星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

前方後円墳に立つ

2006-12-18 | 劇空間
20年前の春、岡山の吉備路を楽しくサイクリング旅行した。
その旅行から帰った2日めの朝コーヒーを入れながらクシャミをした、
次の瞬間、生まれて初めて「魔女の一撃」=ぎっくり腰を経験。
その後の苦痛の日々とともに、私にとっては忘れられない旅である。
世の中楽しいことばかり続くわけではない、という教訓をかみしめた。

日本史の教科書には畿内の古墳しか載っていないが、
日本各地に前方後円墳はある。
宮内庁管轄立ち入り禁止、まるでその秘密を明かせば日本の歴史解釈が変わってしまうことを恐れているのではないかと思わせる大仙陵古墳などと違い、自由に散策できる古墳が吉備路にはある。大きさで全国4番目の造山古墳、9番目の作山古墳、こうもり塚…

田畑の間に、盛り上がった森、それが古墳だった。堀もない。
何の制約もなく自由にその上に登れた。中を覗けた。今はどうか知らないが。

前方後円墳…鍵穴のような変な形である。
なぜ、こんな形をしているのか?
円形部が石棺のある石室である。では方形部分は何の為のものか?不思議だった。

中沢新一さんの著作「三位一体モデル」(HOBONICHI BOOKS)を読んでいたら、前方後円墳=舞台説、が紹介されていた。

♪民俗学者の折口信夫先生によると、天皇とは血統や家柄だけによって持続するものではない、「天皇霊」によって持続するという。大嘗祭(天皇の即位式)では、天皇は胎児のように真床平衾(まどこおふすま)というふとんで覆われた密封空間に入る。そこに、前の天皇の霊がやってきて、新しい天皇の身体にのりうつることで、新天皇が誕生する。その後「みあれ」の儀式が行われる。(「みあれ」というのは「あらわれる」という意味。)人々の前で、天皇霊を身につけた新天皇が出現したことを宣言する儀式である。

前方後円墳は、奥の円形の墳墓に続き、前に大きな方形の舞台がついた構造をしている。ということは、円墳の中に真床平衾を持ち込んで、天皇霊を、先帝の遺体から移し終えた後、新天皇として初めて人々の前に登場する「みあれ」の舞台として前方の方形部がつかわれたのだ。♪といった内容。

思えば、儀式のあるところ、宗教的なものであれ、政治的なものであれ、冠婚葬祭、入卒式であれ、そこは日常とは違う劇空間である。
作・演出・演技者・裏方、そして名もなき見物人(聴衆)、すべて必要とされる。

20年前私は、古代のおおきみが立った同じ場所にたっていたのかもしれない。
あの時、草木の生い茂る丘の上に立って、周辺ののどかにけぶる春の農村風景を見まわしてると、今と古代の中間点に自分がいるような気がした。
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