ソネット三篇
* (女を愛するとは)
ひとりの女の姿を描きかえることだ
また葡萄のひと房のなかに閉じこめることだ
「描きかえる」「閉じこめる」。二つの動詞がある。「描きかえる」は「かえる」に重心がある。「閉じこめる」も、閉ざされていない状態から、閉ざされた状態に「かえる」と言うことだろう。言い直すと、女を愛するとは、女を「かえる」こと。
その「動き」(動詞)よりも「ひとり」「ひと房」に含まれる「ひとつ」が、この詩の重要なことばではないかと思う。
「一(ひとつ)」の対極にあるのは「多(複数)」。多くのなかから「一」を選ぶ。そこに隠された動詞がある。「一」に「かえる」は「一」にすることである。
何のためか。
嵯峨自身が「一」になるためである。
詩の三連目は、こう書き出される。
こよいその庭でぼくは緑をささげる一本の樹だ
「一本」のなかに「一」がある。嵯峨は、自分自身を「一」にして、女の「一」と向き合う。それを「愛する」と言う。
そして、この「一」は、最終連で「ほんとう」ということばに言い直されている。
「ほんとう」に「する」、「ほんとう」に「なる」。そのとき「二(女と男)」は「一」になる。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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