5月30日(月) 32/13℃
ディスクトップの写真を変えてみました
石造物3体・・・
先日、山間集落への散歩で出会いました
で
右の石仏は?
(仏像は詳しくはありませんが・・・)
4本の腕が顕わですから、青面金剛像(しょうめんこんごう)でしょうね
ネットであたると
――身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。 (後略)
真ん中は道祖神でしょうか・・・
(それとも、庚申塔・・・)
で
左は馬頭観音像 ?
道脇に多く見られます
次回は、もっと観察です
それにしても、あの集落には石造物がいっぱい・・・
歴史の深さを感じます
これは、どうなんでしょう?
対いじめの効果はありそうですが、子どもの無邪気な関係は失われるようにも思えます
何しろjiiji たちは「呼び捨て」や「あだ名」も あ・た・り・ま・え・だ の中で育ってきましたから・・・
通常的には「〇〇ちゃん」でした
《「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる》 (5月28日読売新聞オンライン)
「・・・クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに、「さん付け」するように指導する小学校が増えている。身体的特徴を揶揄(やゆ)するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだ」
中学のT君はもっぱら「べっつあん」でした
なぜか?
思うにそれは、「おいべっさん」からでしょうね
顔の風貌が、恵比寿さまに似ていたと思います
もう病で旅立ちましたが、笑顔の絶えない、ひょうきんだったT君を思い出します
jiiji ?
もっぱらは〇〇ちゃんー-でしたが、仲間内では「チャカ」
その意味も、理由もわかりません
いつもちゃかちゃかしていたから?
それとも、チャカー-と光るものがあった
後者でありたいですね
昨日は一日、孫たちとおつきあい
市の博物館は、小4の〇〇ちゃんの「プラネタリウム」希望です
その場所は、川中島の古戦場・・・
最大の激戦「八幡原の戦い」があったところです
(有名な、軍師山本勘助の「キツツキ戦法」です)
信玄・謙信の一騎打ちのブロンズ像を見たのは、久しぶり
5度も戦われた「川中島合戦」です
稀にみる戦国ドラマが展開されたわけですが、その壮大さに比べて、アピールに物足りなさを感じてしまいます
ところで、この「川中島合戦」・・・
武田信玄と上杉謙信の戦国両雄の戦いですが、jiiji は謙信派
信濃に甲斐の武田信玄が侵攻(進出=侵略)してきて、追われた北信濃の武士団が越後の上杉謙信に支援を請い、義をもってそれに応えた謙信ー-という構図です
(まぁ、越後の防衛でもありましたが・・・)
で
この戦いとわが故郷の地の関わり・・・
戦史にはまったく現れてきませんが、犀川と千曲川が合流する河東は主戦場に連続しています
どんなことがあったか?
目下の関心です
午後は、広域連合の温水プール・・・
2歳の〇〇ちゃんも初の水着で、水遊びにご機嫌でした
この一帯・・・
ごみ焼却炉は4代目となりますが、よく整備されています
受け入れていただいた地元の皆さんに感謝、です
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