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星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

ヴェリャコーヴィチの「ハムレット」

2007-03-23 | 劇空間
歯の根っこ曲がっていると言われても

私、根性が曲がっていると言われたことはない。
でも、今日「歯の根っこが曲がっている」と、
マスクで顔を覆った貴一(勝手に名付けた)先生に3回も言われた。
(神経質な貴一先生はよく口を開けてる患者に質問する。答えられませーんってば。)
抜いた歯の根っこは確かに15度くらい曲がっていた。
でも、いつ頃から、何で曲がったんだろう。
…不思議な人体に私がのっかてる気がする。

尼寺へ行けと突然言われても

「Get thee to a nunney, Why wouldst thou be a breeder of sinners ?」
(尼寺へ行け、なぜ罪深き子の母になりたがる?(関口篤訳)

オフィーリアが、ハムレットに言われた言葉である。シェイクスピアの時代、「nunney=尼寺」には「女郎屋」のニュアンスが隠されていた、と最近知った。
(関口篤「シェイクスピア名詩名句100選」(思潮社・詩の森文庫))
…恋人にこんなこと言われた彼女が、精神のバランスを失うのは当然だ。

20年前に、神戸労演で、山本圭さんの「ハムレット」無名塾公演(演出:隆巴)を観た。あの時の真面目に苦悩する山本王子からは、オフィーリアを、母を愛してるがゆえの苦悩みたいなものを感じた。死んでゆくプリンスの悲劇だと思った。

先々週の土曜日、兵庫県立芸術文化センターで、兵庫県立ピッコロ劇団の公演、ワレリー・ベリャコーヴィチの台本演出美術による「ハムレット」を観た。王妃ガートルードに元宝塚の剣幸さんが、墓堀人に万歳一座の内藤裕敬さんが客演していた。それは、全く違うハムレットだった。
「♪ダンダダッ、ダンダダッ」という高圧的な音楽(ヘンデルらしい)が鳴ると、黒白装束の役者達が登場し舞台を練り歩く。場面転換の度に、この大音響が響き渡る。ただ歩くだけでなく、音楽に合わせて、顎をいや頭全体を前にグイグイっと突き出す「馬鹿殿アイーン」のようなパフォーマンス付きだ。
王妃の剣さんの立ち姿は完璧、声もいい。彼女もオフィーリアも、頭グイグイをする。(内藤さん顎だけ)ハムレットは王子に見えない。オフィーリアは、ハムレットに説教する年上女房のようだ。今回のハムレットは、運命にただ翻弄されてるつっぱった若者という感じ。尼寺のセリフも、考えた末に出た言葉ではなく「うるせーんだよ」とばかりつい口から出た戯言、関口氏の解釈があってる気がした。
ここでは、この悲劇は、城内全ての暗雲、終末に向かう王国の悲劇としてえがかれていた。ラスト決闘のシーンは、緊張感があって良かったけど、小道具として剣を使わないから、誰かの「あっ、剣が入れ替わった」という声が入る。

今回の「ハムレット」は、大がかりな音楽と、マトリックスのような大げさな衣装にも関わらず、もしかしたら、「ハムレット」って、シェイクスピアがそんなに力を入れて書いた悲劇ではないのでは?という思いを私に抱かせてしまった。

歯が痛いシェイクスピアが書いた劇

…蜷川幸雄演出、藤原竜也君のハムレットを観たら、きっとシェイクスピア讃歌になったと思う。(見逃したことを悔やんでいる)
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映画「バッテリー」

2007-03-22 | 劇空間
高校の時、体育館での生徒総会で、突然手を挙げて質問した1年生がいた。
「なぜ野球部だけこんなに予算を取っているのですか」と、全校生の注目を浴びながら、なんとか言った彼女は、すぐに手を挙げたことを後悔し始めていた。
でも、その年の部活予算のほぼ8割近くを野球部が占めていたのである。
決して甲子園行きの名門校ではない、地方予選で2勝すれば大金星レベルの田舎公立高校野球部である。体育祭の部活対抗リレーでは、陸上部より野球部の方が速かったけど。
当時の生徒会長が、野球部員であったことが、彼女の中で大きな怒りとなって、つい「ほっとけない」と手を挙げてしまったのだ。彼女は、ほとんど予算のない文芸部とJRC(青少年赤十字)に所属していた。
野球部長は、年間通じて毎日練習を続けるためには、どれだけ費用がかかるかを、その場で数字をあげて丁寧に説明した。説得力があった。カッコ良かった。白球が、ボール代がどれだけかかるのか、それまで彼女は知らなかった。

