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原罪はない,なぜならば神こそがわれわれに磔になってらっしゃるからだ(笑2。

「マシューブック」シリーズを読んでいると,
さまざまな宇宙人が出てきたり,神がでてきたりと,

バラエティに富んでいて楽しいが,
そのなかで,一番明確な定義がなされていて,

常識と違っているのが
創造主と神の区分なんだよね。

違うらしいよー(笑。
創造主という方は,大宇宙(コスモス)をお造りになった方。

神は,大宇宙の中の小宇宙(ユニバース)を統治なさっている方。
われわれの宇宙には,われわれの神がいらっしゃるのだが,

その至高の存在である神にして,
創造主がお作りになった,自由意志に干渉してはならないというルールは破れないらしい。

このことは非常に納得できる。
神は,生命の火花として,人間に内在なさっていて,

われわれ人間の喜怒哀楽と思考すべてを同時に体験なさるがゆえに,
われわれ人間のきたならしさもみすぼらしさもまた同時に体験なさる。

イエス・キリストが磔になって,
アダムとイブの原罪を祓ってくださったという教えもあるが,

そのために頭を垂れて生きなければならない人間という存在を
神はお造りになりたかったのだろうか。

いやいやいや,納得できません(笑。
それなら最初から原罪を犯さない仕様で工場出荷していただかないと。

原罪とその祓いとは,取引である。
神は歓びである。

全知,遍在,歓喜であると,ヴェーダンタもいう。
原罪はない,ありえない,

むしろ,こういうべきである,
神がわれわれのうちにお住みになっていることに気づかずに生きていることが,

神をわれわれの虚飾と歓宴にひきずりまわしていることが罪である。
だが,神はそれを罪と糾弾することもなく,

黙ったまま,われわれの泥をかぶりつづけていらっしゃる。
神こそがわれわれに磔になっているのであるよ,諸君。

われわれこそが神をなぶりつづけているのであるよ,諸君。
あー,すみません,すみません(笑。

申し訳なくて,泣けてきます。
え゛ーーーーーーーん(笑。
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原罪はない,なぜならば神こそがわれわれに磔になってらっしゃるからだ(笑1。

イエスというかたは素晴らしい方だと思うが,
キリスト教は,ちょっと謎な教えをふくんでいると思うよー。

そもそも人間は,神から造られたとしているが,
もちろん神がお造りになったにきまっているのだが,

われわれがいま生きているいのちというものの由来がはっきりしない。
いのちはかつてつくられて,そのまま動き続けているのだろうか。

いのちそのものの力によって,動きつづけていられるのだろうか。
神が息をふきかけつづけていらっしゃるからこそ,

われわれのいのちはつづいているのではないだろうか。
われわれはこの瞬間瞬間に,

神からの息を吸い続けて生きているのではないだろうか。
風であり,息であり,霊であるプネウマとは

そういうことを指し示しているのではないだろうか。
神と息の交歓をしていられること,

それが身体として生きていることの歓びではないだろうか。
でね,原罪のことなんだけど。

それはね,「マシューブック3」で,
神が(笑,

直接,お話しになっていることと関係している。
ああ,だけど長くなっちゃうなあー。

続きだ(笑。
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