LOVEで、ROCKで、SPIRITUALな詩人バッティの、今日の心の現像。
(Twitter→jakoushee)
バッティの☆作業日誌☆in 青森
いやー、久しぶりにsuno先輩とセッションしたっす。今回、なんかかわいいっす(笑。
いやー、
ぶりひさにsuno先輩とセッションしたら
前回が、『ホワメリ』だったんだなあ。
作ったことさえ忘れてたw
で、今回は一度自分で作ったけど
リメイクしなくちゃと思いながら
放置していた曲をやってもらった。
Funkでいまいちだったんで
hiphopにしてみたら、
なんかかわいいっす。
ま、かわいいから許す(笑。
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よっしゃあっっっっ、逆算方式、実践してみたっすっっっ(笑。
やってみたよ、
「即ち・・・真の小説的要素を犠牲」のところを
「即ち・・・真の小説的要素を犠牲」のところを
自分にあてはめて
グダグダしたリズム詩しか書けないことを
グダグダしたリズム詩しか書けないことを
四つぐらいの要素で書いてみたら、
こうなった。
「つまり、この詩人は平穏を生きるという
潮に満ちた海によって孤絶した岬における絶唱、
遠く隔たっていて呼応しないように思われる
二つの事物の接合による秀逸な比喩、
どこまでも自己の思想を貫くことによって迎える
社会的困難の体験、
簡潔と鋭利とで構築される叙情といった、
真の詩的要素を
整然として亡失していくということになったのである。」
どーよこれ。
「簡潔と鋭利とで構築される叙情」のところは
似てたね。
それでいいんかいっっっっっ(笑。
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えっ、「客観的認識」は「趣味性の条件」なんすか?(笑。
小説の文体を学ぶために
三島由紀夫『禁色』の文を書き直す練習をしてみた。
が、理解不能な一文と出会い、止まってしまったw
ここは、主人公である俊輔が
趣味というほどのものがないのは、
客観性にかけるからで
そのことが作品にメリットデメリットをもたらしたという部分。
ここ、さ、
逆算してたどりついたんじゃないかな。
小説の華である
衝突、相剋、劇的要素がない小説という
デメリットからもどってきて
新鮮味とみずみずしさというメリットになって
「不手際な痙攣的な関係」という詩的な表現に言い換えられ
客観性の欠如というもので
ぐだぐだと時間を費やす態度とが溶接されたんじゃないかな。
フツー、われわれは
小説は書き足されていくと考えるが
三島さんという方は
着地点を決めて、そこにたどりつくまでの間を
渓流のようにくねくねと蛇行させながら
つないでいくという考えをなさっているのではないだろうか。
ただ、たんに物語のプロットというだけでなく、
その発想方法が
ひとつの段落の開始と終着においても
実践されているのではなかろうか。
ふーむ、
オレにはできん。
書いてみないとわからないものを
書き始めるのがすきだからな、
この文みたいに(笑。
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