春分の日、MINTで映画「バッテリー」を観た。一番早い時間帯だ。坊主頭の少年達が何組かいた。
かつて、あさのあつこさんの原作を読んだ時、私はプライドの高い巧に惚れた。豪や青波達の巧に対する思いが巧の心の角にぶつかる度に泣けた。巧は凛々しいだけでなく、壊れそうな危うさもあって、自分の足ですっくと立つ時には、ヒーローの孤独感を漂わせる。マウンドに立つ彼の足元は、ガラスのように壊れそうで不安定な場所。でも彼の片足が上がった時、もう片方の足が、そこを大地に変える。そんなエースだ。
林遣都君は、他の少年と一線を画す、登場だけで主人公とわかる、素晴らしい目をした少年、巧だった。文句なし!…夜の森の中で空を見上げて泣くシーンの巧は原作を越えている。

ひたすら白球を追う少年達の周りには、当然それを温かく見守る大人達がいる。
塾に行けと野球を禁じる豪君の母親も、野球が人生を奪うとかたくなに拒否する野球嫌いの巧の母の気持ちもよくわかる。
巧に白球を初めて握らせた菅原文太さんが演じる祖父。彼に、昨年急死した叔父の遺影が重なった。田舎で少年野球の監督を長年やっていた叔父の葬儀の祭壇は、菊で白球の形に飾られていた。白球の中で日に焼けた叔父が笑っていた。参列者は600人を越えた。平日の昼間だったのに、ユニフォーム姿の小学生・中学生・高校生、若者達が次々と焼香していく。出棺の時、彼らは「かんとくー、ありがとうございましたー」と大声で叫んだ。普段叔父とほとんど行き来がなかった私は、彼らの姿をみて叔父のしゃがれた声の理由を、叔父の人生を知った。

この映画を撮った場所がいい。あさのさんの故郷の高梁市(岡山県)…夏の記憶の中に残っているような、青い空と白い雲。緑の木々や空き地の草に、心地良い風が吹く、美しい町だ。
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「バブルへGO!」~アベはアベでも大違い

2007-02-13 | 劇空間
…もちろん、いいのは阿部ちゃんですよ。これは、ネタバレワードかな?
「バブルへGO!」…面白いです。あのバイクの後に乗りたい。
          旦那様、洗濯機、次買い変える時はドラム式ね。

洗濯機で過去にも未来にも行けるのなら、エレベーターでも行けるかもしれない。神戸MINTのエレベーターは、昨日も、客の目の前で行方不明になった。

私が神戸ミントの株主なら、今年の株主総会で、きっと聞く。
「あの、とんでもないエレベーターの設置を決めたのは、誰だ? 
今どこにいるのか、表示が全くない。しかも時々上下を示す点滅すら消えてしまう。行方不明になるのだよ。
だからいつも大勢の客がイライラしながらエレベーターの前で待ってるではないか。
責任者出てこーい!」と。

その問に担当者はきっとこう答えるだろう。
「客にはエレベーターではなく、エスカレーターを利用してもらいたいからです。
イライラした客がエレベーターを嫌い、エスカレーターのほうが早いと乗り換えることで、他の階に客が下りてくれます。」と。

この答が余りにも見え透いているから、これからも、私は、責任者出てこーいと、心の中で罵倒しながら、ひたすらエレベーターを待って、9Fの映画館に直行する。

とはいっても、映画を観た後は、旦那が喫煙できるという理由で、たいてい6Fの「呑喜帆亭」に寄る。ここの、お好み焼き・焼きそばメニューは、たくさんある。その中で美味しそうなメニューには、たいてい☆印がついている。これは近日発売予定メニューだ。今現在できるメニューは、ほぼ食べ尽くした。次はもうヨークシャープディングイギリス風お好みしか残ってない。これは避けたいのだ。それにしても、☆印は、開店以来ずっと☆印のままなのだ。そろそろ出てるかな、といつも思う。…これは毎日閉店売り尽くしセールの逆バージョンの詐欺商法かしら?
なんて、猜疑心が芽生えるのも、あのエレベーターのせいかもしれない。
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MINTで「どろろ」

