久しく城巡りをしていない。八戸城址など、数か所訪れたのだが、ブログアップまで行きついていなかった。そして、コロナ禍。すでに、城巡り、数か所分の行程表は作成済みである。八王子城、箕輪城、新府城、岩殿城、もう一つの五稜郭と言われる龍岡城などなど。「Go To」とやらを利用するのもありなのかもしれないが、もう少し、待ってみよう。
ということで、地元のお城も大切である。
磐城平城、いわき駅北側の高台にあった城。ここの本丸跡地を活用して、城跡公園の整備を進めている。
磐城平城跡エリア、その大部分は民間に払い下げられており、公園整備に合わせて、本丸跡を公有化した。交流施設の整備も予定されており、その前段、発掘調査が行われ、その現場説明会が開催された。
はじめは、施設を整備する部分に限って調査を行うこととされていたが、そこから、幕末に焼失したと伝わる本丸の礎石、磁器の破片などが出てきた。とりわけ、礎石類は当時のまま保存されており、非常に貴重であるそうだ。
戊辰戦争時に官軍が撃ち込んだ砲弾も発見された。ただし、不発弾につき、それ相応の処理がされたとのこと。現物はなかった。
現場説明会で、「どこから砲弾が撃ち込まれたのか」という質問があり、「競輪場付近」ということで、約2キロ先から撃ち込まれたようだ。
発掘の結果を受け、さらに調査エリアを拡大して試掘を行っている。現段階で、磐城平城で建物の具体を検証できるのは(図面が残っているのは)、本丸くらいである。
ここで証明されたことは、この図面と調査結果で分かった建物の配置が一致したということ。戊辰戦争で焼失したといわれる本丸だが、焼土が非常に少なく、部分的な火災ではなかったのではないか、という仮説。瓦の出土が少ないことから、屋根は萱や樹皮を使っていたのではないか、これは、礎石の大きさからも想定される、という仮説。などなど。そしてなにより、磁器が数多く見つかったこと、これは、まぎれもなく本丸御殿であった証である。
さてさて、磐城平城址、これまで発掘を通した学術的視点からの調査を行ってこなかった。全体像を把握しようとすると、ほとんどが民地であるがゆえに、調査をするとなると莫大な費用と労力が必要となる。
もしかすると、「パンドラの箱」が開いたのかもしれない。
ということで、地元のお城も大切である。
磐城平城、いわき駅北側の高台にあった城。ここの本丸跡地を活用して、城跡公園の整備を進めている。
磐城平城跡エリア、その大部分は民間に払い下げられており、公園整備に合わせて、本丸跡を公有化した。交流施設の整備も予定されており、その前段、発掘調査が行われ、その現場説明会が開催された。
はじめは、施設を整備する部分に限って調査を行うこととされていたが、そこから、幕末に焼失したと伝わる本丸の礎石、磁器の破片などが出てきた。とりわけ、礎石類は当時のまま保存されており、非常に貴重であるそうだ。
戊辰戦争時に官軍が撃ち込んだ砲弾も発見された。ただし、不発弾につき、それ相応の処理がされたとのこと。現物はなかった。
現場説明会で、「どこから砲弾が撃ち込まれたのか」という質問があり、「競輪場付近」ということで、約2キロ先から撃ち込まれたようだ。
発掘の結果を受け、さらに調査エリアを拡大して試掘を行っている。現段階で、磐城平城で建物の具体を検証できるのは(図面が残っているのは)、本丸くらいである。
ここで証明されたことは、この図面と調査結果で分かった建物の配置が一致したということ。戊辰戦争で焼失したといわれる本丸だが、焼土が非常に少なく、部分的な火災ではなかったのではないか、という仮説。瓦の出土が少ないことから、屋根は萱や樹皮を使っていたのではないか、これは、礎石の大きさからも想定される、という仮説。などなど。そしてなにより、磁器が数多く見つかったこと、これは、まぎれもなく本丸御殿であった証である。
さてさて、磐城平城址、これまで発掘を通した学術的視点からの調査を行ってこなかった。全体像を把握しようとすると、ほとんどが民地であるがゆえに、調査をするとなると莫大な費用と労力が必要となる。
もしかすると、「パンドラの箱」が開いたのかもしれない。
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