The sky is the limit.

志を持ち、夢を追え。

来月から自分の場所で

2009-07-31 18:59:02 | 読書
めっちゃブログ書いたのにアップしたらバグってキレイに消えてしまった…。
もういいや( ̄‥ ̄)=3 フン
「空海の風景」読了とだけ書いておこうット。

次はコレ↓桑原武夫賞を受賞されたと言う事で久々の茂木さん。
茂木さんの視点はいつも深奥で熱い。
タイミング的に今の自分の状況にフィットするタイトルだな、なんか。


今、ここからすべての場所へ
茂木健一郎
筑摩書房

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久闊を叙す

2009-07-30 18:39:00 | 日々雑感
5年ぶり位に知人との連絡を得た。
以前の勤め先の後輩で、九州男児、表面柔和だけれども、芯は強情であった記憶がある。
てっきり博多か東京で働いていると思っていたのだけど、
以外にも名古屋にて某アパレル会社のMDをされているとの事。
そんなに遠くない距離なので近いうちに名古屋にて再会を期す予定。
5年経てば人は変わると中島みゆきも唄っていたけれども、どうなのか?
メールの感じでは相変らず元気で明るい様子で、今から楽しみである。
おじさんはあの頃と比べると若干太ったけれども、
昔より笑うようになったヨ、エヘンエヘン。

夫子独白

2009-07-29 18:36:02 | 日々雑感
生存本能(意欲?)が何かの原因で低下すると、
自然な事で行動力も好奇心も探究心も低下する。
視野も狭くなり目先の事のみに思考も行動も終止する。
悪い環境に身を置くとそういうことになる。
危険な兆候といえるのだけど、長くそういう環境に身を置くと恐いものでそれが当り前、
常態だと錯覚してしまう。それを平和ボケとも言う(かもしれない)。
ともかく、その辺りの生存に関る感度は高くしておいて、
早期にその原因を判明させて悪い因子の除去を行わないと、
生活鮮度が落ちて人生そのものが居着いてしまう。
と、いうことを最近自分に言い聞かせる。
ヤレヤレ ┐(´ー`)┌ マイッタネ

右往左往

2009-07-28 18:44:52 | 日々雑感
読み応えがあるのとクルマ通勤と休日の為に読むペースが落ち気味。
何とか下巻に突入。
僧侶というと淡白で清いイメージを、持つとは無しに持っていたけれども、
やはり同じ人間であって、同じような煩悩に右往左往している様子。
(空海のような偉人は別として)。
案外この何となくなイメージや思い込みみたいなものが曲者で、
自分では気付かずにそれを行動基準にして日常を送っているような気がする。
読書はそういう色眼鏡を一枚一枚はがしていく作業をも担っている、
ということも最近にして意識に上ってきた。
知識を学び取る事よりもそういう気付きを得る事の方が優先事項なのではと思う。

空海の風景〈下〉 (中公文庫)
司馬 遼太郎
中央公論社

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コケにしなさい

2009-07-26 10:27:38 | 日々雑感
昨日海水浴でお疲れだったけれども、
魚のえさの藻や苔を取りに槇尾川へお出かけ(買出しも兼ねて)。
ヨシノノボリ(ハゼの仲間)の食欲が旺盛で、
飼い始めて2週間で10尾以上いたメダカが食べられて6尾に減ってしまった。
主食は藻や苔類なんだけど、雑食なので不足をメダカで補ったらしい。
今回はたらふく苔つきの岩を仕入れてきたので、ご満足いただけるかと思われる。
メダガも見る見る大きく育ってきており、
ひょっとメダカじゃなくてハヤなんじゃないかと最近思っている。

広川

2009-07-25 22:50:09 | 家族のコト
お昼前から海水浴に出発。
出発と同時に豪雨に見舞われ、はたして泳げるのか、
ただのドライブになるのかと思いながら阪和道をひたすら南下。
吉備のSAで休憩して少し走り広川ICで降りる。
広川出身の国会議員さんが作ったICらしく、
無駄なICと最近の新聞記事で評価されていた。
確かに降りる人も降りたところもこれと言って何も無いところ。
反面、海水浴客の少ない穴場とはなっている。
到着した頃には曇りながらも雨が上がっていたので、ドライブにならずに済んだ。
時々小降りにはなるものの、
一度濡れてしまえば一緒なので少々の天候変化は問題なし。
着いた時がちょうど干潮で、遠浅の渚は300m程の奥行きの干潟になっていた。
砂浜全部が蟹穴だらけで、歩いていたら小さな蟹ぐらい踏みそうなほどで、
子供たちは喜んで蟹をいじめていた(残酷)。
蟹と小魚(群れで黒くなって波打ち際近くを泳いでいた)で、
虫かごがあっという間に満タンになった。
水温が低く泳ぐには至らなかったけれど、良い自然観察、体験になった。


