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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(72)

2020-06-29 09:05:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
未発表詩篇 遺稿ノートⅠ 詩集名(いつか晴れた日に)

* (宇宙は途方もなく厚く重い一冊の書物である)

あらゆることが印刷されているのか
書き手はだれなのかさつぱり分つていない

 「印刷」。何気ないことばだが、私は、つまずいた。「書物」を想像するとき、私は「印刷」ということばをめったに思い浮かべない。「文字」「活字」は連想するが、「印刷」は想像からこぼれ落ちている。
 この「印刷」を、嵯峨は「書き手」と言い直している。
 ここで、私は安心する。
 「書物」は書かれるものであって、印刷されるかどうかは別の問題である。書いたときに、もう「書物」なのだと私は考えている。
 言い直しているのは、嵯峨も、同じように考えているからだろう。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(71)

2020-06-28 08:33:30 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
ピノキオと白菖蒲の花

もぎたての果物の匂いのような
性の苦(にが)い匂い

 この果物は完熟した果物ではない。実をつけたばかりの青い果物だろう。青梅の苦さを私は思い出す。「もぎたて」の「たて」(したばかり)ということばのなかに、「若さ」がある。
 一方、逆のことも私は知っている。「完熟」の、その頂点を超えた果物の、甘さの中に隠れている苦さ。腐敗がはじまる寸前の刺戟。たとえば木から落ちる寸前の柿。それは「もぎたて」とは違う。違うのだが、それは、もがないと落ちてしまうものなのだ。
 梅の木も柿の木も、田舎の家の庭にあった。田舎では、性はいたるところに、隠れているのではなく、あからさまにあふれていた。そういうことを思い出した。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(70)

2020-06-27 08:26:12 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
K丘

文字にならぬ言葉が 映像が
ぼくをひどく悲しませる

 「映像」としての「記憶」がある。しかし、「文字(言葉)」にはならない。こう書くとき、嵯峨は「言葉」を書きたいと熱望している。そして、そのときの「言葉」とは、「情景」を正確に描写することばである。「情景」とは「こころ」である。
 しかし、これは不思議な「思い」ではないだろうか。
 画家なら、どう言うだろう。「映像」が思い浮かんだとして、それで満足するか。思い浮かんだ映像をそのままなぞれば「絵」になるわけではないだろう。思い通りにならない「色」と「形」が画家を悲しませるだろう。
 音楽家なら、「映像」が思い浮かんだとして(あるいは、ある「音」が思い浮かんだとして)、それをそのまま「再現」できないことを悲しむだろう。

 「文字にならぬ言葉」の前に、「文字になってしまう言葉」がある。それを突き破ることができない。これがいつでも問題なのだ。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(69)

2020-06-17 08:40:54 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

現実

時の鍵が失われて
永遠がはじまる

 この「永遠」は、ふつうに言われる「永遠」とは逆である。「時」を超越した「理想」のことではない。むしろ理想から遠い「現実」のことである。

こころの隅の一語も
何一つ身動きができない

 「身動きができない」、「動き」が「ない」。静止している。これが「永遠」であり、それは求めているものではないからこそ「現実」である。
 「動く」とき、そこに必然的に「時」は生まれる。必要なのは「時」なのだ。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(68)

2020-06-15 09:35:14 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (だれも愛さない)

枯れつくした芝生の上を歩くような日々である

 これは「現実」だろうか。「比喩」だろうか。「現実」が「比喩」になったのだろうか。もし、そうだとすると、それは何を言い表そうとしているのか。

いつかの言葉は憶えているが
きょう一日が過ぎてしまうとその言葉も忘れてしまう

 「憶えている」のは「枯れていない芝生」。そういうものが「かつて」は存在した。「いま」は存在しない。そして同じように「いま」存在しているものも、いつか(将来)には消えてしまう。
 これが「愛さない」ということなのだ。「いま」の問題ではなく、「過去」「いま」「未来」へとつながっていく「時間」が浮かびあがってくる。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(67)

2020-06-08 10:50:26 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (長椅子に横になっている)

さまざまな想いは
時とはもう少しもつながらない

 「もう」ということばにつまずく。かつては「時」とつながっていた。しかし「いまは」もうつながらない。「もう」のなかに「時」そのものがある。「時」のなかにを意識が動いていることになる。
 一種の反復である。
 そして反復するものだけが「少し」ということばを見つけ出すのだ。だから「少し」のなかにも「時」がある。




*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(66)

2020-06-06 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「バッタの生態」から

* (きみは頷く 微笑む 理解する)

そのやわらかな緑地にぼくは休息する
そして疲労をしずめる

 バッタの跳ぶ緑地。「やわらかな」ということばが、この詩のキーワードだろう。「やわらかさ」がすべてのものを「しずめる」。静かにさせる。
 「そして」という接続詞に、不思議な「ひと呼吸」がある。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(65)

2020-06-05 08:58:20 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
「小人間史-他」から

* (もう愛情の失せた太股をおまえの腹の上に乗せてみた)

 「おまえ」とはだれだろうか。人間だろうか、女だろうか。私は、ふと「犬」を思ってみた。「腹の上」は「銅の上」でもある。「愛情の失せた」は「太股」をとびこえて「お前の腹」を修飾している、と読む。

