日々是愉快♪

笑いながら愉快に生きていけたらいいなぁ~

『滝山コミューン1974』 その11

2010年07月17日 | Weblog
7小の行事と関わりを持ちながら四谷大塚に通う原少年。
片山先生の教育方針に疑問を持ちながらの日々が続いたようだ。

同じ場所で幼年期を過ごしたということもあって、文中での出来事が自分の時とかなり
オーバーラップした。

僕は9小卒業ということは先にも書いたが、7小の校歌が出てきた時は9小の校歌を
思い出し、思わず口ずさんで1番だけなら完璧に唄えるということが分かった。
卒業した中学や高校、大学などの校歌は覚えていないのに、やはり6年間唄い続けた
ということが頭の片隅にインプットされていたのだろうか。

学校の委員長を決める“立会い演説会”も「そう言えば、そんなこともあったなぁ〜。」と
思い出した。
ただ、著者のように立候補者がどんなことを演説したとかそういうことは全く覚えていない。
誰がどんな発言をしたとか、誰が委員長になったとか細かく覚えている著者の記憶力には
脱帽の限りだ。

“立会い演説会”で唯一覚えていることと言えば、こんなエピソードだ。
小6の時に同じクラスだったO君が周りからプッシュされて嫌々立候補した。
立候補者は自分の名前を選挙の演説カーにあるような自分の名前が大きく書いてある
垂れ幕を習字で書くことになっていたのだ。
けれどO君はとてもいい加減な奴で、立会い演説会直前まで案の定書いていなかった。
「今からじゃ間に合わないから、書道教室に頼んでみたら?」という話になったんだと思う。
学校から少し離れた所に書道教室があったのだ。
そうしたら給食の終わった昼休みの間に抜け出して、本当に書いてもらったのだった。
立候補者全員の大きな名前が体育館壇上の後ろに貼ってある中で、とびきり上手に書いて
あるのがO君のだった。
先生たちでもあそこまで上手く書けないような名前が光り輝いていたのを思い出す。

“林間学校”も本書を読まなければ永遠に思い出さなかったかも知れない。
けど懐かしく思い出した。
東久留米市は長野県の蓼科山に「たてしな荘」というのを持っていて、東久留米市の小学校
はいずれもここを利用していたと思う。
「たてしな荘」・・・、本当に懐かしい響きだ。
そして白樺湖に車山・・・。
日程がギッシリでバタバタした旅行だった。

確か白樺湖で昼食の弁当を食べて、その弁当箱をお土産屋のゴミ箱に捨てて先生にひどく
叱られて「たてしな荘」の食堂で1時間以上正座されられたのを思い出した。
他のクラスにも何人かいて、班単位で捨ててしまった人たちや個人的に捨ててしまった人たち
全員での正座だった。

この時そんなに苦痛じゃなかったのは、お気に入りの女の子もその中にいて
「な〜んだ一緒じゃんか、気が合うね」みたいに思ったかどうかは忘れたけど、そんなこともあった。
けど、その光景ははっきり思い出せない。

「たてしな荘」の長い廊下、そして長細い部屋、大きなお風呂にみんなで入ったのは思い出せる。

クラスでたった1人T君だけがずっとお風呂で股間をタオルで隠している。
みんなからヤンヤヤンヤの総攻撃を受け、そうしたら先生が「T!恥ずかしがるんじゃない、
別に恥ずかしいことじゃないんだぞ」と言った。
T君がタオルをとった瞬間のみんなの何とも言えないような盛り上がりを思い出す。

確かに恥ずかしいことじゃないのかも知れないが、みんなとちょっと成長が早かったばかりに、
彼はこの林間学校のお風呂がきっかけでその後なにかとそのことでいじられるようになって
しまったのは可哀想だったと思う。

著者は、
  『夏休みが終わっても、林間学校の記憶はなかなか消え去らなかった。
   写真を見るまでもなく、その記憶は脳裏に焼き付いたまま、離れることはなかった。
   そう、30年あまりたったいまもー。』

と書いている。
僕とは正反対だ。
僕なんかは記憶の遥か彼方へ飛んで行ってしまってたぐらいだ。
本書を読まなければ、「たてしな荘」のことは永遠に思い出さなかっただろう。

その「たてしな荘」は2003年に残念ながら利用者数の激減、そして老朽化により解体され
無くなってしまったそうだ。



最新の画像もっと見る