2007-01-29 | 劇空間
神戸MINTで「どろろ」を観た。2時間前にいったのにもう、前の1列2列の端しか残ってなかった。シネコンであるMINTの映画館は、上映映画の数多く、観客も多い。しかし、売店の売り子さんは、仕事不慣れで要領の悪い上に、人数をけちっていて、パンフレット買うのにも、コーラ買うのにも、列に長いこと並ばなければならない。そしてカウンター向こうのてんてこ舞いの売り子さんを横目に、フロアには、カードを作りませんかと時々立って呼びかける以外は長机の前に暇そうに座ってる黒服のお兄さんがいつも数人いるのだ。「君たちあっちで手伝ったら?」と思わずオバサンは言いそうになる。

さて「どろろ」である。自分の旦那より、妻夫木君のおでこの上がりを気にするようになってる私は、妻夫木君にアクションはできるのか?と、内心、どきどきしてました。

良かった、すごーく良かった。ワイヤーアクション、頑張ってます。次々に魔物を倒していきます。そして、親に見放された子供の悲しみ背負ってます。

2列目で観ると妻夫木君、迫ってきます。何といっても目ね。百鬼丸の目は、前半見えない。百鬼丸が魔物を倒し目玉を取り戻し、初めて目にしたものは…このシーン素晴らしい。
自分の目で見えるようになってからの目の輝き、この前と後の違い、見事に表現してる。

とにかく、手塚治虫さんが観ても、「いいですねぇ」って妻夫木君と握手するような作品でした。
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歌会始

2007-01-15 | 劇空間
玉木君…「恋人?いますよ。」
(きっと千秋君と同じように、キッパリと言ったんでしょうね。)
…ガーン!!としたところに、
TVから、けだるい声が…
い~~う~~え~~え~~み~~あ~~♪が続きます。、
古式にのっとりというのでしょうか、語尾を続く限りにひっぱる読み方で、
けだるいリズムで詠われます。男性合唱です。今年のお題は「月」

「年ごとに~月の在りどを確かむる~歳旦祭に~君を送りて~」
「務め~終え~歩み~速めて~帰るみち~月の~光は~白く~照らせり~」

前者は、毎年元旦の朝からお勤めご苦労様という、夫への妻の愛がありますね。
後者は、仕事を終え、早く奥さんところに帰りたいよーという夫の妻への愛が感じられます。
(うーん、考えれば、この方々には定年もないのですね。終身おつとめご苦労様です。)

「かの人の~声に魅せられ年越しの~のだめベトヴェン 月に届か~ん」
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「上海バンスキング」

2006-12-30 | 劇空間
田舎の押し入れを整理してたら、ニッパー君が出てきた。
40年位前、実家でステレオ(当時オーディオプレイヤーなんて言葉は使ってなかった)を買った時ついてきたらしい。世界で一番有名なフォックス・テリアだ。

最近買い換えたCDプレーヤーの上に、骨董品の彼が実によく似合ってるではないの。(ビクターじゃないけど)

今我が家のニッパー君が聴き入ってるのは、亡きご主人の声じゃなくて
吉田日出子さんが歌う♪「リンゴの木の下で」

1984年のクリスマスの日、神戸文化大ホールで観た
オンシアター自由劇場のミュージカル「上海バンスキング」のCDである。

あれは、素適なクリスマスの夜だった。
舞台では、串田和美さん、小日向文世さんらジャズメンが楽しく楽器を吹いて、
若かりし吉田日出子さんや、余貴美子さんが、歌い踊った、
第二次世界大戦前夜の上海を舞台にした、切ない物語だった。

上演が終わり、胸熱くして、ホールから出てきたら
ロビーで、舞台からおりたばかりの出演者一同が、
テーマソングの♪「ウエルカム上海」を演奏しながら
私達お客さんを送ってくれた。
そのサックスの音が22年後の今でも耳に残ってる。

今年は「のだめカンタービレ」のクリスマスだったけど、
千秋君のベートーヴェン第7番、ずっとこれからも、覚えているかなぁ。
 
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前方後円墳に立つ

2006-12-18 | 劇空間
20年前の春、岡山の吉備路を楽しくサイクリング旅行した。
その旅行から帰った2日めの朝コーヒーを入れながらクシャミをした、
次の瞬間、生まれて初めて「魔女の一撃」=ぎっくり腰を経験。
その後の苦痛の日々とともに、私にとっては忘れられない旅である。
世の中楽しいことばかり続くわけではない、という教訓をかみしめた。