むなしい街燈がひとつそこいらを照らしているばかりである

 ホームレスと犬。嵯峨がこの詩を書いたとき、ホームレスということばがあったかどうかわからない。路上で生活している男。夜、犬と寄り添っている。
 「愛情の失せた」は冷たいことばだが、もう「肉体」になじんでしまっていて、「愛情」ということばが必要ではない、という意味に読んでみる。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(64)

2020-06-04 10:02:07 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
黄金の鎖

別れるのは河のそばがいい
水は去っていくが岸に他のものは静かに残る

 「水」は女、「岸に残る」のは嵯峨。
 「他のもの」と書いているのは、単に嵯峨という人間が残るというのではなく、記憶が残る。その記憶を、嵯峨は岸に残して去っていくと読むこともできる。
 「静かに」ということばが必要なのは、そう決意しながらも、まだ嵯峨のこころが騒いでいるからだろう。こころが「静かに」なるまでには、もっと時間がかかる。





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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(63)

2020-06-02 21:54:44 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
非在の犬

熱い夏は
どこを歩いても四方に炎えひろがっている

 「暑い」ではなく「熱い」と書く。それが「炎ひろがっている」につながる。
 これは、いわば「誤字(誤読)」なのだが、そこには理由があるのだ。



*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(62)

2020-06-01 09:50:33 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
*  (その色はだれも大事にしているわけではない)

さらにあなたの哀しみのなかにすら
あなたが歩いてくる足音のなかにも忍んでいたことがある

 「哀しみ」と「足音」が「肉体」を浮かびあがらせる。「歩いてくる」と時間を浮かびあがらせる。そして、それが「忍ぶ」につながる。「忍ぶ」のなかに時間があり、「忍ぶ」時間が「哀しみ」なのだ。「忍ぶ」けれども、持ちこたえられないものがあって、「肉体」を歩かせる。「足音」を聞くしかない「哀しみ」。それを「色」に置き換えてみる。
 「大事にする」とは、そんなふうに、ことばをいろいろ動かしてみるということだろう。だれも大事にしないけれど、嵯峨は大事にするのだ。「あなた」の色だから。





*

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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(60)

2020-05-29 10:54:56 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (あなたの手のなかにある話を)

もし何も話がなければ
硝子戸ごしに見える一本の老樹についてお話しなさい

 「なければ」、話をつくりなさい。そこにある「事実(一本の老樹)」がことばを支えてくれる。ことばはいつでも「事実」に支えられている。
 ここで嵯峨が「若い樹木」ではなく「老樹」を選んでいるのは、老いたもののなかには語るべき「事実」がいくつもあるということだろう。
 そしてそれを語るときの嵯峨は、きっと「若い」。若さが老いのなかに見つめる「事実」には、若者には知らないこと(体験していないこと)もある。「知らない」のに、そこにあることを「事実」と判断する力のようなものが、そのとき動く。この「動く」という不思議な現象のなかに、詩がある。だから、それに自分のすべてを任せてみるといい。そう言っているのだろう。
 「なければ」のなかの「ない」。そこに、この詩の「原点」のようなものがある。





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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(59)

2020-05-28 11:31:02 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* 存在

小さな眼の中にある広大な暗のひろがり
目蓋をとじると紫いろの世界がぼくをつつんでしまう

 「小さな」が「広大」を通って「世界」にかわる。そのとき、その変化を支える(許容する)のが「暗」である。何も見えない。だから「小さい」とも「大きい」とも言いうる。この「不定形」がことばの運動を自由にする。この「不定形」を「無」と言い換えることもできる。
 「眼を開ける」ではなく「目蓋をとじる」は、閉じることによって世界が「外」にあるのではなく、「ぼく」を世界の「外」へと連れ出してしまう。内と外が入れ替わる。これは「小さい」と「大きい」の変化に通じる。
 興味深いのは、ここに「紫いろ」が出てくること。この色は、それをそのまま受け入れるしかない「詩」である。だから、ここで「好き/嫌い」がわかれる。私は「むらさき(いろ)」という音がどうしても好きになれない。面倒くさいことを書いてしまったが、私は「紫いろ」ということばのために、この詩が嫌いだ。







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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(58)

2020-05-27 10:37:32 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (左手は高くあげて)

さようならと別れの挨拶をする手だ
右手は
いつも暗い秘密におののく手だ

 右手は「低く」、誰に会うのか。自分自身の「秘密」に出会う。
 「高く/あげて」ということばが、「暗い」「おののく」をひきたてる。
 「いつも」が、静かで強い。










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嵯峨信之『詩集未収録詩篇』を読む(57)

2020-05-26 11:00:52 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

別れ

馬車の中の女の顔は
手紙のなかの言葉をおもいだしているようだ

 「中」と「なか」を嵯峨はつかいわけているのか。
 「中/なか」は「中心/焦点」でもある。つまり、「周辺」というものがある。それが、このことばの運動の「味」だ。
 嵯峨は女を見ているのではない。馬車の中の女、女の中の顔を見ている。視点の移動がある。
 同じように、女は手紙を思い出しているのではなく、手紙のなかの言葉を思い出している。意識が移動して行っている。
 「外へ」ではなく「中/なかへ」。
 この移動の重なりが、嵯峨と女を結びつけている。結びついている瞬間があるから「別れ」もある。










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