天神祭り

2009-07-23 12:35:34 | 日々雑感
週末が天神祭りの本宮で、大川沿いの社窓からその準備の様子が伺える。
昨日は消防車が8台ほど橋上に出動して何事か準備していた様子。
天神祭りは大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より、
始まったとされている、らしい。
1000年以上も続いているんだね、たいしたもんだ。
今から17,8年以上も前にバイト先の仲間と仕事帰りに天神祭りを見に行った記憶がある。
純良な青年だったので、バイト先の女の子が一緒というだけで嬉しかったりしたもんだ。
(あの頃の皆はどうしているのだろう?)
人込みでロクに船渡御などは見れなかったけれども、
花火を間近で見たことと、雑踏の熱気に巻かれてユラユラ歩いていた記憶はある。
最近は人込みが嫌いでロクにお祭りどころか街中にも出かけることが余りなく、
年相応に昔よりは穏やかにシンプルに暮らしているような気がする。
今の私にとっての「お祭り」は、
そういう過去から現在の時の流れを思い起こさせる契機として存在しているようだ。
あぁなんだかおじさん臭い文章になってしまった。


文武の武を文で読む分には

2009-07-17 18:47:42 | 読書
あまり経験値のない分野の本。
でもそれはあまり関係ない(読書中毒だし)。
書き手が伝えたい事があるとすると、それを読み手がどのように受け取るかは、
読者の視点、考え方、思想などに寄ると思う。
どうせ自分の目には外しがたいウロコが入っているから、
どんな本からも学べる摂取量や質には限界がある。
ならば選ばず貪欲に読み漁るほうが良いようにも思う。
選ばずといったところで限られた視野なので、結果は選んだようになっているしね。




武術の新・人間学―温故知新の身体論 (PHP文庫)
甲野 善紀
PHP研究所

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立眩む

2009-07-17 12:29:38 | 日々雑感
共働きなので、子供は夜まで放置に近い。
申し訳ないけど仕方が無い。
なるべくどちらかが早く帰宅するように心掛けているのだけど、
どうにもならないときもある。
タフな子供達は親が帰ってくるまで遊び呆けて宿題や片付けをしない。
仕事から帰ってから宿題をどちらかが見て、どちらかが炊事をする。
なんだかんだでいつも晩ご飯が10時近くになる
(隣家からは食べ終わった食器を洗っている音が聞こえる(=xェx=) )。
生活をさせてあげる事で一杯一杯な平日だ。
もう少し子供の話を聞いて上げれたらいいのだけど。
(そうこうしているうちに反抗期に入ってあちらから会話を断つのだろうネ)。
┐(-。ー;)┌ヤレヤレ、昨晩は立ち眩みがヒドカッタよ。

リーダーシップ?

2009-07-16 12:37:24 | 日々雑感
とある人が「リーダーシップ」について興味深い考えを展開していたので、、
まんま転載(本人が転載okと公言しているので問題ないよね)。
なるほど、う~んと言う感じ。
↓↓
「リーダーシップについて」
私は日本の集団には「リーダーシップ」などというものは要らないという説である。
というか、そもそもリーダーを育成するシステムを持っていない。
システムがないのだから、育ちようがない。
リーダーを制度的に育成するなら、社会を階層化するしかない。
上位階層の子どもたちに幼児期から集中的に
「ノブレス・オブリージュ」という考え方を叩き込む。
そして、集団の利益をあまりに深く内面化させたために、
公益と背馳する自己利益の追求ということそのものが「できない」体質の異常な個体を作り出す。
とりあえず、イギリスではそういうふうにやってきた。
フランスでも、アメリカでも基本的には同じである。
「心の欲するところに従って矩を超えず」という言葉があるが、
要するに「自分がしたい」ことと「国家がしたいこと」が合致するというのが
その語の厳密な意味でのリーダーである。
だから、「私腹を肥やすリーダー」とか、「不人気なリーダー」とか、「反対者を代表できないリーダー」というのは、
それ自体ですでに形容矛盾なのである。
日本ではせいぜい「滅私奉公」である。
しかし、滅ぼさないと生き延びようとじたばたするような「私」があるうちはリーダーとは言われない。
その代わりに、わが国では、「リーダー抜きでも機能する組織」を創り上げた。
公人たちがみんなで私利私欲・地域エゴ・省益・業界益を追求していても、
それらが相殺し合って、「おとしどころ」がなんとなく見つかる
・・・という世界に類例を見ないリファインされた制度を作り出した。
それでいいじゃないか、というのが私の考えである。
なにしろ総理大臣が次々と政権を放り出しても、別に誰も文句を言わないし、
政府機能に特段の支障が出ないような国なのである。
政治的業績のほとんどない知事が総裁になりたいと言い出しても、
政権与党が「まじめに検討」するくらいに
「リーダーなんか誰でもいい」という了解は広くゆきわたっているのである。
そもそも今さらのように「どういうリーダーが望ましいのか?」
という問いが成立するということ自体、
私たちが「リーダー」というものについて一度もまじめに考えたことのない証拠である。
ふつうの組織人はせいぜい「どういう上司が望ましいか」以上のことを考えたことがない。
それでよろしいのではないかと私は思う。