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リーダーシップ?

2009-07-16 12:37:24 | 日々雑感
とある人が「リーダーシップ」について興味深い考えを展開していたので、、
まんま転載(本人が転載okと公言しているので問題ないよね)。
なるほど、う~んと言う感じ。
↓↓
「リーダーシップについて」
私は日本の集団には「リーダーシップ」などというものは要らないという説である。
というか、そもそもリーダーを育成するシステムを持っていない。
システムがないのだから、育ちようがない。
リーダーを制度的に育成するなら、社会を階層化するしかない。
上位階層の子どもたちに幼児期から集中的に
「ノブレス・オブリージュ」という考え方を叩き込む。
そして、集団の利益をあまりに深く内面化させたために、
公益と背馳する自己利益の追求ということそのものが「できない」体質の異常な個体を作り出す。
とりあえず、イギリスではそういうふうにやってきた。
フランスでも、アメリカでも基本的には同じである。
「心の欲するところに従って矩を超えず」という言葉があるが、
要するに「自分がしたい」ことと「国家がしたいこと」が合致するというのが
その語の厳密な意味でのリーダーである。
だから、「私腹を肥やすリーダー」とか、「不人気なリーダー」とか、「反対者を代表できないリーダー」というのは、
それ自体ですでに形容矛盾なのである。
日本ではせいぜい「滅私奉公」である。
しかし、滅ぼさないと生き延びようとじたばたするような「私」があるうちはリーダーとは言われない。
その代わりに、わが国では、「リーダー抜きでも機能する組織」を創り上げた。
公人たちがみんなで私利私欲・地域エゴ・省益・業界益を追求していても、
それらが相殺し合って、「おとしどころ」がなんとなく見つかる
・・・という世界に類例を見ないリファインされた制度を作り出した。
それでいいじゃないか、というのが私の考えである。
なにしろ総理大臣が次々と政権を放り出しても、別に誰も文句を言わないし、
政府機能に特段の支障が出ないような国なのである。
政治的業績のほとんどない知事が総裁になりたいと言い出しても、
政権与党が「まじめに検討」するくらいに
「リーダーなんか誰でもいい」という了解は広くゆきわたっているのである。
そもそも今さらのように「どういうリーダーが望ましいのか?」
という問いが成立するということ自体、
私たちが「リーダー」というものについて一度もまじめに考えたことのない証拠である。
ふつうの組織人はせいぜい「どういう上司が望ましいか」以上のことを考えたことがない。
それでよろしいのではないかと私は思う。

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