31日の未明に高知着。
今回は半分嫁さんが運転してくれたので、かなり楽な行程だった。
相変わらず風が強く車が振られることしばしばで、
キャアキャア言いながらハンドルを握っていたけども。
高知の空は冬でも目に沁みる程の鮮やかな青で、
建物も軒並み低い為にずいぶん大きくも感じる。
水もさばさばとして綺麗で、
大阪の濁った水に慣れた魚が清流に急に放たれたような、
なんとなく落ち着かない気持ちになる。
午後から鏡川沿いを軽く走った。
土佐藩主山内容堂の下屋敷跡まで3km弱と、
そこから家内が出た高校のほうへ迂回して帰宅。
約1時間ほどゆっくり走った。
今は余り綺麗ではないけれども、
家々の前に幅120cmほど、深さも1mはあろう大き目の用水路が流れており、
場所により大きな鯉や緋鯉がゆったりと泳いでいた。
今は道路へと舗装され、地下を流されることが多いようだけれども、
昔に家庭用水として使っていたのだろう風情が感じられて、妙に和んだ。
和歌山にも似たような場所があったように思う。
城下町の名残なのだろう。
今回は半分嫁さんが運転してくれたので、かなり楽な行程だった。
相変わらず風が強く車が振られることしばしばで、
キャアキャア言いながらハンドルを握っていたけども。
高知の空は冬でも目に沁みる程の鮮やかな青で、
建物も軒並み低い為にずいぶん大きくも感じる。
水もさばさばとして綺麗で、
大阪の濁った水に慣れた魚が清流に急に放たれたような、
なんとなく落ち着かない気持ちになる。
午後から鏡川沿いを軽く走った。
土佐藩主山内容堂の下屋敷跡まで3km弱と、
そこから家内が出た高校のほうへ迂回して帰宅。
約1時間ほどゆっくり走った。
今は余り綺麗ではないけれども、
家々の前に幅120cmほど、深さも1mはあろう大き目の用水路が流れており、
場所により大きな鯉や緋鯉がゆったりと泳いでいた。
今は道路へと舗装され、地下を流されることが多いようだけれども、
昔に家庭用水として使っていたのだろう風情が感じられて、妙に和んだ。
和歌山にも似たような場所があったように思う。
城下町の名残なのだろう。