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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(10)

2020-01-28 14:26:58 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

孤独

ぼくは夜明けを待つだろう
川岸の棒杭にとまつている一羽の大鴉のように

 夜明けまで、ただ棒杭にとまっている大鴉。その視界を川が流れていく。この川は小さい川か、大きい川か。水は豊かにあふれているか。
 大きい川、豊かな水を想像するとき、「孤独」は「孤高」にかわる。寂しさは消え、厳しさと美しさが生まれる。






*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(9)

2020-01-27 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

無題抄

海は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも時の行衛を知らない

 「海」と「時」は入れ替え可能な「比喩」である。つまり「海」は「時」であり、「時」は「海」である。入れ替えてみるとわかる。

時は一枚のみどりの褥のようにひろがつているが
だれも海の行衛を知らない

 あるいは、これはすべて「時」について語ったことばだといえる。
 「時」はどこにもいかない。目の前にただ広がって存在する。言い換えると「あらわれている」。「時」がどこかへゆく(過ぎ去る)というのは事実ではない。
 「時」はどこへもゆかない。「行衛(行方)」などないから、だれもそれを知る必要がない。知らないのではなく、誰もが知っているのだ。





*

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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(8)

2020-01-26 09:16:44 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (白い山梔子の花の匂いで目がさめた)

言葉よ
まだ目ざめないのか

 「白い」山梔子の匂いで肉体は目覚めた。この「白い」はなぜだろう。なぜ「白い」と書いたのだろうか。
 何かの匂いで目がさめた。山梔子だった。白い花だった、と肉体の認識は動く。しかし嵯峨は「白い」を最初に書いている。ここには「発見」が書かれているのではなく「記憶」が書かれているのだ。嵯峨の「言葉」は記憶を追認している。つまり、知っている「言葉」が動いているだけだ。
 だから言うのだ。「言葉よ/まだ目ざめないのか」は、「言葉よ/目ざめよ」という命令なのだ。まだ「言葉」になっていない「ことば」があるはずだ。未生のことばが。
 それは、こう言い直される。

ぼくの魂しいのどのあたりを急いでいるのか





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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(7)

2020-01-25 09:17:04 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

青い花

小さな恋ほどの露草の花を
はげしい驟雨がぬらしていつた

 「小さな恋」とは嵯峨の恋。それは「いま」というよりも「記憶」だ。
 その「記憶」を驟雨が激しく濡らして行った、と書くとき、嵯峨の記憶のなかに何が去来しているか。
 「はげしい」と書かずにはいられない何かだ。「はげしさ」が驟雨の形をとったのだ。名詞が修飾されるとき、名詞の意味よりも、修飾語(形容詞)の方に作者の思いがこめられている。形容詞は用言、一種の「動詞」である。用言をつかうとき、つかうひとの肉体は無意識に動いている、と私は感じる。用言に、私の肉体自体が誘われる、と言い直すことができる。







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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(6)

2020-01-24 08:58:37 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
人名

 「ふとそのひとの名をおもいだした」と書いたあと、嵯峨は、こう書いている。

ぼくはいま
誰かの記憶のなかを通つているのかもしれない

 思い出すというのは、「記憶」をいまに蘇らせることである。「記憶」のなかにいる誰かを思い出すというのは、「記憶」のなかで誰かが動くということだろう。つまり、誰かが嵯峨の記憶のなかを通っている、と考えるのが普通だと思うが、嵯峨は逆に考えている。
 刺戟的だ。荘子の蝶の夢のように。
 誰かが嵯峨の記憶のなかで動いたのか、誰かの記憶のなかで嵯峨が動いたのか。それは確かに、区別がつかない。







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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(5)

2020-01-23 09:34:08 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

待つ

窓から
雨のあがつている街道が見える

 もしひとを待っているのだとしたら、そのひとはその「街道」を来るのだろうか。たぶん、そうだろう。「雨」はあがった。それは一般的に考えて、吉兆である。その道を通って、二人はどこかへ行くこともできる。でも、いまは、そういうことは考えていないだろう。
 その道を、そのひとがやってくるまで、嵯峨はそのひとの方向へむかって動いている。「待つ」とは、「肉体」は動かさないが、こころを動かしつづけることである。こころが動くから、道をみつめる。雨があがったことを知る。








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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(4)

2020-01-22 08:28:26 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年01月22日(水曜日)
自由画というものがあつた

言葉は
言葉以外の意味にあふれている

 詩を語るとき、思い出してしまう二行だ。
 たぶん私は書かれていることばを、辞書に書かれている意味とは違った意味に受け取っている。余分なものをつけくわえ、その余分を楽しんでいる。
 では、この二行については、どうか。
 「意味」を主張することばには警戒しなければならない。
 「意味」は「意味」を完結させる。「意味」をどうやって破壊して、「ことば」を読むか。
 そのことを考えなければならない。







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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(3)

2020-01-21 08:49:31 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年01月21日(火曜日)



皺一つない告白

 「泉」は港の比喩か。
 「告白」を「皺一つない」と修飾する。このとき「告白」ということばが微妙に動く。そうか、「告白」というのは何かしらの「皺」を持っているのが普通なのか。「皺」は何かを隠したためにできる「乱れ」のようなものだろう。
 そこに書かれているのが「皺一つない」なのに、想像力に迫ってくるのは「皺」の「意味」である。「皺」が比喩になっている。
 ここには比喩がもう一度比喩になるという不思議な運動がある。「港」というタイトルを忘れてしまいそうだ。







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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(2)

