地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

受け入れていただいた地元の皆さんに感謝、です

2022-05-30 | Weblog

5月30日(月)                     32/13℃

 

 

 

ディスクトップの写真を変えてみました

石造物3体・・・

先日、山間集落への散歩で出会いました

 

右の石仏は?

(仏像は詳しくはありませんが・・・)

4本の腕が顕わですから、青面金剛像(しょうめんこんごう)でしょうね

ネットであたると

――身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。 (後略)

 

真ん中は道祖神でしょうか・・・

(それとも、庚申塔・・・)

左は馬頭観音像

道脇に多く見られます

次回は、もっと観察です

 

それにしても、あの集落には石造物がいっぱい・・・

歴史の深さを感じます

 

 

 

 

 

これは、どうなんでしょう?

対いじめの効果はありそうですが、子どもの無邪気な関係は失われるようにも思えます

何しろjiiji たちは「呼び捨て」や「あだ名」も あ・た・り・ま・え・だ の中で育ってきましたから・・・

通常的には「〇〇ちゃん」でした

 

《「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる》   (5月28日読売新聞オンライン)

「・・・クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに、「さん付け」するように指導する小学校が増えている。身体的特徴を揶揄(やゆ)するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだ」

 

 

中学のT君はもっぱら「べっつあん」でした

なぜか?

思うにそれは、「おいべっさん」からでしょうね 

顔の風貌が、恵比寿さまに似ていたと思います

もう病で旅立ちましたが、笑顔の絶えない、ひょうきんだったT君を思い出します

 

jiiji ?

もっぱらは〇〇ちゃんー-でしたが、仲間内では「チャカ」 

その意味も、理由もわかりません

いつもちゃかちゃかしていたから?

それとも、チャカー-と光るものがあった 

後者でありたいですね

 

 

 

 

昨日は一日、孫たちとおつきあい 

市の博物館は、小4の〇〇ちゃんの「プラネタリウム」希望です

その場所は、川中島の古戦場・・・

最大の激戦「八幡原の戦い」があったところです

 

 

(有名な、軍師山本勘助の「キツツキ戦法」です)

 

信玄・謙信の一騎打ちのブロンズ像を見たのは、久しぶり 

5度も戦われた「川中島合戦」です

稀にみる戦国ドラマが展開されたわけですが、その壮大さに比べて、アピールに物足りなさを感じてしまいます

 

 

 

 

ところで、この「川中島合戦」・・・

武田信玄と上杉謙信の戦国両雄の戦いですが、jiiji は謙信派 

 

 

 

信濃に甲斐の武田信玄が侵攻(進出=侵略)してきて、追われた北信濃の武士団が越後の上杉謙信に支援を請い、義をもってそれに応えた謙信ー-という構図です

(まぁ、越後の防衛でもありましたが・・・)

この戦いとわが故郷の地の関わり・・・

戦史にはまったく現れてきませんが、犀川と千曲川が合流する河東は主戦場に連続しています

 どんなことがあったか?

目下の関心です

 

 

 

 

 

午後は、広域連合の温水プール・・・

2歳の〇〇ちゃんも初の水着で、水遊びにご機嫌でした

この一帯・・・

ごみ焼却炉は4代目となりますが、よく整備されています

受け入れていただいた地元の皆さんに感謝、です

 

 

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