇り空のしたを歩くあなたの肩に降りかかる
半分は蒸発し半分は滴り落ちる
そういうことを思いながら
まるで何も話さない

 私は「もし呼んでもいいのなら」という行にぶつかり、はっとした。暁方の詩は、いたるとこにろ「もし呼んでもいいのなら」が隠れているのだろう。「呼ぶ」という動詞を「書く」にかえれば、「もしこう書いていいのなら」になる。「もしこう書いていいのなら、私(暁方)は、こう書く」。そうやってできたのが、暁方の詩である。
 ここには、「あなた(読者)はそう思わないかもしれないが、私はこう思う」が隠れている。それは静かな声である。「絶対に、私の声を聞いてくれ、私のことばに賛成してくれ」という主張ではない。しかし、控え目だからといって、その声を捨てるわけではない。だから、書いているのである。
 その「呼んだ声」は、しかし、どうなるのだろうか。
 「こだまにこの声を一度は渡し」という行も、決して忘れることができない。「一度は渡す」。「一度」という限定があるところが、とても切ない。「こだま」を「詩」と置き換えると(書き換えると)、暁方の生き方(思想)になるのだろう。
 もし感じていることをことばにして書いていいのなら、それを書く。詩として書く。詩に、暁方のことばを一度渡す。それから、読者がどう読むかは別にして、暁方のことばが詩のなかでぞう変化していくかを見つめる。ことばの動きを、ことばにまかせ、暁方はことばの声を聞くのかもしれない。それを抱きしめるために。
 自分の声が詩になる。そのあと、詩の声に耳をすます。だまって、その声を聞く。それは「こだま」かもしれない。どこかに、きっと暁方の声の響きを残しているはずだから。つまり、暁方は、自分の声がどんなものかを、そっと抱きしめ、確かめている。
 この静かな往復があるからこそ、「もし呼んでいいのなら」というような書き方になっているのだろう。
 宮澤賢治に通じるような「針葉樹林の香り」「雪の針」「黒く水を吸った小枝」のことばの奥には、やはり「もし呼んでいいのなら」があるのだろう。「もし好きになっていいのなら」「もし好きと言っていいのなら」。それがあるから、それらのことばが美しい。

 

 

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村上春樹「イエスタデイ」

2023-03-24 22:32:29 | 詩集

村上春樹「イエスタデイ」(『女のいない男たち』文春文庫、2022年04月05日、第15刷)

 私は何度か書いたことがあるが、村上春樹の小説が嫌いだ。ただ、日本語を外国人に教えるには最適のテキストである。同じことを何度も繰り返して説明するからである。(描写ではない。)「わからなくてもつづけて読んで。同じことが別のことばで書いてあるから」と、生徒のとなりにいて、そう言うだけで日本語を教えられる。
 それ以上、言うことはないと思っていたのだが。
 いま日本語を教えるテキストにつかっている文庫本に「イエスタデイ」という作品がある。それを読んでいて、121ページまで来た。主人公が、かつてデートした女性と再会し、彼女とのデートのことを話す。話題は、彼女が見た「氷でできた月の夢」である。

「その夢のこと、まだ覚えていたのね?」
「なぜかよく覚えている」
「他人の夢のことなのに?」
「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」と僕は言った。

 この会話のあと、彼女は姿を消す。そして、「たぶん化粧室にアイメイクを直しにいったのだろう。」という文章がある。ページの最後に「空白」がある。ここで、おわった、と私は思った。そして、非常に感心した。村上春樹の小説に感心するとは思いもしなかった。
 余韻がある。
 「夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと」は、小説を書いていて、突然ひらいめたことば、どこかから降ってきたことばなんだろうと思った。そういう強さがあって、そのあと彼女が消えてしまうのもとてもいい。
 うーん、すばらしい。

 ところが。
 日本語教師をしていなかったら、そこで本を閉じるのだが、次に読む作品を予習をしておこうと思ってページを繰ったら、つづきがあるのだ。小説は終わっていない。
 そして、その最後の「説明」がとてもくだらない。「説明」にもなっていない。
 その前に収録されている「ドライブ・マイ・カー」も終わる直前、65ページの、みさきのセリフはとてもよかった。「ドライブ・マイ・カー」は、そのあとが短くて、まだいいのだが、それでも最後の一行はいらないだろう。

「少し眠るよ」と家福は言った。

 ここで終われば、もっとよかった。
 で、何が言いたいかというと、村上春樹の小説の文体は「描写」ではなく「説明」であり、村上春樹が「説明」してしまうのは、読者を信じていないからだ。読者を信じていないということは、村上春樹が村上春樹自身のことばを信じていないということなのだ。だから、どうしても長くなる。
 別の生徒とは「18Q4」を読んでいるのだが、「高速道路の非常階段を降りるのに、なぜ、こんなに長い時間がかかる?」と質問されてしまったことを思い出すのだった。
 だらだらと書いてしまうのは、私自身の癖でもあるのだが、だれか、村上春樹に、「ここはいらない」と助言する編集者はいないのだろうか。

 

 


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橘上『SUPREME has com』

2023-02-28 11:23:25 | 詩集

橘上『SUPREME has com』(いぬのせなか座、2023年01月31日発行)