2020-01-20 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む


窓の近くに
大きな黄金色のザボンの実が重く垂れさがつている

 これは詩の三連目の二行である。ひとつの情景の描写である。描写そのものには謎はない、ように見える。しかし、実は謎だらけである。
 なぜ、嵯峨はザボンを「現実」の中から選び出したのか。さらに「大きな」「黄金色の」「重く」「垂れさがつている」と描写を重ねるのか。それは「ザボンが実っている」という描写と、どこが違うのか。
 どのことばにも「意味」がこめられている。そして「意味」が重なることで「謎」になるのだ。








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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(1)

2020-01-19 09:29:55 | 『嵯峨信之全詩集』を読む


井戸端に咲きみだれている山吹の花に
太陽が火を放つ
だれの嘘よりも
もつと見事な黄金の大きな嘘のように

 二行目の「太陽が火を放つ」を、私は「太陽に火を放つ」と読み替える。太陽が山吹に火を放つのではなく、山吹が太陽に火を放つ、と。
 山吹は、大地から生まれた太陽であり、それは天にある太陽の輝きには負けない。
 それはもちろん「真実」ではない。「間違い」というよりも、「嘘」である。しかし、嘘を承知で、そう書くのだ。そう読むのだ。
 ことば(詩)は客観的な「事実」ではなく、錯乱が生み出す「真実」である。










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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(74)

2020-01-18 08:53:44 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
メモラビリア

眼をひらいていると見えない白昼の星が
眼をつむると深紅のまぶたのうらに遠い砂漠のようにひろがる

 「眼をひらく」「眼をつむる」、「見えない」「ひろがる(のが見える)」。「見える」という動詞は書かれていないが、「意味」はそういう対句になっている。
 「対」は対になることで、単独のときは存在しないものを出現させる。

われわれになんの関わりもないその静かな世界を
あこがれの深いまなざしで仰いでいると
誰も触れたことのない大きな空間に触れる

 「大きな空間」よりも「誰も触れたことのない」の方が重要である。「触れる」と嵯峨は書くが、それは「生み出す」のである。嵯峨のことばが。
 詩はいつでも、「誰も触れたことのない」ものを出現させる。

(このシリーズは今回でおわりです。)









*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(73)

2020-01-17 09:28:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (とどまりたい 心の上に)

 この詩も、ことばが次々にかわっていく。「とどまりたい」という思いを裏切るように動いていく。そして、その最後。

しかし雨のなかを長い橋を渡つていくとき
そのためにはわたしはすつかり別人にならねばならぬように思う

 「別人になる」とは「心」が「別の心になる」ことである。長い橋を「渡る」のは「別人」ではなく同じ「肉体」。「渡る」という動詞の前に、「心(感情、あるいは認識かもしれない)」は変わってしまっていなければならない。そう思っている。
 このとき「心」には「上」も「下」もない。 
 「心」のあり方そのものが、一行目とは「別」のものになってしまっている。
 ことばを動かし、書くということは、こころを変えてしまうものなのだ。







*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(72)

2020-01-16 08:37:39 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (小さな時を)

むかいあつて持ち合う

 と静かに「意味」をつないで動くことばは、転調し、思いがけないことばを呼び寄せる。

皿の上に匂う林檎は
そのときの水の中の遠い酔いを感じさせる

 「遠い」ということばが象徴的だが、このことばにたどりつくまでは「遠い」もの(そのとき=過去)が書かれている。しかし、皿の上の林檎は現実だ。事実だ。そして、それを強烈に印象づけるのが「匂う」という動詞だ。
 「匂い」が動いている。「匂い」が嵯峨の体のなかに入ってくる。「匂い」と嵯峨が一体になっている。
 「事実」とは対象と自己が一体化して生まれる。









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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(71)

2020-01-15 08:47:19 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
ソネット三篇

* (女を愛するとは)

ひとりの女の姿を描きかえることだ
また葡萄のひと房のなかに閉じこめることだ

 「描きかえる」「閉じこめる」。二つの動詞がある。「描きかえる」は「かえる」に重心がある。「閉じこめる」も、閉ざされていない状態から、閉ざされた状態に「かえる」と言うことだろう。言い直すと、女を愛するとは、女を「かえる」こと。
 その「動き」(動詞)よりも「ひとり」「ひと房」に含まれる「ひとつ」が、この詩の重要なことばではないかと思う。
 「一(ひとつ)」の対極にあるのは「多(複数)」。多くのなかから「一」を選ぶ。そこに隠された動詞がある。「一」に「かえる」は「一」にすることである。
 何のためか。
 嵯峨自身が「一」になるためである。
 詩の三連目は、こう書き出される。

こよいその庭でぼくは緑をささげる一本の樹だ

 「一本」のなかに「一」がある。嵯峨は、自分自身を「一」にして、女の「一」と向き合う。それを「愛する」と言う。
 そして、この「一」は、最終連で「ほんとう」ということばに言い直されている。
 「ほんとう」に「する」、「ほんとう」に「なる」。そのとき「二(女と男)」は「一」になる。









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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(70)

2020-01-14 10:47:34 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (夜はつづき)

花は散つて
夕べの川はながれていたと

 夜、その日見たことを思い出す。あるいは、その日ではなく、かつて見た日の情景かもしれない。特定はできない。
 時間の飛躍。あるいは時間が時間という「名詞」を離れて、動いていく。
 そこに詩がある。
 花は「散る」、川は「ながれる」。そこにある時間は止まっていない。散るという動詞、流れるという動詞、その動詞そのものがつくりだす時間を、夜、思い出している。「夕べ」と書かれているが、これも「日が暮れる」の「暮れる」という動詞を隠していることばだ。夜は「つづく」。その「つづく」という時間のなかにも動きがある。








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