外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

教室変更、そして次のステップへ

2013年11月01日 | 日記
11月1日(金) 曇りのち雨

今日は珍しくほぼ一日雨でした。
この2ヶ月で傘を差したのは何度だったか、片手でも余るくらいの回数ですね。

以前の学校では我々外教は宿舎から直接教室に向かっていたのですが、この学校では
授業が始まる前に日本語科の事務所へ立ち寄っています。
他の先生方と世間話をしたり、学生から受けた質問について質問されたりといい交流に
なっています。

一昨日の午前中に日本語科の主任の先生に、教室変更が可能かどうかを尋ねました。
2年生の多読という授業、2組とも午後にある上にテキストの内容がつまらないので
何かメディアを使えないものかと考えていたのです。

主任の先生のお話は、学期が始まる前にそういう申請をするのが決まりのため、
学期途中で申請をするのは難しいとのことでした。
「そうですか、では来学期にお願いしますね」・・・なんて私が簡単に引き下がることは
有り得ない(笑)

申請する場所さえ教えてくだされば、私自身が行きますが、いかがでしょう?
教師から直接申請しても構いませんか?

多読の授業で何故にメディアを使うのか?と言った質問もあったのですが
このテキストの内容が2年生には難しいというのは前任の外教からもコメントがあり
さらに、前の学校ではアメリカ人教師は(若い教師が多いので)パワーポイントを使う
教師が多く、パソコンがあるかもしくは自身のパソコンを繋げられるような環境が
望ましいし学校側もそういう施設を全教室に導入すべきだ、という話をしましたら
主任から学部側に申請してみるとのお言葉を頂きました。

そして当日の夜主任からメールが入り、あっさりと了承されたとのこと。
主任ご自身が驚かれておりました。

そして今日パソコンとスクリーンがある教室で授業を行ったのですが、パソコンのOSが
XPでCPUがCore i3。
以前からこうだったのか、CPUだけ入れ替えたのか。
i3の割には動きはかなり鈍かったのですが・・・。

メディアを使う目的は飽きさせないようにビデオを見せるというのもありますが
テキストに付随する音声を数回聴かせることによって、音声を聴く機会を持たせるという
ことが主なもの。
なにせ、聴解の授業やたまに他の先生が音声を流す以外、自ら音声を聴く学生は皆無
なのです。

授業の最後に【宿題】と称して、今日読んだ箇所の音声を最低10回は聴くよう話しました。
「え~10回も!」という驚嘆の声。
10回と言っても、読んだ箇所は1回僅か1分20秒。
ちょっと散歩や買い物に行くついでに携帯でイヤホンを耳に入れれば終わってしまう時間です。
そんなに驚くことではありません。

外国語の学習、とりわけ聴く話すという面では音声をたくさん耳から入れるという作業が
最も近道であることは日本の各語学教材が証明しているところですが、それを推奨する
教師は少ないもしくは限りなくゼロに近いようです。

おそらく、聴く話すの重要性を痛感するのは我々外教だけでしょうね。
中国人の先生は基本的に指示命令は中国語で行いますから、授業という仕事をする上では
何ら支障はないわけです。

私にしても、とにかく音声を聴くことが大切だと分かったのは濰坊での学生の様子と、
自ら中国語を勉強していた頃の経験に基づくものですが、それをハッキリ口にして
学生に呼びかける教師はごく少数なのかもしれません。

少数意見のため、学生に呼びかけても一過性の説教にしか聞こえないのではないかという
葛藤もあるのですが、これについてまた方法を考えていきたいと思います。
コメント
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