 橘上『SUPREME has com』は、松村翔子、山田亮太と一緒に出版した4冊組の『TEXT BY NO TEXT』の1。
 それ以上、書くことはない。
 ことばは、私にとってはいちばん大切なものである。ことばがないと考えることができないからである。そしてことばで考えるということは「文体」を生きるということである。
 最近、私は、スペインの詩人と知り合い、彼といっしょにスペインの作家の文章を読んでいるのだが、スペイン語であっても、私は日本語を読むときと同じ読み方をしてしまう。いくつかの動詞、いくつかの名詞の呼応のなかから、そのことばのなかで動いている肉体を考える。つまりことばをとおして肉体を重ねる。そのなかで世界をつかむ。
 ときどき、それがまったくできないときがある。
 きのう送られてきたテキストは、子どもが、自分の持っている鞄の匂いを気にする内容だった。鞄が臭い。それは、動物の皮をなめしてつくるときのにおいである。日にさらされてにおいを持つ。想像はできるが、私は、そういう体験をしたことがない。
 つまり、そのにおいが持つ、生と死の交錯、それにかかわる人間の暴力というものを、頭で想像できるけれど、肉体として思い出せない。そういうものを出発点として、私は「考える」ということができない。まだ、ことばになっていないものを感じるということはできない。どこまでが、すでにことばになっていることか、わからないからだ。
 「においを感じる」「においからさまざまなことを知る」という「文体」を生きることはできるが、その「におい」が狩猟と関係づけられるとき、私はその「文体」を生きることはできない。単に、想像するだけだ。そして、私は「想像」を語ることを好まない。すっかり面倒くさくなってしまった。

 書くことはない、と書いたし、書いてもしようがないと思うが。たとえば、「現代はもう現代詩(NO シャブ NO LIFE EDIT)」のなかに、こんな行がある。

「同じことを知っているお友達と、お友達にしか通じない言葉で」
「死ぬまで会話のパーティーしてればいいじゃん(いいじゃん!)」

 私は、私のことばがだれかに通じるとは、もう考えていない。通じなくても、ぜんぜんかまわないと考えている。だれかに通じるように考えるのではなく、私には考えたいことがあるから考える。そして、私の考えていることがいったいどこにたどりつくのか私は知らない。だから、もし私のことばが通じたとしても、そんなことはもう私には関係ないこと、知らないこと、どうでもいいことである。
 だから、自分では何も書かなかった(ことばを残そうとはしなかった?)、ソクラテスは偉大だなあ、と私は心底思うのだが、そんなことを思っていると、こういう行が待ち受けている。

「アンタは何を知ってるの?」
「俺はなんにも知らねぇぜ」
「知らないふりするな!」
「俺が何を知ってて何を知らないか、アンタ知ってるの?」

 でも、ソクラテスは「俺が何を知ってて何を知らないか、アンタ知ってるの?」とは言わないだろうなあと感じる。「アンタは何でも知っている。しかし、俺は何にも知らない」とは言うかもしれない。
 そういう気持ちなのだ、私は。
 橘上は、橘上が書いていることはもちろん書いてないことも何でも知っているのだろう。しかし、私は橘上が書いていることは何にも知らない。
 橘上『SUPREME has com』は、松村翔子、山田亮太と一緒に出版した4冊組の『TEXT BY NO TEXT』の1。それ以上、書くことはない、とはそういう意味である。

 

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Estoy Loco por España(番外篇307)Obra, Angel Castaño o Sol Perez

2023-02-24 10:39:42 | 詩集

Obra, Angel Castaño o Sol Perez

 El mundo de Sol Perez captado por Angel Castaño.
 Angel ve lo que yo no veo. Él puede verlo que yo no veo. Eso, de repente, aparece ante mis ojos en forma de foto.
 Angel no sólo ve la obra. Vive la obra. En sus fotos, la obra de Sol Pérez vive una segunda vida. Las fotos de Angel reproducen cómo nació y vivió las obras de Sol Pérez. Al ser reproducida, la realidad se convierte en un registro, viviendo una vez más una vida que nunca podrá perderse.
 Hay aquí una vida intensa, similar al "realismo mágico" de Gabriel García Márquez. La realidad se representa para establecer la realidad (realismo) de la representación (magia). No puedo distinguir si estoy en el mundo de Sol Perez o en el de Angel Castaño.

 Angel Castaño がとらえたSol Perez の世界。
 Angel は私の見ていないものを見ている。彼は、私には見えないものが見える。それが写真になって、突然、私の目の前にあらわれる。
 Angel はただ作品を見るだけではない。作品を生きるのだ。彼の写真の中で、Sol Perez の作品は二度目のいのちを生きる。どうやって作品が生まれ、生きてきたかを、Angel 写真は再現する。再現されることで、現実は、記録になり、決して失われることのないいのちを、もう一度生きる。
 ここにはガブリエル・ガルシア・マルケスの「魔術的リアリズム」に似た強烈ないのちがある。現実は表現されることで、表現(魔術)という現実(リアリズム)を確立する。私は、Sol Perez の世界にいるのか、Angel Castaño の世界にいるのか、区別することができなくなる。

 

 

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