地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

あの「栄ちゃん」もやってきた松代群発地震――

2022-05-24 | この「地区」のこと

5月24日(火)                       26/10℃

 

 

昨日(23日)のYAHOO!JAPANニュースで、二人の大女優にお会いできました

 

《岸惠子「いまを一生懸命生きるだけ」90歳で迎えるトークショーで伝えたいこと》 (5月23日フジテレビュー!!)

 

《「小池栄子さんの政子、素敵です」 “先輩” 岩下志麻が語る「鎌倉殿の13人」〈週刊朝日〉》 (5月23日AERAdot.)

 

 

岸恵子さん、89歳 

岩下志麻さん、81歳 

年齢を感じさせない美貌若さです

 

 

岸さんが、この地でロケがおこなわれた松竹/木下恵介監督の『風花』に主演したのは昭和34年(1959)のこと・・・

翌年公開の木下監督『笛吹川』では、甲斐の貧しい農民一家の娘役で、岩下さんがこの地に見えています

まだ18歳?

そんな頃です

 

(笛吹川に見立てた千曲川の「関崎橋」・・・)

 

新型コロナで2年も延期となっている、歴史グループの昭和の『企画展』・・・

この地にまつわる「集団学童疎開」と「木下ロケ」の二題を予定しています

今年こそ実現させたいものです

 

 

 

 

昭和といえば、続刊が決まった共同自費出版『昭和の記録 私の思い出』・・・

再び参加することにしました

何を?

戦後派ですから、辛い、悲しい、戦争の思い出はありません

そこで

あの「栄ちゃん」もやってきた松代群発地震――が浮かびました

時の佐藤栄作首相は、ここの小学校グランドで児童たちを激励!!

瀬戸山建設大臣も、成田社会党書記長も、参院の委員会の面々も続々と・・・

NHKも、アーム付の中継車を持ち込んで実況中継したことを覚えています

それこそ、歴史に残る一大事件でした

 

 

より「自分史」となる、中国石家荘市への友好訪問のことにしました

20人の訪問団の、一人として参加しました

昭和57年(1982)のことです

国交を回復して、日中共同声明が発表されて、友好ムードに沸いたあの頃が懐かしく思い出されます

(どうして今みたいになってしまったんでしょう?!)

 

 

担当の19編(19人)の原稿はまとまり、すでに編集のKさんに提出しています

お聞きすれば、初刊より参加者が増えて140人近くになるそうです

「年末までには出したいのですが・・・」

Kさんは大変なご苦労です、出版が待たれます

 

 

 

 

好きな番組の一つがNHKの『ファミリーヒストリー』・・・

毎回、その取材努力に驚かされます

父とその父母(祖父母)ー

母とその父母(祖父母)ー

そこからさらに、8人の曽祖父母ー

16人の高祖父母ー---

 

 

 

☟ この番組はまだ(録画)観ていません

さっそく・・・

 

《<高島礼子>近所で評判だった母 少女時代の写真に驚き 「ファミリーヒストリー」で個性の強い先祖次々》

   (5月23日MANTANWEB)

「・・・「先祖はもちろん、両親のこともほとんど知らない」という高島さんだが、両親はともに茨城の出身で、取材の結果、道楽者や勝負師、親分肌など個性の強い先祖たちの存在が次々に明らかになる」

 

 

 

わが家・・・

“絵になる”  祖先はいないでしょう

とにかく

母方は、祖父母も含めてまったく知りません

父方も、高祖父母以前のことはほとんどわかりません

 

(この写真も祖母=右後、の他は誰かわかりません)

 

それでも僅か残っている書付類などで、少しは解明できました

子や孫たちに伝えていきたいと思っています

 

(この道中記録は曽祖父か?高祖父か?)

 

☟ 今では、jiiji しかわからない貴重な写真です

前住地のわが家・・・

ここで先祖は住んでいました

 

 

「本籍地は、変更するなよ!」

息子に言っています

現住所は替わっていっても、本籍地はルーツの証・・・

残していってほしいものです

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