日本史の教科書には畿内の古墳しか載っていないが、
日本各地に前方後円墳はある。
宮内庁管轄立ち入り禁止、まるでその秘密を明かせば日本の歴史解釈が変わってしまうことを恐れているのではないかと思わせる大仙陵古墳などと違い、自由に散策できる古墳が吉備路にはある。大きさで全国4番目の造山古墳、9番目の作山古墳、こうもり塚…

田畑の間に、盛り上がった森、それが古墳だった。堀もない。
何の制約もなく自由にその上に登れた。中を覗けた。今はどうか知らないが。

前方後円墳…鍵穴のような変な形である。
なぜ、こんな形をしているのか?
円形部が石棺のある石室である。では方形部分は何の為のものか?不思議だった。

中沢新一さんの著作「三位一体モデル」(HOBONICHI BOOKS)を読んでいたら、前方後円墳=舞台説、が紹介されていた。

♪民俗学者の折口信夫先生によると、天皇とは血統や家柄だけによって持続するものではない、「天皇霊」によって持続するという。大嘗祭(天皇の即位式)では、天皇は胎児のように真床平衾(まどこおふすま)というふとんで覆われた密封空間に入る。そこに、前の天皇の霊がやってきて、新しい天皇の身体にのりうつることで、新天皇が誕生する。その後「みあれ」の儀式が行われる。(「みあれ」というのは「あらわれる」という意味。)人々の前で、天皇霊を身につけた新天皇が出現したことを宣言する儀式である。

前方後円墳は、奥の円形の墳墓に続き、前に大きな方形の舞台がついた構造をしている。ということは、円墳の中に真床平衾を持ち込んで、天皇霊を、先帝の遺体から移し終えた後、新天皇として初めて人々の前に登場する「みあれ」の舞台として前方の方形部がつかわれたのだ。♪といった内容。

思えば、儀式のあるところ、宗教的なものであれ、政治的なものであれ、冠婚葬祭、入卒式であれ、そこは日常とは違う劇空間である。
作・演出・演技者・裏方、そして名もなき見物人(聴衆)、すべて必要とされる。

20年前私は、古代のおおきみが立った同じ場所にたっていたのかもしれない。
あの時、草木の生い茂る丘の上に立って、周辺ののどかにけぶる春の農村風景を見まわしてると、今と古代の中間点に自分がいるような気がした。
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「無音の伝言ーKIZUNA-」

2006-11-25 | 劇空間
兵庫県立芸術文化センターの2F入り口には、ブールデルの「嵐の中のベートーヴェン像」がある。ホールに入ったら、そこにも彼はいた。君はいつも苦悩してるねぇ。
震災前王子動物園前に建っていた兵庫県立近代美術館の常設コーナーで、彼はロダンの小さな「接吻」という情熱的なカップルを、斜め上から、じっと見下ろしながら、嵐に耐えていた。耳が聴こえなくなるということがどういうことか、さして想像できないまま、ベートーヴェンの人生はきっとこんなんだったんだなぁ、嵐は外にも、彼の中にも吹いてるんだ、とその時思った。

近畿高校総合文化祭で、奈良県立ろう学校高等部の演劇部創作の「無言の伝言ーKIZUNA-」を観た。字幕付きの上演である。廃校になったろう学校を、遙と恵、淳に涼に拓の5人の卒業生が訪れる。遙と恵のわだかまりがとけていく展開。パントマイムが上手い。最初にあるダンスシーンはちゃんと音楽にあっていた。きっと凄い集中力を必要とするのだろう。ときおり聞こえる恵ちゃんの喉からもれる声がせつなく心をとらえる。途中から字幕は見ないで彼らの表情を追ってしまった。

手話は相手に伝えたいんだという気持ちと、あなたのいいたいことちゃんと受け止めるから、という気持ちがないと成立しない言葉である。

私は10年くらい前に、耳の聴こえない若いカップルの結婚披露宴に招かれた。それは今までに参加した披露宴の中で、最も感動的なものだった。
新婦は、大きな瞳が輝いてるよく笑う頑張り屋さんだ。普通高校で3年間、手話のできない私の口元をいつも真剣に見つめていた。時々嵐が彼女の中で吹いてるかもしれないと思うこともあった。彼女のおかげで未熟な私が、正確にはっきりと話すことを自分に課すことで随分成長したと思う。
披露宴会場には2人の手話通訳ボランティアの方がいて、スピーチをする私の言葉が、次々に手話に訳されていく。笑いが広がるシーンもあって正確に通訳されてることがわかった。みんなの集中が伝わってくる。嬉しかった。ここにいる人たちはみんな全員、心から二人の結婚を祝ってるんだって実感できた披露宴だった。
お母さんになった彼女の双子の娘達は、この春元気に小学生になった。

