歯の根っこ曲がっていると言われても
私、根性が曲がっていると言われたことはない。
でも、今日「歯の根っこが曲がっている」と、
マスクで顔を覆った貴一(勝手に名付けた)先生に3回も言われた。
(神経質な貴一先生はよく口を開けてる患者に質問する。答えられませーんってば。)
抜いた歯の根っこは確かに15度くらい曲がっていた。
でも、いつ頃から、何で曲がったんだろう。
…不思議な人体に私がのっかてる気がする。
尼寺へ行けと突然言われても
「Get thee to a nunney, Why wouldst thou be a breeder of sinners ?」
(尼寺へ行け、なぜ罪深き子の母になりたがる?(関口篤訳)
オフィーリアが、ハムレットに言われた言葉である。シェイクスピアの時代、「nunney=尼寺」には「女郎屋」のニュアンスが隠されていた、と最近知った。
(関口篤「シェイクスピア名詩名句100選」(思潮社・詩の森文庫))
…恋人にこんなこと言われた彼女が、精神のバランスを失うのは当然だ。
20年前に、神戸労演で、山本圭さんの「ハムレット」無名塾公演(演出:隆巴)を観た。あの時の真面目に苦悩する山本王子からは、オフィーリアを、母を愛してるがゆえの苦悩みたいなものを感じた。死んでゆくプリンスの悲劇だと思った。
先々週の土曜日、兵庫県立芸術文化センターで、兵庫県立ピッコロ劇団の公演、ワレリー・ベリャコーヴィチの台本演出美術による「ハムレット」を観た。王妃ガートルードに元宝塚の剣幸さんが、墓堀人に万歳一座の内藤裕敬さんが客演していた。それは、全く違うハムレットだった。
「♪ダンダダッ、ダンダダッ」という高圧的な音楽(ヘンデルらしい)が鳴ると、黒白装束の役者達が登場し舞台を練り歩く。場面転換の度に、この大音響が響き渡る。ただ歩くだけでなく、音楽に合わせて、顎をいや頭全体を前にグイグイっと突き出す「馬鹿殿アイーン」のようなパフォーマンス付きだ。
王妃の剣さんの立ち姿は完璧、声もいい。彼女もオフィーリアも、頭グイグイをする。(内藤さん顎だけ)ハムレットは王子に見えない。オフィーリアは、ハムレットに説教する年上女房のようだ。今回のハムレットは、運命にただ翻弄されてるつっぱった若者という感じ。尼寺のセリフも、考えた末に出た言葉ではなく「うるせーんだよ」とばかりつい口から出た戯言、関口氏の解釈があってる気がした。
ここでは、この悲劇は、城内全ての暗雲、終末に向かう王国の悲劇としてえがかれていた。ラスト決闘のシーンは、緊張感があって良かったけど、小道具として剣を使わないから、誰かの「あっ、剣が入れ替わった」という声が入る。
今回の「ハムレット」は、大がかりな音楽と、マトリックスのような大げさな衣装にも関わらず、もしかしたら、「ハムレット」って、シェイクスピアがそんなに力を入れて書いた悲劇ではないのでは?という思いを私に抱かせてしまった。
歯が痛いシェイクスピアが書いた劇
…蜷川幸雄演出、藤原竜也君のハムレットを観たら、きっとシェイクスピア讃歌になったと思う。(見逃したことを悔やんでいる)
私、根性が曲がっていると言われたことはない。
でも、今日「歯の根っこが曲がっている」と、
マスクで顔を覆った貴一(勝手に名付けた)先生に3回も言われた。
(神経質な貴一先生はよく口を開けてる患者に質問する。答えられませーんってば。)
抜いた歯の根っこは確かに15度くらい曲がっていた。
でも、いつ頃から、何で曲がったんだろう。
…不思議な人体に私がのっかてる気がする。
尼寺へ行けと突然言われても
「Get thee to a nunney, Why wouldst thou be a breeder of sinners ?」
(尼寺へ行け、なぜ罪深き子の母になりたがる?(関口篤訳)
オフィーリアが、ハムレットに言われた言葉である。シェイクスピアの時代、「nunney=尼寺」には「女郎屋」のニュアンスが隠されていた、と最近知った。
(関口篤「シェイクスピア名詩名句100選」(思潮社・詩の森文庫))
…恋人にこんなこと言われた彼女が、精神のバランスを失うのは当然だ。
20年前に、神戸労演で、山本圭さんの「ハムレット」無名塾公演(演出:隆巴)を観た。あの時の真面目に苦悩する山本王子からは、オフィーリアを、母を愛してるがゆえの苦悩みたいなものを感じた。死んでゆくプリンスの悲劇だと思った。
先々週の土曜日、兵庫県立芸術文化センターで、兵庫県立ピッコロ劇団の公演、ワレリー・ベリャコーヴィチの台本演出美術による「ハムレット」を観た。王妃ガートルードに元宝塚の剣幸さんが、墓堀人に万歳一座の内藤裕敬さんが客演していた。それは、全く違うハムレットだった。
「♪ダンダダッ、ダンダダッ」という高圧的な音楽(ヘンデルらしい)が鳴ると、黒白装束の役者達が登場し舞台を練り歩く。場面転換の度に、この大音響が響き渡る。ただ歩くだけでなく、音楽に合わせて、顎をいや頭全体を前にグイグイっと突き出す「馬鹿殿アイーン」のようなパフォーマンス付きだ。
王妃の剣さんの立ち姿は完璧、声もいい。彼女もオフィーリアも、頭グイグイをする。(内藤さん顎だけ)ハムレットは王子に見えない。オフィーリアは、ハムレットに説教する年上女房のようだ。今回のハムレットは、運命にただ翻弄されてるつっぱった若者という感じ。尼寺のセリフも、考えた末に出た言葉ではなく「うるせーんだよ」とばかりつい口から出た戯言、関口氏の解釈があってる気がした。
ここでは、この悲劇は、城内全ての暗雲、終末に向かう王国の悲劇としてえがかれていた。ラスト決闘のシーンは、緊張感があって良かったけど、小道具として剣を使わないから、誰かの「あっ、剣が入れ替わった」という声が入る。
今回の「ハムレット」は、大がかりな音楽と、マトリックスのような大げさな衣装にも関わらず、もしかしたら、「ハムレット」って、シェイクスピアがそんなに力を入れて書いた悲劇ではないのでは?という思いを私に抱かせてしまった。
歯が痛いシェイクスピアが書いた劇
…蜷川幸雄演出、藤原竜也君のハムレットを観たら、きっとシェイクスピア讃歌になったと思う。(見逃したことを悔やんでいる)