京都御所へ行った帰り、近くに晴明神社があるというので立寄ってみました。ここは勿論安倍晴明(あべのせいめい・はれあきら)を祀った神社で、晴明の邸があったところです。境内にはその像があり、本殿の北には晴明井と呼ばれる井戸があります。晴明紋を施した井戸からは水が湧き出ており、洛中名水の一つとして諸病平癒の信仰が篤いのだそうです。千利休もこの水で茶会を催し、秀吉にもその茶を振舞ったとか。利休終焉の地とされているのも、どこか感慨深いものがありますね。
晴明神社
晴明井
安倍晴明はいうまでもなく陰陽師ですけれど、陰陽師というのは陰陽寮に勤めるお役人です。陰陽寮は何をするところかというと、『大宝令(たいほうりょう)』によれば、「天文、暦数、風雲気色に異あらば、密封して奏聞する事を掌る」とあります。つまり天文に異変があった時、密かに奏聞したんですね。これは主に頭(かみ)の役目ですけれど、他にも暦を作ったり吉凶を占うことがあったようです。
晴明は頭にはなれませんでしたけれど、占いで認められ、天文博士になりました。花山天皇や一条天皇、藤原道長の信頼を得、陰陽師としての名声を高めた晴明は、死後神秘化されて多くの伝説を生みました。
安倍晴明公像
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の中には晴明に関する説話が何篇か収録されています。この中では陰陽師の命によって不思議な術を行う神、式神(識神・しきじん)が登場します。例えば『宇治拾遺物語』の「晴明、蔵人(くろうど)の少将封ずる事」では、蔵人の少将に烏が穢土(えど・糞)をしかけます。これを見た晴明が烏を式神と見抜き、一晩中加持祈祷した結果、少将は難を免れたというお話です。この場合の式神は悪さを仕掛けた陰陽師の使う式神ですが、晴明自身も式神を使っています。
どちらの説話にも登場する有名な話で、「晴明、蛙を殺す事」というのがあります。ある時晴明は広沢の僧正の御坊に行き、そこにいた若い僧たちに「あなたは式神を使われるそうですが、忽ちにして人を殺すことはできましょうか」と尋ねられます。晴明は「虫などでしたらちょっとしたことで殺せますが、生かす方法を知らないので、罪つくりなことはしない方がよいでしょう」と断ります。しかし晴明を試そうとする執拗な僧たち。そこへ蛙が五、六匹、跳ねながら池の方へ行くのを見て、「あれを一つ殺してみてください」と言われます。晴明は仕方なく草の葉を摘み、何か唱えながら蛙の方へ投げると、草の葉は蛙の上にかかり、蛙は真平にひしげて死んでしまったというお話です。
このあと、「人のいない時には式神を使っていたのだろうか。人もいないのに蔀戸(しとみど)を上げ下したり、門を閉めたりすることがあった」という余談があります。これほどの伝説を生んだ晴明はやはりすごい人だったのでしょうね。晴明以後、陰陽寮では重要な役職を安倍氏と賀茂氏で独占するようになりました。そして明治になるまで陰陽寮は続くのです。現在は小説などでブームにもなり、晴明神社には若い女性たちが引きも切らず足を運んでいます。
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安倍晴明はいうまでもなく陰陽師ですけれど、陰陽師というのは陰陽寮に勤めるお役人です。陰陽寮は何をするところかというと、『大宝令(たいほうりょう)』によれば、「天文、暦数、風雲気色に異あらば、密封して奏聞する事を掌る」とあります。つまり天文に異変があった時、密かに奏聞したんですね。これは主に頭(かみ)の役目ですけれど、他にも暦を作ったり吉凶を占うことがあったようです。
晴明は頭にはなれませんでしたけれど、占いで認められ、天文博士になりました。花山天皇や一条天皇、藤原道長の信頼を得、陰陽師としての名声を高めた晴明は、死後神秘化されて多くの伝説を生みました。

『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の中には晴明に関する説話が何篇か収録されています。この中では陰陽師の命によって不思議な術を行う神、式神(識神・しきじん)が登場します。例えば『宇治拾遺物語』の「晴明、蔵人(くろうど)の少将封ずる事」では、蔵人の少将に烏が穢土(えど・糞)をしかけます。これを見た晴明が烏を式神と見抜き、一晩中加持祈祷した結果、少将は難を免れたというお話です。この場合の式神は悪さを仕掛けた陰陽師の使う式神ですが、晴明自身も式神を使っています。
どちらの説話にも登場する有名な話で、「晴明、蛙を殺す事」というのがあります。ある時晴明は広沢の僧正の御坊に行き、そこにいた若い僧たちに「あなたは式神を使われるそうですが、忽ちにして人を殺すことはできましょうか」と尋ねられます。晴明は「虫などでしたらちょっとしたことで殺せますが、生かす方法を知らないので、罪つくりなことはしない方がよいでしょう」と断ります。しかし晴明を試そうとする執拗な僧たち。そこへ蛙が五、六匹、跳ねながら池の方へ行くのを見て、「あれを一つ殺してみてください」と言われます。晴明は仕方なく草の葉を摘み、何か唱えながら蛙の方へ投げると、草の葉は蛙の上にかかり、蛙は真平にひしげて死んでしまったというお話です。
このあと、「人のいない時には式神を使っていたのだろうか。人もいないのに蔀戸(しとみど)を上げ下したり、門を閉めたりすることがあった」という余談があります。これほどの伝説を生んだ晴明はやはりすごい人だったのでしょうね。晴明以後、陰陽寮では重要な役職を安倍氏と賀茂氏で独占するようになりました。そして明治になるまで陰陽寮は続くのです。現在は小説などでブームにもなり、晴明神社には若い女性たちが引きも切らず足を運んでいます。