淳くんは、プロの役者を目指しているらしい。大丈夫、君の夢を追いかけて。
耳が聴こえなくなったベートーヴェンだから、あのような曲を作れたんだ。
きっと君にしかできないことがある。
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「太陽の箱」

2006-11-24 | 劇空間
兵庫県立芸術文化センター中ホールで、近畿高等学校総合文化祭が開かれている。
ドキドキわくわく感を味わおうと思ったら、高校演劇は最高。
特に生徒脚本の作品は、何が出てくるか、楽しみ。
演技力のつたないものでもそれなりの楽しみ方があって、最後までどう展開するか、はらはらしドキドキしながら観れるのだ。頑張れーってどうしても気合いが入る。

しかし、近畿大会である。地区予選を勝ち抜き、県大会を勝ち抜いて、稽古不足であっても、ここにくるまでに、2回は、大舞台を経験した強者が集まっているのだ。特に今回は、兵庫県立芸術文化センターという、素晴らしいホールの大舞台である。

その大舞台のトップバッターとして、登場したのは、兵庫県立西宮今津高校演劇部の「太陽の箱」。~高校生の枠を超えた華麗な舞台であった。高校3年生の春山昌紀君の作・演出・主演である。

冒頭から、オペラの楽曲にあわせて白塗り・白装束の舞。音楽も舞台装置もいい。中央には赤い太陽、その赤さと紙で作ったと思われる白い衣装のコントラストが相乗効果を上げている。時折、黒子の操る蝶々が舞う。

時は南北朝末期、太陽の箱とは三種の神器を示す。春山君が演じるのは、悩める南朝の帝。偽りの北朝に三種の神器を渡すまいと画策する内侍役の加藤綾香さんはセリフも立ち居振る舞いも宝塚級である。帝が神ではなく人間であり、太陽の箱の中には何も入っていないことになれば、日本の歴史は成り立たない、という立場の、三島由紀夫も登場。最後に春山君は蝶々を愛するヒロヒトさんも演じる。「あ、そう」なのだ。

演劇界での「春山ワールド」の誕生に立ち会った気がする。次は入場料払って見に行きますよ。

近畿大会は次の舞台を準備する幕間に、今演じた部の紹介がある。会場内からの質問に応える楽しい演出である。白塗りの化粧には1時間近くかけたという。とにかくお疲れさ~んでした。素晴らしい舞台だったよー。
ロビーの彼らは最高の笑顔だった。
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南河内万歳一座「百物語」

2006-10-15 | 劇空間
今日も大阪城公園は晴れていた。噴水の周りに人が集まっている。野外に響く音は若者のバンド…良かったぁ、ここ最悪の時はカラオケ演歌が轟いているんだもん。

大阪城ホールの倉庫にある「ウルトラマーケット」で楽日を迎えた南河内万歳一座を観に行った。万歳一座の舞台幕はこの20年間で一度つぎはぎの一部をリニューアルしたけど、ほぼ初めてみたときの雰囲気のまま。幼い頃眠る前に目にした天井の柄のような、懐かしさを感じる。

「百物語」
高校時代の「いいものはローソンから」以来、密かに応援してる安宅慶太君が先生の役、今回の彼、眉毛の演技が加わった。
なつかしい6畳アパートが出てきた。あの西向かいの窓からサキコさんを照らす光が美しい。
大家さんの藤田辰也さん、相変わらずハンサムだわ。CD聴いてますよ。
「情熱のバラ」トリオ…いいわぁ。三浦隆志君、内藤裕敏さん、おなか出てきましたね。鴨鈴女さん、大好きです。あなたが出てくるだけで客席が目覚める。
万歳一座にしては、ストーリーが追いやすい、楽しい舞台でした。

