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『滝山コミューン1974』 その15

2010年07月17日 | Weblog
  『77年には須田校長が退職し、片山先生が大阪の小学校に転出した。
   75年以降、 かつての6年5組に匹敵するクラスはついに現れなかった。
   「核」となる学級を 確立させられなかったことで、「滝山コミューン」は
   名実ともに崩壊したのである。 』

著者が滝山から離れてから数年したのち“滝山コミューン”は崩壊したとある。
全生研の目指す地域を含めた「学級集団づくり」というものを目指しにくくなった
のだろうか。

実際に80年代に入ると、それまでの「学級集団づくり」が維持できなくなって
いったようだ。

  『その背景には、激増する校内暴力やイジメに加え、登校拒否児童の増加 
   という問題があった。』

そして朝日新聞85年12月5日の記事には、
  『班競争の場合、全生研では成績の悪い班をボロ班、ビリ班と呼んで生徒の
   奮起を促してきたが、いまはこれがイジメの材料になる現実がある。
   班競争はゆるやかに形にして、悪い班を学級全員で応援、連帯を育てる
   ようにして下さい。』
と載った。

暴力やイジメ、登校拒否といったことが表面化し、家庭における教育と学校に
おいての教育スタイルが少しずつ変化していくのがわかる。

先に僕らの頃は、“ボロ班”という言葉を使ったことはないと思うと書いたが、
こういう背景があったのかも知れない。

著者が体験したような“滝山コミューン”を僕自身体験したかどうかは分からない。
ひょっとしたら違う形での“滝山コミューン”を経験したかも知れない。
いろいろ考えると、70年代のほんのわずかな時期に“滝山コミューン”が確立され
たのは、奇跡のように思えなくもない。
あらゆる条件がドンピシャのタイミングで合ったからだろう。

著者は私立中学に進学したため、東久留米の公立中学には進んでいない。
ましてや中学に入学した年には滝山団地から引越したためその後の滝山のことは
分からないというのは残念だ。

本書『滝山コミューン1974』について、アマゾンのレビューに実際の7小出身の方の
ものがあった。とても興味深かったので原文から引用させてもらった。

  『尚、この話はというか、7小の話は続きがあって 中学校にも飛びひしてます。
   著者は私立中学に進学されて 実体験がないようですが、当時の実態は7小に
   とどまらず 団地内の私塾や、滝山近隣の中学校に「拡大再生産」してます。
   個人的にはそっちのほうがよっぽどトラウマですわ。』

30件近いレビューがあるということはそれだけ本書に対する意見があるということ
で、興味のある方にはそちらの方も合わせて読んで頂ければと思う。



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