思えば、この百物語の源、「二十世紀の退屈男」で活躍した、味楽智三郎さんや岡田朝子さん、河野洋一郎さん、松下安良君はもう万歳一座の舞台から去ってしまったのね。

初めて万歳一座を見た時、味楽さんはガラス玉を持ったナイーヴな少年だった。
松下君の晴れやかな声、客入れの時は「あと十センチ」というあなたに合わせて皆お尻を動かしました。
オレンジルームのロビーで、朝子ちゃんと洋一郎さんに、サインしてもらったときは、嬉しかったなぁ。洋一郎さんはあと10センチ背が高かったらきっと反町隆史がやってる役してたと思う。そして永遠のマドンナ朝子ちゃん…彼女が登場すると後光が差してきた。彼女の声を今でも舞台に求めてる自分がいる。

百の物語を語り終えた時、何かが起こる。…それが101回目の物語。
このブログも百回書いたら、何かが起こるのだろうか。
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スーパー・トリオ 「Bee」

2006-10-15 | 劇空間
どうしたんだろう、最初の曲、ピアソラの「♪アディオス・ノニーノ」で、
チェロの音が聴こえてきた途端、涙があふれてきた。
…心がとけていくような素晴らしい2時間だった。

及川浩治のピアノ、石田泰尚のヴァイオリン、石川祐支のチェロ、
この3人で結成されたトリオ「Bee]の演奏会、
兵庫県立芸術文化センターの大ホールは5Fの天井桟敷まで満員。
私の席は2F左サイドの一番ステージに近い席。ここはとてもいい席だった。
ピアノの及川さんの躍動する両手が、ダイナミックな後ろ姿が凄くよく見える。
ヴァイオリンの石田さんの長い右足の延長上に私がいる。
私を泣かせたチェリスト石川さんはこちらを向いてる。
3人とも黒シャツ姿が似合う。
特にヴァイオリンを持った石田さんの立ち姿は完璧。

ピアソラ「♪天使の死」「♪リベル・タンゴ」
情熱的な演奏、3人がシンクロしているのがわかる。
そんな3人に私がシンクロする。
曲が終わる瞬間、3人の手が同時に宙に舞う。
なんてカッコイイ3人なんだ。

及川さんのリスト「♪ラ・カンパネラ」…ピアノの高音ってこんな音がでるんだって初めて知った。今まであなたを知らなくてごめんなさい。
石川さんのクライスラー「♪愛の悲しみ」…彼の軽く優しいチェロの音色は直接、私の心に届く。
石田さんのモンティ「♪チャール・ダーシュ」…美しい音にまず感激してるのはあなた自身のはず。中学時代にちょっとだけ習ったから、この楽器から美しい一音を出す難しさ、出た時の嬉しさがわかる。自分の耳元でこんな美しい音を奏でる事ができたら、もう弾き続けるしかありません。

ラフマニノフ「♪悲しみのトリオ」って本当に悲しい曲。
音楽って凄い。その場にいる人たちの気分を完全に誘導する。
演奏している彼らはどんな気持ちで弾いてるんだろう。
って思ったらやはり、この曲で休憩になった。

後半
燕尾服姿の3人が奏でる「熊蜂の飛行」…まるで魔術の世界に迷い込んだような気がする。
あとは、クラシックの王道、ベートーヴェンにモーツァルトにメンデルスゾーン。
フォーレ「♪夢のあとに」…チェロの音は人の声に近いのだろうか。石川さんの奏でる音はとびきり優しい人の声だ。

終わった後ホールの外まで続く長い列ができた。
3人が並んで、プログラムにサインして、握手してくれてる。
CD買った人にじゃない。この3000円の演奏会のプログラムにである。

また、必ず来て下さい。待ってます。
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「シュガー&スパイス~風味絶佳」

2006-09-26 | 劇空間
1昨年の夏、シネカノンで「誰も知らない」を観た。
これから、柳楽優弥という少年がどんな風に成長するのか、
ずっとみていきたいと思った。
映画館からの帰り道、コンビニでアポロチョコを買った。

昨年「星になった少年」を観た。
彼はアジアの少年の目をしていた。

先週、16歳になった彼に会いにシネリーブルに行った。
今回は帰り道、ミルクキャラメルは買わなかった。

うーん、彼には、もっといい映画に出て欲しい。
なんで16歳の少年に、19歳の役をさせるのか、私にはわからない。
16歳の頃しかできない役ってあるはずなのに。
26歳が29歳の役はできる。
46歳なら49歳だって59歳だって79歳だってやれるだろう。
でもね、16歳、高校1年生の男の子って、特別な子以外はまだガキです。
19歳とは別の人間。
初恋もまだって感じの男の子に、
沢尻エリカと同棲する役は無理。
彼らは同じベッドに寝ていてもきっと手を繋いで寝ていた気がする。

年上の人への切ない片思いみたいな役ならなんとかなったと思うけど
切なさがほとんど感じられないのはラブストーリーなんかじゃない!!

柳楽君をつかって、彼の目力を登場させない脚本、
彼の目力を描かない監督がいたなんて、信じられない。

柳楽君は、普通の健康そうな標準的高校1年生という感じ。
風を切って自転車漕いでるシーンは爽やかだった。
いっそのこと、16歳の今しかやれない学園ドラマなんかのほうがよかったかな。

結局  「え?」 (柳楽君が映画の中でやってた)
というのがこの映画の感想です。

唯一、志郎のこの言葉は、ちゃんと伝わってきた。
…「今にも壊れそうなものがそこにあった時、それをやさしく丁寧に扱うことしか、僕にはできない」

とにかく、君の身長があと10センチ伸びた頃、
また会いましょう。
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「ウェスト・サイド・ストーリー」

2006-09-10 | 劇空間
大阪フェスティバルホールへブロードウェイ・ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーーリー」を観にいった。
ずっと前に映画館で、思春期の私の中で男前の決定的イメージを作り上げてしまったジョージ・チャキリス。新聞広告を見た時、もしかしたら私はまた彼に会えるなどという、わけのわからない期待を持ってしまったのかもしれない。

私は演劇を観に行くのが好きである。かつてナビオにあったオレンジルームや扇町ミュージアムには南河内万歳一座をみによく通った。これも今はない近鉄劇場に、夢の遊眠社やNODAMAPを観にいった。今でも兵庫県立芸術センターや宝塚大劇場のような大きな立派なホールだけでなく、大阪城の倉庫や、湊川公園のテント芝居も観にいく。

何が好きかってあの幕の上がる前のドキドキ感がたまらなく好き!
自分が持てたお金と時間の余裕(この二つはなかなか両立しない)を幸せに感じながら、いまから起こるであろう未知の感動の予感。
今ここにいる観客と、劇団員(出演者だけじゃなくスタッフも)の彼らと共有しようとしているサプライズ…これから何が始まるの?わくわく…。

さて、今回の大阪フェスティバルホールは、初めて行く劇場である。チケット高いのね、ここでやるものって。でも座席の前横がせまく、余裕のない席。トイレも古いし、ロビーも暗くて豪華さのかけらもない。ただ「レオノーラ」っていう売店は、ウィーンフィルとかの日本ではここしかないというものを売ってて充実してる。

土曜の昼公演の「ウェストサイドストーリー」。2F飛び出しサイド以外ほぼ満員。私は2F急勾配の左端に近い席。オーケストラ席が見える。開演前ぎりぎりまで彼らの音あわせの騒音がずっと場内に満ちている。雰囲気盛り上がりというより耳障りな雑音である。(宝塚大劇場ではこんな長く音合わせやっていない)

そして幕開けのドキドキ感が全くないまま、幕が上がってしまった。体育系のお兄さんがなんか位置取りしながら踊り出す。うーん、これは…と思ったら、やはり場面転換もとろい。ダンスの切れも悪い。(あらためて宝塚のレベルの高さを感じる)あの「TONIGHT」の場面ですら感動しないではないか。(こんなはずじゃあ)警察官の役者なんて本当に素人なんじゃない?最後の終わり方にいたっては、もっと盛り上げ方あるでしょう、演出は。オーケストラももっとメリハリある劇的な演奏しなくちゃ、バーンスタインが泣くわ。男優より女優陣のほうがいい、というより男優陣に緊張感がない。ジェット団とシャーク団の決戦なのに。ただ、アニタとマリアが掛け合いで歌う「A Boy Like That and I Have a Love」は良かった。

最後まで、「おー!」というサプライズがなく、ブロードウェイってこんなもの? という感じで終わってしまった。
どうしてだろう?座席が高い位置だったので飛び上がる臨場感に欠けてたから?
結局、自分の中で映画の感動が大きすぎたからなのかもしれない。あの映画を見た後はしばらく♪TONIGHTが、頭の中で響いてたし、夜は♪Good Night~>>>(消音)といって眠りについた。

A席11500円は高い。
ということで、○十年前の映画パンフレットです。やっぱりジョージ・チャキリスは、いいわ~。

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